2018年8月巡礼記 神戸八宮巡り

 

さてさて今回は8/9のお話でございます。

 

 

前回鞍馬寺で新西国霊場を無事満願する事ができまして。

その時に由岐神社さまで御朱印を頂いたんですが。


f:id:KOBANNAD:20180815161509j:image以前に建勲神社さまで頂いた御朱印帳が残り8ページ(だと思い込んでいた)になってまして。

 

 

 

 

 

かつて生田神社に参拝した時に見つけて気になっていた

【神戸八宮巡り】

をやろうと思いまして。

 

http://www.eonet.ne.jp/~kstakakurasuma/1miya8miyahe.html

 

 

 

 

実際に朝から神戸に向かいました。

 

 

 

まぁ普通はやはり一宮から回るんでしょうが、

 

【遠い所から先に回って帰り道の距離を少なくする】

という参拝の仕方が染み付いちゃってますので

 

まずは大阪からいちばん遠いJR神戸駅に向かって七宮神社から。

 


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七宮神社(しちのみやじんじゃ)は神戸市兵庫区七宮町に鎮座する神社。生田裔神八社の一社。

「白藤家記録」に七宮神社は「延喜式」の八部郡汶売神社とある。主祭神である大己貴命は、大国主命大物主神、葦原醜男、八千矛神、大国玉神、顧国王神の七つの御名を称えて七宮神社という。
祭神
大己貴命・大日霊貴命・天児屋根命
歴史
神功皇后三韓征伐凱旋の時、大国主神を山の尾の波打ち際に奉斎。また、会下山方面の山麓に衆落を作っていた時代に、北風家が祀つた神が兵庫に移ったともいわれる。

応保元年(1161年)、経が島築造で難航した平清盛は、家臣阿波民部重能の進言を受け、社殿を造営。以後平家一族の崇敬が篤かった。
天正10年(1583年)1月19日、正親町天皇より七宮大明神の勅額及び三種の神宝の絵画を下賜される。
慶長7年(1602年)8月、片桐且元大久保長安が社殿造営の用材・太刀等を奉納。
享保20年(1735年)には繁華街を成し、各地の船舶業者が難を避けて当社に祈願した。
元禄5年(1692年)10月の指出帳に「七ノ官大明神除地、真言宗高野山学侶方蓼上普門院末寺、神宮寺社僧 眞栄」とあり、維新まで真言宗の神宮寺の社僧がいた。
寛政11年(1799年)西出町に住居していた廻船業を営む高田屋嘉兵衛は幕府の命で巨船を造り、国後島択捉島に向うに先だち、模型船3隻を献納して海上安全を祈願した。
明治6年1873年)6月村社に列す。
明治8年(1975年)2月郷社となる。
明治10年(1877年)5月県社に昇格。
大正11年(1922年)境内を改修。
昭和3年(1928年)社務所を改築。
昭和20年(1945年)神戸大空襲により、宝物等の全部を焼失。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815162720j:image御朱印貰いに社務所に行ったらお留守でした。

で、書き置きを頂いて御朱印帳の貼る場所を確認してたら…………

 

あれ?

残り10ページあるやんwwwwwww

 

数え間違ってたのかwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

そういえば先日行った観心寺さまには楠木正成公がおられたなぁ。

楠木正成公といえばここ神戸の湊川の戦いで亡くなられて、湊川神社があったよなぁ。

 

って地図アプリを開いてみると……

 

おぉ!

七宮から次の目的地までのちょうど間に湊川神社があるやないかい!

 

 

 

 

よし、もう一冊の正月長野で頂いた眞田神社御朱印
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も持って来てる事やし思いきって神戸神社巡りにしよう!

 

 

 

 

 

で、七宮神社からまずは湊川神社を目指して

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180815163743j:image途中御朱印はありませんでしたが、猿田彦神社がありました。

 

猿田彦さまといえは先達の神さまですから。

当然おまいりを致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

湊川神社に到着!


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f:id:KOBANNAD:20180815163940j:image巫女さんかわいい。


 

 

 

 

湊川神社(みなとがわじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目にある楠木正成を祭る神社。地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。建武中興十五社の一社で、旧社格別格官幣社である。

湊川神社(みなとがわじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区多聞通三丁目にある楠木正成を祭る神社。地元では親しみを込めて「楠公(なんこう)さん」と呼ばれている。建武中興十五社の一社で、旧社格別格官幣社である。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815173823j:image湊川神社御朱印

 

 

 

 

 

そして湊川神社からさらに北上し、

大倉山の駅近くに

六宮・八宮神社があります。

 


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八宮神社(はちのみやじんじゃ)は神戸市中央区楠町に鎮座し、生田裔神八社の六宮神社と八宮神社とが合祀された神社。

神功皇后三韓征伐の帰途、生田神社の裔神八柱の神を8か所に奉斎された内の2社で、坂本村の鎮守社。

明治12年(1879年)10月村社に列す。
明治20年(1887年)最初の神戸市役所が新築されるため、八宮神社が現在地に移転。
明治42年(1909年)5月7日、楠高等小学校(現・湊翔楠中学校)新設により六宮神社が八宮神社に移転。
大正4年(1915年)10月30日、神饌幣帛共進社に指定される。
大正14年(1925年)9月29日、正遷宮。本殿北側に六宮神社、南側に八宮神社が鎮座している。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

さて、

大倉山といえば神戸のローカルラーメンチェーン【もっこす】の総本店がある場所。


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しかも24時間営業です。

この日10時前くらいでしたが、


f:id:KOBANNAD:20180815164818j:imageチャーシューメンを喰らう!

 

 

 

 

やっぱりなんかパンチ弱くなった気がするなぁ。

 

 

 

 

 

そのまま店を出て向かうは次の五宮神社……


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への道中に近代的なお寺を発見!

 

 

東福寺(とうふくじ)は、兵庫県神戸市兵庫区にある寺院である。
歴史
寺伝によると延暦年間に操勅僧正(弘法大師の師匠)が開山。源平の戦いで一時焼失。延宝2年燈譽酉傳上人により浄土宗に改宗。本堂は、天明2年・明治39年昭和11年に建て替える。山号の伝説では、昔は海岸線が現在よりずっと山側にあって、湊川は流れが深く、船舶が上下し潮水が山門にまで達していたといわれる。
阪神大震災により、本堂庫裡共に全壊、平成10年に再建。(Wikipediaより)

 

 

 

更に登っていくと


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f:id:KOBANNAD:20180815165252j:image臨済宗のお寺で祥福寺さまというそうです。

 

お寺の方と少しお話をしたらなんと本来なら関係者以外入れない内陣から

奥の仏塔までおまいりさせて頂けるとの事。

 


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f:id:KOBANNAD:20180815165532j:imageありがたやありがたや


 

 

祥福寺(しょうふくじ)は兵庫県神戸市兵庫区五宮町にある臨済宗の仏教寺院。
歴史
貞享2年(1685年)12月、もと僧正眼が営んでいた平野五宮神社のほとりの小庵に、雲巌和尚によって創建され、盤珪禅師を招いて開山とし、禅寺の道場となった。
盤珪禅師は播州網干(今姫路市内)に生まれ、龍門寺を建て「西に盤珪、東に白隠」といわれるほどの大徳で、禅師を開基とする寺院は、全国で47ヵ寺、元禄3年(1690年)9月3日龍門寺で72歳で歿してから、勧請開山となった寺が150にもおよぶほど尊敬された。
享保年間(1716年~1735年)廬山妙覚和尚が入山。
元禄3年(1690年)の届出には境内16間に6間、本堂も2間に3間に過ぎなかったが、宇和島の伊達家菩提寺から黙伝和尚が来てから、寺域を拡げ僧堂を建て、明和年間(1764年~1771年)には30間に16間となった。
明治元年(1868年)正月、神戸警備のために来た長州藩兵数百名がこの寺にたむろして、兵庫、神戸を護衛した。
明治5年(1872年)、大坂高津の少林寺より匡通和尚が法脈を継ぎ、現在地に伽藍を建て、寺門いよいよ栄えて、妙心寺派屈指の道場となった。
寺は景勝地を占め、光村弥兵衛が寄進の宝塔が緑の山腹に景観美を添えている。
大正(1912年~)初めごろまで、寺の東の丘に梅林があり、梅の咲くころには兵神間の風流人でにぎわっていた。
なお平野には浄土宗の東福寺と、禅宗の地蔵院がいずれも検地であったが、祥福寺は創建の日も浅く年貢地であった。
札所本尊聖観世音菩薩は禅堂近くの圓通閣に安置されている。(Wikipediaより)

 

あれ?霊場の札所やなここ。

お寺の方に納経ありますか。って聞いたら無い言われたけど、

ひょっとしたら「御朱印ありますか?」って聞くべきやったのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

このお寺からすぐの所に五宮神社はあります。


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賽銭箱の横に


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御朱印がwwwwwww

 

 

セルフなのかよwwwwwww

 

 

 

 

五宮神社(ごのみやじんじゃ)は兵庫県神戸市兵庫区五宮町に鎮座する神社。生田裔神八社の一社。

出雲国能義郡天穂日神社よりこの地に勧請され、神功皇后が、三韓へ行かれた帰りに巡拝された一社とされる。古来より奥平野の産土神

江戸時代には寺社改めの時に、生田神社からは裔神八社の一つとして届け出ている。 明和の書上には氏神五ノ宮(幕府領の)境内二十八間に十二間、拝殿三間に二間、山神地神の小祠ありとある。

奥平野には、生田神社奉斎の時に祭主を命じられた海上五十狭茅の家と伝えられる名家があり、明治4年(1872年)湊川神社の創建で、兵庫県より湊川神社氏子に指定された時も、生田神社との深い関係を嘆願して、旧来通りとなった。(Wikipediaより)

 

 

 

 

実は後で分かった話ですが、

セルフ朱印ではなく手前の民家らしき建物で御朱印は頂けるそうですwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

五宮神社からバス通りへ向かいバスに乗り

次の目的地四宮神社に

 

 

 

降りたバス停を南に下れば四宮神社

北に登れば諏訪神社

 

 

って事で


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f:id:KOBANNAD:20180815170444j:image諏訪神社に向かうのだが、なんじゃぁこの坂道は!

f:id:KOBANNAD:20180815170529j:image本殿たどり着いた時には足パンパンw

 

 

仁徳天皇の皇后である八田皇后の離宮鎮護神として鎮斎されたとされる。 生田神社と長田神社の中間に位置することから、古くは中宮と称されていた。 1182年頃の治承・寿永の乱源平合戦)のおりに源義経が武運を祈ったという伝えがのこる。

諏訪神社(すわじんじゃ)は兵庫県神戸市中央区の諏訪山に鎮座する神社。

諏訪山公園(金星台、ヴィーナスブリッジ)と隣接している。奥の院からさらに上の道を行くと、大龍寺に向かう大師道につながる(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815174111j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして山を降る。

神戸の街中でなんでこないにフラフラなんやろw

サンダルで来たのは失敗やったなぁwwwwwww

 

 


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四宮神社にとうちゃーく!

御朱印にかわいらしい朝顔の絵も書いてもらいました。

 

 

 

 

 

四宮神社 (よのみやじんじゃ)は神戸市中央区中山手通に鎮座する神社で、生田裔神八社の1社。

神功皇后三韓征伐の帰途、生田神社の裔神八柱の神を8ヶ所に奉斎された内の一社で、四の御前神とも云う。

永禄10年(1567年)荒木村重織田信長の命により花隈城を築くと、当社を鬼門鎮護の神として神宝幣帛を捧ぐ。
天正8年(1580年)7月2日、城代荒木村正が敵対すると、信長は怒って池田信輝に落城させた。この時の兵火で社殿悉くを焼失。
安政元年(1854年)9月現在地に移転するも、この後社頭大いに荒廃する。
明治38年(1905年)6月2日失火により焼亡。
明治43年(1910年)社殿を再建。
昭和2年(1927年)11月19日村社に列す。
昭和20年(1945年)6月5日の神戸大空襲で大破。
昭和38年(1963年)5月10日に再建。
平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災で被災。
平成9年(1997年)に改築す。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

かなりバテたアタシは、

 

 

 

 

 

タクシーを拾いましたwwwwwww

 

 

 

まずは一宮神社へ

 

ここからは逆に一宮→二宮→三宮と回って電車の便の良さを考えてみました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180815171450j:imageオリジナル御朱印帳が安いなぁ。


 

 

 

一宮神社(いちのみやじんじゃ)は神戸市中央区山本通に鎮座する神社。生田裔神八社の1社。

神功皇后三韓からの帰途巡拝された一社で、生田裔神八社の一宮。

創建年代は不詳、一説には4世紀ともいわれている北野村の鎮守社。
元禄3年(1690年)の調書に「市の宮」とある。
昭和22年(1947年)山口神社(奈良県大柳生村)の境内社戸隠神社を模して社殿を再建。
昭和30年(1955年)本殿再建。(Wikipediaより)

 

 

 

 

さらに待たせてたタクシーに再び乗り


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f:id:KOBANNAD:20180815171712j:image二宮神社


 

 

二宮神社(にのみやじんじゃ)は兵庫県神戸市中央区二宮町にある神社。生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の二柱目に当たり、天忍穂耳尊アメノオシホミミ)ならびに応神天皇を祀っている。

古い記録がなく、創設された時期については不明。伝承によれば、生田神社建立の際、神功皇后が現在の神戸市内の天皇家ゆかりの神々を祀る八社を巡拝したことにさかのぼるという。 境内には「稲荷神社」や「椋白龍社」(むくのきはくりゅうしゃ)が置かれている。なお、町名の「二宮町」はこの神社に由来する。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

そしてみたびタクシーに乗り三宮神社

 

 

神戸の中心地三宮のど真ん中にあります。


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三宮神社(さんのみやじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区三宮町に鎮座する神社。生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たり、祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っている。

航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社。古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳。祭神は水の神である湍津姫命(たきつひめのみこと)。境内に「河原霊社」や「史蹟 神戸事件発生地碑」と当時の大砲が置かれている。

慶応4年(明治元年、1868年)には、三宮神社前において、岡山藩備前藩)兵と外国兵の衝突が発生した。明治政府初の外交事件となったこれを、神戸事件あるいは、備前事件と呼ぶ。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 


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社務所が閉まってたのでよく見たら

13:05(中途半端やなぁ)までお昼休憩!

って書いてました。

 

 

 

 

ブラブラと元町まで歩いて


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神戸餃子専門店の中でもアタシがいちばん好きな【赤萬】さんで昼御飯!

 

ビールは我慢した。

 

 

 

そして再び三宮神社御朱印を頂いて


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八宮巡りは無事満願達成。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815173942j:image八宮巡り全部

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

そこから阪神電車にゆられ一路西宮へ

 

 

 

 

 

 

 

えべっさんで有名な西宮神社へ。
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西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。

祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。

創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。

式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社神祇伯白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。

平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。
名称
「西宮」という名称の起源について以下のように諸説ある。

えびす神を最初に祀ったと伝わる鳴尾や古代の先進地域である津門から見て「西の方の宮」という説
京都から見て貴族の崇敬篤き廣田神社を含む神社群を指して「西宮」と称していたが、戎信仰の隆盛と共に戎社を「西宮」と限定して呼ぶに至ったという説
「西宮」とは上述の延喜式内社の大国主西神社の事を指すとの説(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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いったん阪神西宮駅に戻って、そこからバスに乗り

廣田神社を目指します。

 

 

途中…………

 

 

 


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西宮警察署バス停

西宮職業安定所バス停

間のバス亭の名前が
【中村】ってのが笑ってしまったwwwwwww

 

 

ゲンさんが捕まって無職になって職探しをする、みたいな感じwwwwwww

 

 

 

ひとりでバスの中で笑いこらえる44歳(ノ´∀`*)ヤバイ

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815173234j:image自販機もさすが西宮やなぁ。

 

 

 

 

 

なんてアホな事を考えているうちに

 

 


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廣田神社ひろたじんじゃ)は、兵庫県西宮市にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

日本書紀に当社の創建のことが書かれている。神功皇后三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。皇后の留守の間に忍熊王神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと明石で待ち伏せていた。戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。これが廣田神社の創建である。このとき、生田神社・長田神社住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。

朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。

当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。戦後、その東側の現在地に移転した。明治4年1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年に列格)。かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社社領であったという。六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ石の宝殿=現廣田神社の摂社)と六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。六甲比命神社は、インドの渡来僧法道仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされた。 六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。   昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。

廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、行政区画では廣田神社武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれている。えべっさんで有名な西宮神社は元は廣田神社の摂社、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といえる。(Wikipediaより)

 

 

 


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再びバスで阪神西宮へ

途中また中村バス停で笑いを堪えながら(* ̄▽ ̄)

 

 

 

 

 

そしてまさかの阪神尼崎へ

 

尼崎のえべっさん


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尼崎戎神社(あまがさきえびすじんじゃ)は、兵庫県尼崎市にある神社。別名倉持戎大宮、または「ちぢみさん(後述)」と呼ばれている 。商売繁昌の神様「尼のえべっさん」として参拝者に親しまれており、毎年1月9日より11日まで十日戎大祭が開催されている。

創建は醍醐天皇以前の時代であるという伝承が残されている。

正和年間に近江坂本の日吉神社に属する一社が尼崎に祀られ、その後別所町と別所村に分社、別所村字内畑(現・尼崎市西本町五丁目)には戎太神宮が建立され氏神として祀られた 。

戎太神宮は、近代には事代主神社(ことしろぬしじんじゃ)を経て現在の社号へ改称。太平洋戦争中の1945年(昭和20年)には、社地が空襲時の家屋疎開用地に指定されたが、終戦により撤去を免れている。

古代の当神社は海辺に近く、漁業航海を守る海の神様としてえびすと同一視された事代主(ことしろぬし)が主祭神とされた。その後市内の商業・工業が発展してからも、商売繁盛の神様として崇拝されている。

またその昔、菅原道真が九州の大宰府に向けて航海する途中尼崎に立ち寄り、立ち並ぶ老松や砂浜の景観に感銘を受けた「琴の浦」に関する逸話にちなみ、学問の神様(天神様)として祀られている。

当神社の社地は南北朝以来数々の戦火に巻き込まれ、また災害を被る毎に社勢が衰え、分断や縮小を余儀なくされていったことから、前述の「ちぢみさん」の別称が付いたと言われている。

現在の社地は東に向かって狭くなる細長の三角形をしており、拝殿等の建築物は西側に寄せられている。社地のほぼ中央に大鳥居が建てられており、周囲には遊具やベンチ等が設置され、普段は神田公園の名称で開放されている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180815174921j:image実はここの御朱印はかわいらしいので有名なのです(ミーハー発言)

 

 

正直、思ってた以上に疲れたw