2018年7月巡礼記 その2

ご無沙汰してますKOBANNADです。

 

 

 

 

猛暑、大雨とこの7月は酷かったですね。

 

 

 

 

 

被害にあわれた方のご冥福今更ながら心よりお祈り致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ってまあもうお盆ですね。

 

 

 

実はこの間に前の会社を辞めて、転職を致しまして。

 

 

その準備やら引き継ぎやらでバタバタとしておりましてね。

 

 

その間もまぁしっかりと巡礼はあちこち行ってたりするのですが、

 

 

 

その模様をボチボチと書いて行こうと思っております。

 

 

 

 

 

 

ではさかのぼること西日本豪雨の時です。

 

本当でしたらあの時カーチャンとカーチャンの先生とゲンさんと、

四国の善通寺からスタートして法然上人霊場法然寺とか色々行く予定やったんですが、

 

まぁ流石に行ける状態ではなかったので残念ながら中止しまして。

 

 

 

7/10に一人で仕事前に西国18番六角堂頂法寺さまに、

カードキャプターさくらで有名なCLAMPと西国霊場会がタイアップして作った納経帳が出たとかで買いに行ったら売り切れてた。

 

とかみたいになかなかこう上手くいかない流れが続いてありまして。

 

 

 

 

 

7/16海の日に

カーチャンと二人でよくわかりませんが比叡山に登ってきたり(海全く関係ないよね)しました。


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いわゆる【根本中堂】のある東塔地域ではなく、

今回は新西国が目的ですので横川中堂の方へ向かいました。


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お堂の中でお勤めをしまして。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180814111902j:image納経印

 

 

 

横川
西塔から北へ4キロほどのところにある。嘉祥3年(850年)、円仁(慈覚大師)が建立した首楞厳院(しゅりょうごんいん)が発祥である。

横川中堂(よかわちゅうどう) - 新西国三十三箇所音霊場第18番札所。旧堂は1942年、落雷で焼失し、現在の堂は1971年に鉄筋コンクリート造で再建されたものである。本尊は聖観音立像(重文)。
根本如法塔 - 多宝塔で、現在の建物は大正期の再建。円仁が法華経を写経し納めた塔が始まりである。
四季講堂(元三大師堂)(重文) - 四季に法華経論議を行うことから四季講堂と呼ばれる。おみくじ発祥の地である。
恵心院
安楽律院 - 天台宗安楽律法流の道場。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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ゲンさん………やなくて元三大師堂にもお参りをしまして。

 

 

 



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ロープうぇーいwに

ひぇーいw言いながら←お約束

 

八瀬比叡山口まで下りてきて、

叡山電鉄乗って貴船神社へ。

 

 

 

祇園祭の時やったんで人多い、暑い、ウザい!

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180814113009j:imageカーチャンも流石に暑さにやられとりましたw

 


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貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都府京都市左京区にある神社。式内社名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格官幣中社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約450社ある貴船神社の総本社である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という

水神である高龗神を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。

古来より、晴れを願うときには白馬が、雨を願うときには黒馬が奉納されたが、実際の馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されたこともあり、このことから絵馬が発祥したとも言われる。

また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には、丑の刻であるかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に、本来の意味が変質したものと思われる。

付近は京都でも有名な紅葉の名所のひとつである。

神水は京都の水脈の源流である貴船から流れるものであり、飲料可。

創建の年代は不詳であるが、社伝では反正天皇の時代の創建としている。社伝によれば、神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まると伝えている。社名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える。「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。

白鳳6年(666年)に、最も古い社殿造替えの記録がある。日本後紀に、延暦15年(796年)、東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に貴船神社の神が現れ、鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されている。

延喜式神名帳』には「山城国愛宕郡 貴布禰神社」として記載され、名神大社に列している。後に二十二社の一社とされ、保延6年(1140年)に最高位の正一位の神階を授けられている。

永承元年(1046年)7月、出水により社殿が流失し、天喜3年(1055年)、現在の本宮の地に社殿を再建・遷座して、元の鎮座地は奥宮とした。当社は長らく賀茂別雷神社上賀茂神社)の摂社とされてきたが、これは天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説がある。近世以降、それを不服として訴えが続けられ、明治以降になってようやく独立の神社となった。江戸時代までは賀茂別雷神社の祭神である賀茂別雷命も祭神としていた(Wikipediaより)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180814113424j:image御朱印
f:id:KOBANNAD:20180814113432j:image奥宮御朱印

 

 

 

 

 

 

そしてこの日いちばんの目的が
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一澤帆布貴船神社限定の御朱印帳入れデース!

 

 

まぁ実は以前まだ私が遍路どころか御朱印すら始めてなかった頃、

名古屋の先達DJことウチのきゃんで姉上とこの「比叡山貴船神社」ってのは来た事がありまして。

 

その時からこの御朱印帳入れは欲しくてですね。

 

やっと念願叶った、という訳なのデース!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、約1ヶ月半の巡礼記が溜まっております。

 

今日はひとまずこれで。