2018年 10月 四国遍路

さてみなさん!(浜村淳さん調)

 

ご無沙汰しておりますKOBANNADです。

 

いやはやめっきり急に寒くなってまいりました。

もう冬の足音が聞こえてきそうな今日この頃如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

 

まずはご報告。

 

 


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前回の四国遍路の折りに、法然上人二十五霊場第2番札所 『法然寺』さまにて、無事満願となり、

霊場会に手続きを済ませました所、晴れて満願証を頂けました。

 

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

 

 

 

 

 

これで、

四国八十八箇所

四国別格二十霊場

西国三十三観音霊場

洛陽三十三観音霊場

新西国霊場

法然上人二十五霊場

神戸八宮巡り

奈良四寺巡り

京都三弘法

 

と、御朱印を初めて約二年で色々と大小合わせてまたひとつ満願を積み上げる事が出来ました。

 

 

 

 

各札所の寺社仏閣の方々や、

共に巡礼を重ねた方々、

色んな場所で出会い別れた方々。

 

 

 

何より全てに改めてありがとうございましたと感謝の気持ちでいっぱいでございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

巡礼は時間もお金もかかるものです。

巡礼したからと言って必ずしも幸せが約束されているものでもありません。

 

本当にただの『自己満足』なのかもしれません。

 

ただ、そこに『信心』があるのか無いのかそれだけなのだと思います。

 

 

とある霊場会によくお見掛けしますが、

大先達ともあろう人間が、半袈裟にこれでもかと自己アピールなのかどうかはわかりませんが、ピンバッチ等をじゃらじゃらじゃらじゃら刺してお参りをし、

初心者っぽい方に対して偉そうな態度を取ってみたり。

 

札所寺院でありながら参拝者に対して高圧的な態度を取ってみたりと。

 

 

およそ仏道における信心とかけ離れた態度の方も中にはお見受けします。

 

 

かくいう私もとある友人から

「ようさん満願証やらなんやら持ってるけど、ただの自己満足やろ」

と言われた事があります。

 

 

 

 

 

「せや、自己満足や。せやけどワシは色んなお寺で一所懸命お経上げて、色んな人と触れあうのが楽しいんや。そこで神様仏様と自分と向き合う事が出来るしな。立派な立派な自己満足やで、他人さんに迷惑はかけとらんしな。」

と、応えました。

 

 

満願証は私にとっては自慢して見せびらかすものでは無くて、

ひとつの区切りを示すものであり、

その満願証を見ることにより満願証を頂くまでの道のりを思い出して初心を忘れないようにする言わば心の道標なのです。

 

 

 

『見せびらかされてる』

と感じる人間は、自分の心の中に

『自分が見せびらかしたい願望があるから』

そう感じるのでしょう。

 

満願証はステータスやブランドではないのですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、本題。

 

10/21のお話です。

 

 

 

夜中3時にゲンさんと車を取りに行きまして。

 

 

 

今回はデブ遍路二人旅でしたのでいつも通り淡路経由で四国へと。

 

 

 

 

途中ナビがよくわからないルートを選択して少しロスがあったんですが、無事にまずは。

 

 


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四国別格霊場第4番 鯖大師本坊さま

 


f:id:KOBANNAD:20181102193137j:image自撮りwww

 

 

 

 

えーと、とある読者様に『重ね印』についての質問を頂戴しましたのでちょっと画像を。

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102193257j:image鯖大師さまの納経印

 

このように同じ寺社仏閣に参拝した時に

以前の場所に朱印を重ねて頂くことを重ね印といいます。

 

 

 

 

 

 

うちのカーチャンの知り合いの方は


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すごいすね。

 

 

こんな方もおられるのに、まだ四国は2巡目のアタクシ達はまだまだやと。

 

 

しかも遍路もしたこと無い人間にとやかく言われようがまさに『どうでも良い話』ですよね。

 

 

批判しかしない人間は放っておけば良いのですよ。

 

 

 

 

 

 

八坂寺(やさかでら)は徳島県海部郡海陽町に所在する高野山真言宗の寺院。山号は八坂山。本尊は弘法大師四国八十八箇所霊場番外札所、四国別格二十霊場四番札所、阿波七福神霊場布袋尊札所である。通称は鯖大師本坊または鯖大師

由緒
 
弘法大師伝説
鯖大師と呼ばれる由縁は、この地を訪れた空海弘法大師)の伝説による。

伝説に拠れば、平安時代初期の弘仁年間(810年 - 823年)に空海が八坂八浜を訪れた際に、行基手植えの松の下で野宿し行基の夢を見た。そこを塩鯖を馬に背負わせた馬子が通りがかった。空海が塩鯖を所望したところ、馬子は口汚くののしり断った。坂にさしかかったところで馬が急に苦しみ動かなくなった。慌てた馬子は先ほどの僧は巡錫中の空海に違いないと思い、空海に鯖を差し出し馬を治して欲しいと懇願した。空海が加持水を馬に与えたところ、馬はたちまち元気になった。また、空海が法生島(ほけじま)で先ほどの塩鯖に加持祈祷を行い、海に放ったところ塩鯖は生き返り泳いで行った。これに感服した馬子は空海の弟子となり、この地に小堂を建て行基の像を祀り「行基庵」と名付けた。また「鯖瀬庵」とも呼ばれた。空海が加持祈祷を行った海岸は鯖瀬(さばせ)と呼ばれている。
行基伝説
行基にまつわる鯖伝説も残されている。これは、江戸時代前期の貞享4年(1687年)に真念という僧によって書かれた四国遍路の現存する最古のガイドブックである『四国遍路道指南』(しこくへんろみちしるべ)に記載されている伝説である。

これに拠れば、行基が四国を巡錫している時にこの地を訪れた際、鯖を馬に背負わせた馬追が通りがかった。行基が鯖を所望したところ、馬追はこれを断った。行基はこれに対し「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれで馬の腹や(病)む」と歌を詠んだ。すると、馬は急に腹痛で動かなくなった。困った馬追は行基に鯖を差し出した。行基は今度は「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 行基にくれて馬の腹や(止)む」と、「くれで」を「くれて」と1文字変えて詠むだけで、馬の苦しみは治まった。

この行基の話は、江戸時代初期の寛永18年(1638年)賢明によって書かれた四国巡拝の記録誌『空性法親王四国霊場御巡行記』にも記載が見られる。また、江戸時代後期の寛政12年(1800年)に作製された四国巡礼ガイドブック『四国遍礼名所図会』にも記載がある。

行基が詠んだとされる歌は、弘法大師伝説では空海が「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師にくれで馬の腹や(病)む」、「大坂や八坂坂中鯖ひとつ 大師にくれて馬の腹や(止)む」と詠んだとされている。
鯖断ち祈願
絵馬に開運、子宝成就、病気平癒などの願い事を書いて奉納し3年間鯖を口にしないことを誓う、鯖断ちの祈願を行うと願いが成就すると言われている。
鯖伝説について
民俗学者五来重鯖大師伝説について、山姥が牛方や馬方の塩鯖を求めるという民話との関連を指摘している。これは山中や峠にさまよう荒ぶる祖霊に供物を捧げて道中の無事を祈る風習に基づくものと解釈し、またサバは仏教語で鬼神等への供物を意味する「生飯(さば・さんばん)」が同音である鯖へと変化したものではないかと考察している。

鯖大師伝説もこのような祖霊信仰が行基伝説へと変化し、大師信仰の隆盛と共に旅の僧が行基から弘法大師へと移り変わったものと指摘している。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

そこから北上して

 

本四国第23番札所 薬王寺さま

 


f:id:KOBANNAD:20181102202738j:image非常に良い天気でしたまさに『秋晴れ』

 

 

 

 

 

薬王寺(やくおうじ)は、徳島県海部郡美波町にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所霊場の第二十三番札所。医王山(いおうざん)、無量寿院(むりょうじゅいん)と号す。本尊は薬師如来で厄除けの寺として知られる。

寺伝によれば、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が創建したという。弘仁6年(815年)には平城上皇の勅命によって空海弘法大師)が本尊として薬師如来を彫り再興したとされる。

文治4年(1188年)火災により堂塔を焼失した。この時に本尊は奥之院の玉厨子山に自ら飛んで焼失を逃れたという伝説がある。その後、後醍醐天皇により堂塔が再建された。本尊が新たに彫られたが、元の本尊もこの時に飛んで帰り後ろ向きに厨子に入り自ら厨子を閉じたとされ「後向き薬師」と称される。元の本尊は以後秘仏となった。このため本尊が二体ある。

嵯峨天皇淳和天皇などからの信仰は厚く、歴代天皇が厄除け祈願のため勅使を下向させている。嘉禄2年(1226年)には土御門上皇が訪れた。徳島藩主の蜂須賀家から寺領を賜っている。

現在の本堂は明治41年(1908年)に再建されたものである。阿南室戸歴史文化道への指定、とくしま88景への選定を受けている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

更に車を山道へと走らせます。

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102203010j:imageたまにはデブ遍路二人の自撮りなんぞを

 


f:id:KOBANNAD:20181102203042j:image「お前ら何しとんねん」

 


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はい、

四国別格霊場第3番札所 慈眼寺さま

 

 

 

慈眼寺(じげんじ)は徳島県勝浦郡上勝町に所在する高野山真言宗の寺院。詳しくは、月頂山 宝珠院 慈眼寺と号し、別名「穴禅定の寺」である。四国八十八箇所霊場第二十番札所奥の院四国別格二十霊場三番札所。本尊は十一面観世音菩薩で、御影には、本尊と二葉権現と蔵王権現が描かれている。
f:id:KOBANNAD:20181102203507j:image穴禅定の入り口

上勝町正木の集落より山道を登った石灰岩質の山腹にある。

寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)四国を巡錫中の空海弘法大師)が、邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ悪龍が洞窟より出て空海を襲った。空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。これが慈眼寺の開創と伝えられている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

ちなみに穴禅定はまだしておりません(笑)

もうちょい痩せないと無理なので(爆笑)

 

 

そこからはそう離れてはいませんが山をひとつ越えて

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102203711j:image本四国第20番札所 鶴林寺さま


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鶴林寺(かくりんじ)は、徳島県勝浦郡勝浦町にある高野山真言宗の寺院である。四国八十八箇所霊場第二十番札所。霊鷲山(りょうじゅさん)、宝珠院(ほうじゅいん)と号する。本尊は地蔵菩薩

地元の人や遍路からは「お鶴さん」と呼ばれ親しまれているが、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と並び称される阿波の難所の一つで、標高570mの山頂までの表参道は「へんろころがし」といわれる急傾斜の山道である。

寺伝によれば、延暦17年(798年)に桓武天皇の勅願によって空海弘法大師)が開創。寺伝によれば、空海がこの山で修行中に雌雄の白鶴が杉の梢で小さな金の地蔵菩薩像を守護していた。空海はそれを見て、霊木に3尺(約90cm)の地蔵菩薩を刻み、その胎内に鶴が守っていた1寸8分の地蔵像を納めて本尊として鶴林寺の寺名を定めた。境内の雰囲気が釈迦が説法をした霊鷲山に似ていることから山号にいただいたという。

平城、嵯峨、淳和の各天皇からの篤い帰依、源頼朝義経徳島藩蜂須賀家政などからの信仰も受けて大いに栄えた。

本尊の伝承として、昔、猟師が猪を追って山に入り矢を放ち、たどって行くと本堂で地蔵菩薩の胸に矢がささり血を流していた。猟師は殺生を懺悔し仏門に入ったということから矢負いの地蔵と呼ばれ、本尊にはその傷が残っていると云われている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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鶴林寺さまで道中着の笈摺の背中に御朱印を頂けます。(写真右上)

鶴の御朱印で縁起が良いのです。

後39番延光寺さまでは対になる亀の御朱印を頂けます。

 

この存在を知ったのは昨年一巡目でもう両寺さまともお参りを終えた後だったので、

この2巡目ではちゃんと頂くつもりでした。

ちなみに左下は別格14番札所椿堂様で頂ける椿の御朱印です。

 

 

 

 

 

さて、そこからは四国三郎こと吉野川へ向かい山を下ってまいります。

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102205033j:imageゆびwwwwwww

 

正月の善光寺以来かwwwwwww

 

 


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四国別格霊場第2番札所 童学寺さま

 

昨年火災にあわれ、住職さまが燃える本堂からご本尊を抱えて避難されたというお寺です。


f:id:KOBANNAD:20181102205300j:image境内も色々と工事なさっておられました。

 

 

 

 

童学寺(どうがくじ)は、徳島県石井町にある真言宗善通寺派別格本山の寺院。山号は東明山(とうめいざん)、本尊は薬師如来空海弘法大師)学問所の由緒から学業成就の寺として広く知られる。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所。

『阿波志』等に伝える寺伝によれば、飛鳥時代行基が創建したという。奈良時代末から平安時代にかけ空海が7歳から15歳まで当寺で書道や密教などを学び、『いろは四十八文字』を創作したと伝わる。その由緒から寺号を童学寺と称するようになったとされる。弘仁6年(815年)、空海が42歳のときに再び当寺を訪れて伽藍を整備し、自らが彫刻した薬師如来阿弥陀如来観音菩薩持国天毘沙門天歓喜天を安置したという。

童学寺の近くには「石井廃寺跡」(徳島県指定史跡)という奈良時代前期にさかのぼる寺院跡が存在し、これが童学寺の前身ともいわれている。石井廃寺跡からは、金堂、三重塔などの建物跡が検出されており、東に塔、西に金堂が建つ、法起寺式伽藍配置であった。 正和元年(1312年)津茂・松家両氏の発願により大規模な修繕が行われたことが、現存する棟札からわかっている。 天正年間(1573年- 1592年)長宗我部元親の兵火を受けて全山焼失したが、元禄年間(1688年 - 1704年)に肥後の国より来錫した僧堪霊により再建された。 安政5年(1858年)昌平校教授であった安積信が童学寺の縁起を撰して碑文を建立している。

2017年3月25日午後5時30分頃、庫裏(住居兼台所)が火元とみられる火災が発生し、本堂及び庫裏などの建物が全焼。国の重要文化財に指定されている木造薬師如来坐像は運び出され無事だった。(Wikipediaより)

 

 

 

Wikipediaにも書いてますが四国の不動霊場の札所でもあるので、

背中にお不動さまの描かれた笈摺を着ておられたご婦人二人連れの方を見掛けました。

 

なるほど遍路ばかりではないのですね。

 

 

 

 

 

 

さて、

デブ遍路二人はもうお腹がペコペコでした。

 

 

 

前回の遍路の折りに道後温泉で会った同僚のO氏に

「KOBANNADさん、徳島の『たらいうどん』は食った?」

「いや、まだですねん。知り合いのお遍路さんは美味い言うてましたけどね」

「あれは高松のとはまたちゃう旨さがありまんねんで、行ってきたら?」

 

みたいな話をしてたので、

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102205949j:imageかねぎん坂野さん

 

 


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f:id:KOBANNAD:20181102210019j:imageゲンさん「ワシのうどんはまだかいなー」

 

 

たらいうどんは注文うけてから作るので20分は待ちます。

 

「「腹減ったなぁー」」

同時にボヤくデブ二人wwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102210210j:imageきました!

 

 

なるほど確かに讃岐うどんに比べたらコシという点では少ないかも知らんけど、

モチモチしたこの食感はこれはこれで非常に美味い!

 

 

あっという間にたいらげて、

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102210411j:imageさらにもう一件www

たらいうどん発祥ともいわれる『樽平』さん

 

ここのダシはゴリ(カジカ)から取ったダシやそうです。

 

うどんに卵が練り込んでるのも特徴かな。

 

 

 

一番の人気店『新見屋』さんは既に売り切れで閉店。

残念、また次回wwwwwww

 

 

 

 

 

そうこうしてるとかなりの時間のロス。

 

 

飛ばせー!

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20181102210802j:image四国別格霊場第20番 大瀧寺さま


f:id:KOBANNAD:20181102210843j:image今年もムラサキシキブが綺麗でした。

 

 

 

大瀧寺(おおたきじ)は徳島県美馬市脇町に所在する真言宗御室派準別格本山の寺院。山号は福大山(ふくだいさん)。本尊は西照大権現(にしてるだいこんげん)

徳島県美馬市香川県高松市の境にある大滝山(946m)の山上にあり、別格二十霊場のうちで最も高所に位置する。

伝承によれば、奈良時代神亀3年(726年)に行基が大滝山上に阿弥陀三尊を安置したことに始まるとされる。空海は、青年期に「阿国大瀧嶽ニ躋リ攀ヂ(のぼりよぢ)」て求聞持法を修したと自著「三教指帰」に記しているが、この大瀧嶽は当山とも、阿南市太龍寺(舎心嶽)ともいう。平安時代前期の弘仁6年(815年)に空海が再びこの地を訪れて寺院を再興し、西照大権現の像を安置したといわれる。

天安2年(858年)には聖宝(理源大師)が厄除厄流の大護摩を修法したと伝えられている。

江戸時代には徳島藩家老稲田氏の祈願所となり、高松藩の崇敬も集めた。

隣接する西照神社とは神仏混淆山岳信仰宗教施設「西照権現」として存在していたが、明治初期の神仏分離令により大瀧寺と西照神社とに分離された。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

さぁ、間に合うか。

 

急いで元の道を戻ってひた走る。

 


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16:25到着。

先に納経を済ませてゆっくりお参りをしましょう。


f:id:KOBANNAD:20181102211204j:imageそうです。

四国別格霊場第1番札所 大山寺さま

 

ここに上がってくる山道も四国の中でもトップクラスの難所ですからね。

ゲンさんお疲れ様。今日は山寺ばっかで大変やったね。

 

 

 

大山寺(たいさんじ/おおやまでら)は徳島県板野郡上板町に所在する真言宗醍醐派の寺院。山号は仏王山。本尊は千手観世音菩薩四国別格二十霊場第一番札所、四国三十六不動尊霊場第一番札所。

寺院は大山(691メートル)の中腹にあり、山頂からの眺望は「徳島百景」の一つとなっている。

寺伝によれば6世紀前後、武烈天皇継体天皇の時代に西範僧都(せいはんぞうず)が開基した阿波国最初の仏法道場であると伝えられている。しかし、日本への仏教の伝来は早くとも宣化天皇3年(538年)とされており、当寺院の開基は伝承の域を出ない。

平安時代前期、空海弘法大師)が伽藍の整備を行い、恵果より授かった千手観音像を本尊として安置したと言われている。

戦国時代、近隣にあった七条城の城主・七条兼仲は当山に祈願し怪力を得たとされる。そのお礼として九重の石塔と鏡餅を当山に背負い上げたと言われている。この伝説に因み、江戸時代になると徳島藩主蜂須賀家は家臣に大鏡餅を担がせ力自慢を競わせた。現在でも毎年1月第3日曜日に「力餅」と呼ばれる、大鏡餅(86キログラム)を載せた三方(合計169キログラム)を抱えて歩く距離を競う行事が行われている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

そこからはやはりうどんだけでは足りないデブ二人。

 

 

しかし、前回と違い今日はハヤトくんが居ないので運転はゲンさん一人←まぁこれがいつもの話といえばいつもの話なのだが

 

 

とにもかくにもまずは本州へ帰還。

 

 

神戸の春日野道へ。


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中華料理店『大陸』さんへ。

 

ここの餃子が美味いのさ!

 

 

 

 

 

さて、別格霊場は今年創設50周年を迎えまして←もう11月なのにw


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記念散華を各札所にて配布中です。

 

 

 

ちなみにこちらが数珠玉です。
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左上から 女玉(300円)

上真ん中が 紫檀玉(500円)

右上は今年の東寺さまで配布があった非売品の親玉

左下が 男玉(300円)

右下が普通の親玉(500円)

です。

 

 


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そして別格も本四国同様『御影』が頂けます。

 

 

さぁ、後5時間後には高知に向かって出発しますよ!

今回は宿を予約しての初めての1泊お遍路です。

 

 

日帰りでようやるよな、ワシらwwwwwww