お伊勢詣り

桜がだんだん咲きエエ感じになってまいりました。

 

しかし相変わらず花粉は猛威を奮っておりますね。

 

夜中にウチのマンションはなかなか壁が薄いので隣やら階下からのくしゃみが鳴り響いております、無論アタシもですがw

 

 

 

さて、まずは先週3/18(日)のお話から。

 

 

 

 

ゲンゲンと朝から待ち合わせまして、

珍しく電車で天王寺に向かいました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326211553j:image
f:id:KOBANNAD:20180326211608j:image
f:id:KOBANNAD:20180326211620j:image


新西国三十三観音霊場 客番

清水寺

 

 

大阪にも清水寺ってあったんですね(;゜∀゜)

 

 

【仮本堂】と書かれた納経所の2階にありますご本堂にてお参りを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清水寺(きよみずでら)は、大阪市天王寺区伶人町(れいにんちょう)にある仏教寺院。宗派は天台系の和宗に属する。山号は有栖山であり、詳名は有栖山清光院清水寺(ありすさん せいこういん きよみずでら)である。和宗総本山四天王寺支院。宗教法人としては清光院で登録されている。

大阪市内唯一の天然の滝とされる「玉出の滝」(たまでのたき)があることでも知られている。

京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。境内の西側の崖に「清水寺舞台」と称するテラスがあり、京都の清水寺を彷彿とさせるが、現在はテラスだけで堂はない。

創建の時期や事情については判然としない。もとは有栖寺(うすじ)と称していた。

寛永17年(1640年)に延海阿闍梨(えんかいあじゃり)により中興された。延海は観世音菩薩の御告げを受けて、京都の清水寺を模した舞台造の本堂を建立し、本尊として京都の清水寺から迎えた千手観音像(聖徳太子作の伝承をもつ)を安置した。当寺の境内は北・西・南の三方が崖になっており、往時は大坂の街や大阪湾を見渡す眺望の地であった。

(Wikipediaより)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326212122j:image納経印

 

 

 

  

 

 

 

 

 

さてそこから徒歩すぐにあります

 


f:id:KOBANNAD:20180326212352j:image

真田幸村終焉の地と言われております

安居神社】へ

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20180326212508j:image
f:id:KOBANNAD:20180326212522j:image
f:id:KOBANNAD:20180326212534j:image神社なのか天満宮なのか
f:id:KOBANNAD:20180326212549j:image
f:id:KOBANNAD:20180326212620j:image
f:id:KOBANNAD:20180326212657j:image
f:id:KOBANNAD:20180326212707j:image




 

安井神社(やすいじんじゃ)とは大阪府大阪市天王寺区にある神社。安居天満宮ともいう。安居天神、安居神社とも。

創建年は不詳であるが、当社は少彦名神が祭られており、天慶5年(942年)から菅原道真が祭られるようになったと伝えられている。菅原道真大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとった為にその名がついたという伝承がある。

明治に書かれた『大阪けんぶつ』では、当社は菅原道真ではなく少彦名神を祀る神社であり、道真が休んだから「安居」となり、近くに天王寺三名水の井戸があることから「安井」となったと伝えられるが、考証がないため信じられない、としている。境内には桜や萩などがあり、茶店もあって見晴らしよく、遊客も多かったという。摂津名所図会、浪速名所図絵でも花見の名所として選ばれている。

大丸の創業者の下村彦右衛門正啓がよく信仰していたので大丸天神と称されることがある。

また、大坂夏の陣真田信繁(幸村)が当神社境内で戦死したと伝えられ、境内に戦死跡之碑が、他に古来、名水特に七名水として名を馳せた安居の清水(別名:かんしずめの井)の址などがある。

上方落語の「天神山」の噺の舞台としても登場する。同じく登場する一心寺とは国道25号線を挟んで向かい合わせにある。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326212944j:image御朱印

 

今回、真田幸村つながりで正月に信州上田の眞田神社で買った方の御朱印帳持っていったんですが、宮司さんがそれを見て。

「ほー、金の文字で書いてるんかぁ」

「お正月限定らしいですわ」

「お兄ちゃん正月上田まで行きはったんかいな、ご苦労さんやな」

 

みたいなやりとりを。

 

 

 

 

 

 

 

 

そっから向かいにある一心寺さんに

法然上人二十五霊場の札所ですからねー。

 


f:id:KOBANNAD:20180326213903j:image
f:id:KOBANNAD:20180326213950j:image

 

…………って!お彼岸やからか!

無茶苦茶ごった返してる!

 

 

 

話し合いの結果、今回は参拝そのものも諦めて後日落ち着いてお参りに来ることに。

 

 

 

で、そのままストフェスコスプレイヤーのごった返す日本橋を抜けて、

かどやで焼肉&ビールと洒落込み、夜のミナミの街に消えて行ったデブ二人でしたwwwwwww

 

 

 

 

 

で、

 

タイトルのごとく。

 

昨日3/25に、

明け方5時前からスタートして。

 

私ことKOBANNAD、そしてウチのカーチャン

 

【北新地の将軍様】こと中村ゲンゲン

 

【山科のリックドム】こと変質者(笑)小川氏

 

の最近定番化してきた4名で今回は西国巡礼ではなく、

 

ゲンゲンの先祖がどうやら伊勢の出仕らしい&法然上人二十五霊場最東端欣浄寺に行く、

とまぁほとんどゲンゲンに合わせたようなツアーと相成りましたwwwwwww

 

 

 

 

 

まずは伊勢の正式参拝作法に則って

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326214929j:image
f:id:KOBANNAD:20180326214942j:image
f:id:KOBANNAD:20180326214956j:image
f:id:KOBANNAD:20180326215007j:image
夫婦岩で有名な二見浦にあります、

二見興玉神社】に。

 

 

 

 

 

 

 

二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。旧社格は村社で、現在は神社本庁別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。

猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。

夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。

猿田彦大神天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいる。これは「蛙」の「カエル」に「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」の「カエル」を掛けた 験担ぎである。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326215540j:imageそのカエルさん

 

 

 

 

 

古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行う。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326215232j:image夫婦岩


f:id:KOBANNAD:20180326215247j:image近くから

 

 

 

 

夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。この名称がついた時期は定かではないが、江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に大注連縄を張った夫婦岩の絵が載せられている。

夫婦岩の間から太陽が昇る写真が、初日の出のイメージとしてカレンダー等で使われることがあるが、夏季に撮影した写真を使ったものであり、冬季は角度的に夫婦岩の間から太陽が昇る光景を見ることはできない。夏至の前後約4か月間は、夫婦岩の間から御来光が拝め、特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となることから、梅雨の最中にもかかわらず、近隣の二見浦旅館街の宿泊客やカメラマンが多数訪れる。また冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもでき、満月の日には大勢のカメラマン・参拝者が訪れる。

根尻岩は1918年(大正7年)の台風によって根本より折れ、1921年(大正10年)に菅組が修理をしている。その際、設置角度が変わったため、現在は片理の方向が立石とは異なっている。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326215436j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから内宮近くにあります

 


f:id:KOBANNAD:20180326215516j:image
f:id:KOBANNAD:20180326215607j:image

「みちびきの神・先達の神様」で有名な

猿田彦神社】へ

 

 

 

 

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)は、三重県伊勢市伊勢神宮内宮の近くにある神社である。猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神とする。旧社格無格社社格がないという意味ではなく「無格社」という社格)で、第二次大戦後は別表神社となった。

日本神話によれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。

猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。

境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326220546j:imageなんとなくですが、身震いがした感じがしました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326220628j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、いざ外宮へ

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326220724j:image誰だ?コイツw

 

 

 

 

 

豊受大神宮(とようけだいじんぐう・とゆうけ-)は、三重県伊勢市豊川町にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。式内社(大社)。

 


f:id:KOBANNAD:20180326220917j:image本殿前

 

 

 

伊勢市街地、JR・近鉄伊勢市駅から外宮参道を通って5 - 6分ほど歩いた所に鎮座する。皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。

伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」や、初夏には三重県ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」などの自然が豊富に残され、非日常空間を形成する。

境外には伊勢の中心業務地区(CBD)かつ鳥居門前町の本町があり、伊勢市観光協会がここに本部を構える。外宮参道や駅前通り界隈には土産物店・旅館と銀行や大手企業の支社・支店が混在している。

建物は皇大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。

神徳は「豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です」とされている。

外宮の鎮座の由来について、『古事記』・『日本書紀』の両書には記載がない。804年(延暦23年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。『止由気宮儀式帳』にはそれが何年のことであるという記述はないが、『大神宮諸雑事記』の第一「雄略天皇」の条に「即位廿一年丁巳」、すなわち雄略天皇21年とある。この神託を受け雄略天皇22年7月7日 (旧暦)、内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に豊受大御神を迎えて祀った。外宮の鎮座は内宮の鎮座から484年後のことであるという記述があるが、天皇の在位期間を機械的に西暦に当てはめて計算すると、その年数が一致しない。延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。

代々度会氏が神職として奉職したが、中世には度会家行が、豊受大神天之御中主神・国常立神と同神であり、外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道度会神道)を唱えた。また、門前町として山田が形成された。

1876年の伊勢暴動の際には、中島・浦口・常盤・大世古といった町が炎上し、外宮でも防御態勢を取ったが、破壊や放火といった被害は受けずに済んだ。1945年1月14日午後2時53分、外宮の神域に5か所6発の爆弾が投下され、五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館で被害が発生した。その被害は軒先と戸障子の破損や板塀の倒壊、屋根に数か所の穴が開いた程度で軽微であった。7月28日から7月29日の宇治山田空襲では、御垣内にも焼夷弾が降り注いだが、御垣内が火に包まれることはなかった。後に外宮宮域から搬出された焼夷弾の残骸はトラック3台分にも及んだという。(Wikipediaより)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326221432j:image御朱印

しかし相変わらずシンプルだわw

 

朱印1つと日付書くだけなんだからもう少し早くしても良いのに、とか小川君言っちゃダメだよwwwwwww

 

 

 

ま、伊勢に限らず神社はお寺に比べてどこも時間はかかりますけどねw

 

 

ちょっとみんなで四国の札所寺に修行に行ってもエエんちゃうか、とかゲンゲン言っちゃダメだよwwwwwww

 

 

 

 

 

 

まぁアホな話はさておき、

 

 

 

 

 

 

桜のシーズンで、

観光客のごった返す中、おはらい横丁おかげ横丁を尻目に

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326222445j:image内宮へ!

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326222502j:image自然に写り込んでくるハゲ頭

 

まゆこ「このハゲーーー!」

 

 

 

 

自重自重wwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326222608j:image本殿前

 

 

 

 

 

 

 

皇大神宮(こうたいじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には内宮(ないくう)と呼ばれる。式内社(大社)。

伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。

親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮豊受大神宮の順であり、奉幣(ほうへい)は豊受大神宮皇大神宮の順である。

別宮として、境内に荒祭宮風日祈宮、境外に月讀宮瀧原宮伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。

建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。

日本書紀』によれば、天照大御神は宮中に祀られていたが、崇神天皇6年、笠縫邑に移し豊鍬入姫命に祀らせた。垂仁天皇25年、倭姫命が後を継ぎ、御杖代として天照大御神を祀るための土地を求めて各地を巡った。この経路は『日本書紀』にあまり記述がないが、鎌倉時代初期成立と考えられる『倭姫命世記』には詳述されており、その途中に一時的に鎮座した場所は元伊勢と呼ばれる。垂仁天皇26年、伊勢国にたどり着いたとき、「この国に留まりたい」という天照大御神の神託があり、倭姫命五十鈴川上流の現在地に祠を建てて祀り、磯宮と称したのが皇大神宮の始まりという。鎮座地に関して、伊勢では河川の氾濫が頻発して低湿地が広がっているため、内宮は水害に遭いにくい河岸段丘上に建てられたという説が挙げられている。

明治時代までは、僧侶の姿で正宮に接近することは許されず、川の向こうに設けられた僧尼拝所から拝むこととされ、西行も僧尼拝所で神宮を拝み、感動の涙を流したという。荒木田氏が祠官を世襲していたが、明治以降は世襲制が廃止された。1945年(昭和20年)7月29日、宇治山田空襲により宇治山田市は甚大な被害を蒙った。内宮にも40機ほどの編隊でアメリカ軍機が神域に迫り、次第に照準が正確になってきたが、内宮の神域に差し掛かったところで焼夷弾五十鈴川対岸の山に吸い込まれるように流れていった。この「奇跡」により内宮に被害はなく、神職は「ご神威」に涙したという。第二次世界大戦後は元皇族の女性が代々の祭主をつとめている。(Wikipediaより)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326222853j:image御朱印

 

 

やたらと予定以上に時間を食いながら、

みんなを先に駐車場に向かわせて、おはらい横丁にある店に独りひた走る俺。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326223103j:image浜与本店さんの

【黒ちりめんだし醤油】

【黒ちりめんポン酢】

 

これが欲しかった!

 

伊勢に来るたびに買ってるもんで店のおばちゃんが顔を覚えてたという笑い話w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、

向かいます。

法然上人二十五霊場 第12番札所 欣浄寺(ごんじょうじ)】

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326223428j:imageこちらは先に前もって予約しておかないと参拝出来ませんのでご注意下さいね。

 

いきなり行って、参拝出来なかったからと言ったところでアタシャ一切責任取らないっすからねwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326223627j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

これにて参拝終了!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲンゲン急げ!

予約の時間に間に合わねぇ!

 

 

 

 

go to 松阪!

 

 

 

 

 

そうさ。

松阪牛を食うんだよ!

 

 

そして向かうは、

 


f:id:KOBANNAD:20180326223841j:image

【回転焼肉】で有名な

一升びん宮町店!

 

 

 

 

 

 

一升びん(いっしょうびん)は、日本の焼肉店である。三重県松阪市を中心としてチェーン展開し、松阪牛を手頃な価格で提供する。特に宮町店で採用されている「回転焼肉」で知られている。

松阪牛の生産地である松阪市には、和田金・牛銀本店・ステーキハウス三松などの老舗高級店のほか、多くの焼肉店が立地している。中でも松阪市民の支持を集めている焼肉店が、一升びんと脇田屋である。両店とも独自のつけダレを持ち、タレの味で市民の好みが分かれている。一升びんは地域住民のみならず観光客も多く訪れる焼肉店である

松阪市の焼肉店では、甘辛の味噌ダレで揉み込んで牛肉を提供するのが一般的であるが、一升びんでは軽く絡めて提供している。ウシを1頭丸ごと購入し、店舗ごとに主力商品を変えることで、すべての部位を効率よく提供すると同時に、客を飽きさせない工夫にもなっている。ホルモンは新鮮なものを、その他の部位は熟成されたものを提供する。

そのほか以下のような特徴がある。
回転焼肉
松阪市宮町にある宮町店(宮町店はスーパーホテル松阪店敷地内に隣接)は、「回転焼肉」と呼ばれる回転レーンに肉を載せて回転させる装置を備えている。平たく言えば、回転寿司の焼肉版である。松阪牛を1頭丸ごと購入していることから、さまざまな部位を提供できるように、回転寿司に倣って社長が考案したものである。肉類のほか、野菜や果物などもレーンを流れている。

回転寿司店と同様に、色違いの皿に肉が載せられ、皿の色で値段が変わる。なお、松阪牛とその他の牛肉は、皿を載せた台の色で区別できる。回転寿司と同様、客が欲しいものを皿ごと取る方式であるが、肉の鮮度維持のため回転レーン全体が透明なカバーに覆われており、中は冷蔵されている。客が座席にあるボタンを押すとカバーが開き、肉を取り出すことができる。最も金額の低い皿は100円台であり、松阪牛メニューの最低値は300円台、最高値は金色の皿に載った「松阪牛特選」で1,000円を超える。

「肉を回転させる意味があるのか?」と指摘されることもあるが、利用客にとっては「名称からは分かりにくい部位を実際に見て取ることができる」、「子供が回っているのを見て楽しめる」、「一人焼肉がしやすい」、更には「注文から肉の到着を待つ時間がない」、「注文量の過不足がなくなる」など利点が多いとされる。店舗にとってはさまざまな部位を客に提供しやすくなるという利点があり、複数の部位を食べられるよう1皿の量と値段を他の店舗の半分にして提供している。(Wikipediaより)

 

 

Wikipediaにまで載ってるんかwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326224340j:imageこれがその回転レーン

タイミング悪くデザートが流れてたw

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180326225223j:image松阪牛カルビ
f:id:KOBANNAD:20180326225239j:image松阪牛ミスジ
f:id:KOBANNAD:20180326225253j:image安定のドヤ顔
f:id:KOBANNAD:20180326225303j:imageポッチャリーズ肉まみれ
f:id:KOBANNAD:20180326225316j:image逆光の中食うカーチャン

 

 

 

 

 

たらふく松阪牛を堪能して、

名阪国道から奈良を目指します。

小川君を京都まで送るのは流石に辛いので、今回はJR奈良駅まで 。

 

 

 




f:id:KOBANNAD:20180326225435j:image
爆睡リックドム

 

 

 

 

 

 

 

その前に。


f:id:KOBANNAD:20180326225634j:image奈良駅の近くにあるスーパー銭湯

【ゆららの湯 奈良店】

 

 

 

 

で、

小川君を奈良駅、カーチャン送ってから

 

既に松阪牛の脂でやられかけていたゲンゲンの胃腸にとどめを指しにラーメン屋に行ったら、クッソ不味くなってたので前回に続いて最後が締まらない終わり方になってしまいました。

 

 

 

 

次回は4/8西国の京都巡礼です。