高野山に参拝。 そして再開!新西国霊場巡礼

 

 

 

 

三寒四温といいますが

寒くなったり暑くなったり忙しい今日この頃

 

 

皆さま如何お過ごしでしょうか?

KOBANNADです

 

 

 

 

まずは 先日の4/1の日曜日のおはなし。

 

 

朝から始発の南海の急行でアタクシは一路高野山を目指しておりました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180409222342j:image北野田にきたのだ!

 

 

アライさんかっwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180409222435j:image久しぶりのアライさん

 

 

 

 

 

ま、それはさておき昨年の台風で通行止めになっていた高野線区間も無事に再開開通したのでいつも通り参拝できました。

 

 

 

 

それまでは高野下からバスでピストン輸送してたそうな。

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20180409222729j:image途中の下古沢の駅でサクラが綺麗やったのでパチリ。

 

 

 

実はこの4/22に先日インフルエンザで中断しておりました四国遍路2巡目に行きますので、まずはお大師さまに報告と旅の無事をお参りにきたのだ!……じゃなくて来たのです。 

 

 

 

奥の院へ伺って、納経所で重ね印を頂く。

 

「お兄ちゃん、また四国行きはるんか?」

「はい!2巡目行ってまいります。」

「気をつけてな、待ってるからな!」

 

納経所のお寺さんの一言がやはり嬉しい。

 

 

「頑張ろう」って気持ちになれるもんね。

 

 

 

 

お掃除してはるお坊さんや、参与の方々とご挨拶を交わしながら一路金剛峯寺へ。

 

 


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しかし欧米系の外国人が多い。

この時間やから宿坊に泊まったんやろねぇ、羨ましいわ。

 

 

お勤めをしてこちらでも重ね印を頂いて本堂を出た時に外国人3人くらい連れてる日本人女性に、

 

「すいませんこちらのお寺の方ですか?」

 

 

いやいや、アタクシはただの一介の遍路でございますよwwwwwww

高野山総本山金剛峯寺の人間と間違えられるなんてwwwwwww

おこがましいおこがましいwwwwwww

 

 

本坊への入り方が分からないそうだったので説明をさせて頂きました。

 

 

 

 

金剛峯寺の山門から駐車場に行く手前でも外国人の方々からひっきりなしに

 

 「オハヨーゴザイマース」とご挨拶を頂いてしまいました。

 

 

間違いなく遍路とお坊さんの区別ついとらんなwwwwwwwwwwwwww

 

 

気持ちが良かったのでついつい笑顔になってしまいます。

 

ありがたい話です。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180409232124j:image午前中で参拝終了。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180409232154j:imageこうやくんの納経帳をゲットしたのはミーハーっぽいかしらw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、その次は4/4と4/5のおはなし。

 

 

タイトルにも書きましたが、先日なんとなくひとりで部屋の風呂にボーっと浸かってた時に

 

「新西国今年中に終わらせる‼️」

 

と、いきなり思いついたというか決意を固めたというか。

 

 

 

んで、色々とプランを考えたりしとったんですが

「コレちょっと気合い入れんと終わらんな」

 

 

って結論に相成りまして。

 

 

 

平日の仕事前にも行けるところはお参りに行こうと。

 

 

 

 

で、まずは川西市にあります

新西国霊場第13番札所【満願寺】さま。

 

 
f:id:KOBANNAD:20180409232354j:image源氏ゆかりのお寺とな!

そりゃアタクシのご先祖さまやがな!

 


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f:id:KOBANNAD:20180409232522j:image山門
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f:id:KOBANNAD:20180409232550j:image本堂
f:id:KOBANNAD:20180409232612j:imageお不動さん
f:id:KOBANNAD:20180409232646j:image観音堂

 

 

 満願寺(まんがんじ)は兵庫県川西市満願寺町にある仏教寺院。山号は神秀山 、宗派は高野山真言宗。本尊は千手観音菩薩満願寺町川西市飛地であり、周囲は宝塚市である。

寺伝では、奈良時代聖武天皇の勅願によって勝道上人が日本全国に「満願寺」を創建することとなった。当寺はそのうちの摂津国満願寺であるとする。

また山号であり山の名である神秀山の由来として『摂陽群談』によると、スサノオノミコト高天原から出雲国に追放された際に最初に地上に降り立った山であることからこの名が付けられたとする。

平安時代中期には多田院を創建した源満仲が帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄え、やがて多田三山の一院となった。

鎌倉時代の正中2年(1325年)には後醍醐天皇によって勅願寺となり、室町時代に入ってからは源氏一門である足利将軍家の祈願所となり、最盛期には四十九の坊院が存在していた。

江戸時代の宝歴6年(1756年)には円覚院、龍池院、西芳院、新坊など二十近くの数の坊院があったが次第に衰微していき、明治時代に入ると現在本坊となっている円覚院しか子院は残らなかった。

山門にある仁王像は多田院が神仏分離によって多田神社になった際に当寺に移された多田院南大門の仁王像である。(Wikipediaより)

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180409232858j:imageサクラが綺麗でした


 

 


f:id:KOBANNAD:20180409232917j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180410115140j:image門前の【キリン】の自販機でトマトジュース買ったら【カゴメ】のトマトジュースが出てくる兵庫クオリティwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてその後、

雲雀丘花屋敷から阪急に乗り15年ぶりくらいに曽根駅下車、徒歩5分くらい。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180410115039j:image途中に参道の案内が出てます。

おもいっきり住宅街の中ですがwwwwwww

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180410115318j:image新西国霊場第12番札所【東光院 萩の寺】

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180410115412j:imageタイミング悪く小銭が無かったりするのでこのタイプで拝観料の取るのやめて欲しいなぁ。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180410115538j:image魯山人観音とはなんぞや?


 

 


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 東光院(とうこういん)は、大阪府豊中市南桜塚にある曹洞宗の寺院。山号は仏日山。本尊は薬師如来。境内に萩が植えられ「萩の寺」とも称される。新西国三十三箇所第12番札所である。

元は大阪市北区中津にあり、1914年(大正3年)に現在地へ移転した。境内の随所に萩が植えられているため「萩の寺」と称されており、毎年9月には「萩まつり」が催される。正岡子規も当寺の萩を賞して句を残し、境内に句碑が立てられている。

天平年間(729年から749年)行基によって創建されたと伝えられ、1681年(天和元年)曹洞宗に改められたという。本堂には本尊薬師如来坐像のほか、札所本尊の十一面観音立像、西国七福神の一番とされる毘沙門天及び両脇侍像、平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている木造釈迦如来坐像などが安置されている。

1873年明治6年)には、大阪天満川崎(現・大阪市北区天満1丁目、造幣局一帯)にあった川崎東照宮が廃社されるのに伴い、東照宮本地堂「瑠璃殿」(現・東照閣仏舎利殿)とその本地仏である徳川家康ゆかりの厄除薬師如来坐像(現・三十三観音堂本尊)を当地に移す。

十一面観音立像は「こより観音」と通称され、1985年(昭和60年)の修理で、法華経の料紙を「こより」にしたものを衣として着せ掛けた、全国的にも珍しい仏像であることがわかった。

なお庭園「萩露園」の名称は北大路魯山人が命名したものである。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180410115753j:image納経印

 

 

新西国三十三観音霊場………なのに【薬師如来】!?

 

 

 

まぁいい。

深く考えないでおこう。

 

 

 

 

 

 

で、翌日。

 

またも朝から南海へ。

今度は南海本線w

 

 

ひとまず貝塚へ。そっから乗り換え。


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f:id:KOBANNAD:20180410120027j:image水間鉄道

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180410120102j:image行き先はそう

 

【水間さん】で有名な水間観音へ。

 

 

駅から徒歩10分弱くらいかなぁ。

 

 

 

 

新西国霊場第4番札所【水間寺

 


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 水間寺(みずまでら)は、大阪府貝塚市にある天台宗別格本山の寺。水間観音の通称で知られる。本尊は聖観世音菩薩。周辺とともに大阪みどりの百選に選定されている。

寺伝によれば、天平年間(729年-749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものという。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基が2つの川が合流する「水間」にやってくると観音の化身である16人の童子に遭遇、誘われて滝に向かうと竜神が現れ聖観音像を授けられたと伝わっている。その滝は、現在の本堂の裏を流れる小川にあったらしく、現在は岸辺に設置されたフェンスに「聖観音菩薩出現の滝」と墨でかかれたボードが設置されている。

中世より武家による手厚い保護を受けていたが、紀州征伐の際に紀州勢に与したため、1585年(天正13年)に堀秀政の軍勢に攻められて焼失した。一時衰退したものの、岸和田藩主岡部氏 の帰依を受け、元禄年間には堂宇も再建された。その後、1784年(天明4年)の火災で再び焼失。1811年(文化8年)に本堂が再建され、1827年(文政10年)には他の堂宇も再建された。

井原西鶴の『日本永代蔵』の第1話「初午は乗て来る仕合」に「泉州水間寺利生の銭」と記されたことで全国的に知られるようになった。1925年(大正14年)には参拝客を運ぶための水間鉄道が開通している。(Wikipediaより)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180410120450j:image納経印

 

 

 

 

 

さあ、次は西国巡礼のおはなしですよ。

今回は全てひとりで回ったので。

全国のゲンさんファンの方々すみませんでした。