2018年5月 新西国巡礼 その1

暑くなってまいりました。

 

ウチの店の前もしっかり打ち水でもしないと、かなりアスファルトが昼の陽射しで焼けてきつつあります。

 

弱めに冷房入れないとなかなかしんどい状況皆さま如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

また今朝も仕事前に巡礼に行って、眠い目をこすりながら仕事をしておりまする私KOBANNADでございます。

 

 

 

 

さて17日ないし18日といいますと各地の観音さまの縁日になっており色々と催し等が行われております。

 

 

 

西国の岩間寺では朝から恒例のシャトルバス→先達も走る先達ダッシュが行われていたのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

アタシは今朝は京都長岡京に向かい、

JR長岡京→阪急西山天王山→柳谷観音へと、月に一度のご縁日のシャトルバスに乗ってお参りに行って参りました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517184413j:image駅前バスロータリーにあるシャトルバス乗り場にはのぼりが立っております。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517184518j:imageお寺の山門に着くと開門前に人々が

ごった返しておりました。

さすがは眼病に霊験あらたかと言われてる柳谷観音さまですな。

 

 

 

 

 

 

楊谷寺(ようこくじ)は京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷にある西山浄土宗の寺院。独鈷水(おこうずい)の寺として、また近年は紫陽花の寺としても知られている。通称柳谷観音(やなぎだにかんのん、楊・柳ともにヤナギの意)。縁日は毎月17日。

寺伝では清水寺の開祖延鎮が大同元年(806年)に開山したとされ、延鎮が夢告によりこの地で十一面千手千眼観世音菩薩像を感得し、堂を建て安置したのが始まりとされる。その後延鎮が清水寺に帰った後に空海が度々、ここで修行をした。

弘仁2年(811年)、楊谷寺を参詣した空海は、堂の傍らの湧き水で、眼のつぶれた小猿を抱いてその眼を懸命に洗っている親猿を見かけると、小猿のために17日間の祈祷を行った。すると満願の日に小猿の眼が見事に開いた。それ以来、空海はその湧き水を眼病に効く独鈷水として広めたという。

独鈷水は、江戸時代に眼の悪かった霊元天皇がそれで眼病を治癒されたのをきっかけとして、以後歴代の天皇へ献上されるようになり、明治時代となって皇居が東京に移るまで献上は続けられた。

東山天皇の皇妃新崇賢門院が当山の本尊に祈祷したことにより、後の中御門天皇が誕生した。それにより、そのお礼として、中御門天皇が当山ご本尊を模し、勅刻された仏像が奥之院のご本尊として祀られている。(Wikipediaより)

 

 

 

 


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立派な本堂もありまずは手水場でお清め→本堂でお勤めを。

 

 

 

…………いきなり納経所ダッシュしてる奴らが居るよwwwwwww

 

 

アタシは普通にお勤めをしてから納経所に。

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180517185137j:image実は柳谷観音さまはご縁日限定で、

押し花付きのご朱印を賜る事が出来ます。

 

【数量限定】でw

 

 

まぁ朝イチやったので普通に頂けましたけど、ただのスタンプラリーの方々が多かったですわ。

 

 

 

しゃあない、本四国やないんやから。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517185409j:imageこちらは新西国の納経印

 

左上の青い印もご縁日限定だそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、再びシャトルバスに乗る。

同じく長岡京駅まで戻って今度は高槻へ。

 

 

 

バスに乗りひたすら山の中へ。

 

 

 

 

バス亭から約1,5キロほど山道を歩いて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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新西国霊場第14番札所 神峯山寺

 

 

【かぶさんじ】と読むそうな。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180517185947j:imageかなり素晴らしい山寺です。



 

多分ゲンさん好きだろうな。

 

 

 

 

神峯山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原に位置する天台宗の仏教寺院である。山号は根本山(こんぽんざん)。日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれており、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。初夏は新緑、晩秋は紅葉の名所として知られる。新西国三十三箇所第14番、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道第64番。

神峯山寺は高槻市の中心部より北へ約6 km、原地区という田園風景が広がる農村部山間の山寺である。行政区は大阪府であるが、地理的には京都盆地の西側、西山連山から続く最西端に位置する。敷地約100haのほとんどは山林で覆われ、一帯を総称して神峯山といい、都市近郊の貴重な原生林が現存。参道に張られた勧請掛けが聖域と俗世の境界を示すとされる。

また、開山の祖とされる役小角役行者)、中興の祖である開成皇子の像が境内に安置され、古来の皇室との緊密な関係は本堂の十六八重菊紋などで確認できる。また、かつて七高山と称された修験霊場の一角であり、修験者が使用した修行の道や滝、葛城山遥拝所を示す石標などが境内の各所に点在する。神峯山の参道入口には石造の鳥居が立ち、仁王門前には狛犬があるなど神仏混淆の風土が現在も見られる。
歴史
 
開山伝承
「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角葛城山金剛山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、神峯山寺に位置する場所にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。

さらに縁起によれば、刻まれた残り3体の毘沙門天は天高く飛散し、1体はかつて神峯山寺奥之院「霊雲院」であった北山本山寺に、1体は京都市左京区鞍馬寺に、1体は奈良県生駒郡平群町信貴山に安置されたと伝わっている。これら寺院の本尊は現在も毘沙門天であるが、この逸話はあくまで神峯山寺の縁起によるものであり関連は定かではない。

開山以後、神峯山寺は修験霊場として多くの修験者を迎え入れたとされ、同じく近畿の修験霊場として名高い比叡山、比良山、伊吹山愛宕山金峰山葛城山に並ぶ七高山の一角として大いに栄えたとされている。
中興
宝亀5年(774年)、光仁天皇の子息であり桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子が、勝尾寺(現・大阪府箕面市)から入山し、光仁天皇の命によって本堂を創建して住職となった。これを機に神峯山寺は天台宗仏教寺院となる。また光仁天皇の勅願所となって以降、神峯山寺は皇室に緊密な天台宗寺院となり、その関係は幕末まで続いていたとされる。境内には開成皇子の埋髪塔(五重塔)や、光仁天皇の御分骨塔(十三重塔)があり、天皇と皇室を表す十六八重菊の使用が認められ、各所に菊の紋章が見られる。
平安時代後期
平安時代後期に、天台宗僧侶であった良忍が開宗した融通念仏宗の源流が大原、鞍馬を通り神峯山寺へ伝わったとされ、神峯山寺秘密縁起4巻の冒頭にはその説話が残されている。

大治元年(1126年)の頃、摂津に橘輔元(たちばなのすけもと)という役人がおり、極めて裕福であったが七度の火災で家財がすべて失われ、輔元の父、子にわたる三代にわたって癪の病にかかるという苦しみを受けた。輔元は奥之院の毘沙門天の宝前でこの苦しみから救われるよう深く祈祷し、九頭龍滝に打たれるなど苦行を行ったとされている。そして輔元とその子息は、後に良恵、忍恵と名乗り、良忍の弟子となり神峯山寺の住職を継いだといわれる。
鎌倉時代以降
神峯山寺本尊・毘沙門天が武将による信仰を厚く受けていたのは、鎌倉時代末期からであったとされている。楠木正成が奉納したと伝わる殿中刀は現在も神峯山寺本堂に所蔵されており、室町幕府三代将軍・足利義満、摂津守護代三好長慶に仕えていた松永久秀や、豊臣秀頼の生母淀殿らによる寄進があった。これらは毘沙門天が戦いの神として崇拝されたことに起因するようだが、経緯は定かではない。
江戸時代
上方文化が栄えた元禄時代の頃より、神峯山寺は大坂商人から厚い信仰を受け巡礼地として栄えた。これは毘沙門天七福神の一神であったことから、商売繁盛を祈願するために商人達が淀川を上り、三島江から神峯山寺まで歩いて参拝したことが記録されている。江戸時代の代表的な豪商である鴻池善右衛門もまた巡拝者の一人であり、三島江から神峯山寺参道にかけて十数か所に石造の道標を建立した。

神峯山寺は江戸時代に隆盛期を迎えた。最盛期には七つの堂に加え伽藍および僧坊が21か所、寺領は1,300石あり、奈良県生駒郡平群町にも飛地が存在したことが神峯山寺秘密縁起に記録されている。しかし、明和2年(1765年)に火災により本堂を消失して以降、安永6年(1777年)に再建されたものの、規模は徐々に縮小し、現在に至っている。

しかし、昨今の調査で宝塔院(本坊)にて徳川幕府2代将軍徳川秀忠から14代徳川家茂に至までの位牌が発見されるなど、江戸末期においても徳川将軍家との密接な関係があったことが確認されている。
幕末 - 明治
本堂にかかる「日本最初毘沙門天」の扁額は、伏見宮邦家親王の真筆であり、同時期には明治政府の要人であった有栖川宮熾仁(たるひと)親王が神峯山寺本坊の「宝塔院」と書いた真筆を奉納している。また有栖川宮熾仁親王の祖父母にあたる有栖川宮5代韶仁(つなひと)親王と宣子(のぶこ)女王の位牌は嶺峯院に祀られているなど、幕末から明治期にかけても皇族との関係が密接であったことを表している。
本尊
神峯山寺の本尊は3種の毘沙門天で構成されるという珍しい形態をとっており、それぞれ第一の本尊、第二の本尊、第三の本尊と称されている。いずれも秘仏だが、第二の本尊・兜跋毘沙門天のみ秋の大祭の折に開帳される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190231j:image新西国の納経印

 

ご本尊毘沙門天さまのご朱印はまた後日。←忘れてただけ

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190338j:image途中の山道からは名神高速が見下ろせます。

 

 

 

 

そして、バス亭まで戻って高槻駅に向かうバスを途中下車。

 

 

新西国霊場客番(番外)安岡寺に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………再びはじまる悲劇の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて西国4番施福寺に初めて行った時と同じく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ナビに騙される】wwwwwww

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190552j:imageルート通り行くと住宅地に行ってしまい、お寺にはたどり着けない(^q^)

 

 

 

 

 

ぐるーっと迂回してクソ暑い中5キロ以上予定外に歩かされたwwwwwww

 

 

 

まぁ、本四国の歩きの練習やと思えば←夜普通に仕事(^q^)

 

 

 

 

で、


f:id:KOBANNAD:20180517190943j:image住宅地の反対側まで回ってとどめにきつ目の坂を登って

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517191034j:imageとうつきー

 安岡寺【あんこうじ】と読みます。

 

 

やすおか やと思ってたwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

安岡寺(あんこうじ)は、大阪府高槻市にある天台宗系単立の寺院。 本尊は如意輪観音秘仏)。毎年2月1日には、柴灯大護摩供が行われ多数の参詣者でにぎわっている。通称「高槻観音」「弘紹不動」。

 

寺伝によれば、桓武天皇の兄で、光仁天皇の子にあたる開成皇子がこの地に霊験を感じ、自ら観音像を彫り堂宇を建て、宝亀6年(775年)2月18日に創建したと伝えられている。南山と号し、根本山・神峯山寺、北山・本山寺とともに北摂三山寺として天台宗に属する。開成皇子の弟子である開智が、一字一石の大般若経600巻を書写して背後の岡に安置したことから安岡寺般若院と呼ばれる。

文安年間(1444~1449年)に天災により堂宇を焼失するが永正年間(1504~1521年)に高誓が再建した。天正年間(1573~1592年)には、三好氏やキリシタン大名としても有名な高山右近の兵火により堂宇が焼失したが、寛文年間(1661~1673年)に良盛によって復興された。江戸時代には将軍家の拝領を受け、大日院、藤本坊、阿弥陀院、泉蔵坊の4塔頭をもつ巨刹となったが、明治時代の廃仏毀釈により荒廃し現在の規模となった。
文化財
木造千手観音坐像(国の重要文化財
平安時代後期の作。境内の青梅観音堂に安置される。元々は付近にあった安正寺の本尊である。廃仏毀釈により明治3年(1870年)に安正寺が廃寺となったためにここに移された。日曜・祝祭日に開帳される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517191349j:image叶(かのう)観音


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f:id:KOBANNAD:20180517192009j:image納経印




 

 

正直、疲れてもいたし眠かったのもありますが。

 

何より時間のロスが多かったので、お寺までタクシーを呼ぶ!

 

 

 

高槻駅まで!

 

 

 

 

しかし!

 

 

 

 

 

 

仕事も大切やけど!

 

 

 

 

 

 

 

 

腹が減ってはなんとやら!


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高槻駅前のうどん屋さんでカレー丼と冷やしぶっかけそばをかっこんで仕事に戻ってまいりました。