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2017年GW参拝記~俺とオカンと姉上とゲンゲン

大型連休もいよいよ終わり、本格的に気温も上がってきまして巷は春の陽気。

 

2017年春皐月を皆様いかがお過ごしでしょうか、連休の間仕事が忙しく疲れが抜けないアラフォーKOBANNADです。

 

 

 

 

 

まずは5/3

 

前日に仕事前に中山さんに行って、

GWだというのに更に

【西国三十三観音霊場第5番札所 葛井寺

にまたまた仕事前に行ってきましたよん。

 

 


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近鉄藤井寺駅近くにあります。

 

藤井寺球場が無くなってたのがかなり淋しかった(´;ω;`)

 

 

 

 

 

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三所第五番札所。

寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)により8世紀中頃に創建されたとも推定されている。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。


百済辰孫王の後裔氏族である、船氏、津氏とならぶ白猪氏の氏寺として7世紀中葉に建立が開始された。奈良時代の720年に白猪氏は葛井氏に改姓している。一族からは大安寺僧慶俊が出ている。

社伝では、大同元年(807)に葛井連道依娘の藤子と後の平城天皇との皇子である阿保親王によって再建された。また阿保親王の皇子である在原業平奥の院を造営した。

中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。

永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)の地震で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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カラーの御影頂くの忘れたwwwww

また行かないと。

 

 

 

 

 

で、葛井寺を出てすぐそばにある

【辛國神社 通称からくにさん】

にも参拝。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170508191316j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きまして翌5/4は

 

 


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 【西国三十三観音霊場第19番札所 革堂行願寺

 

 

 

こう言っちゃうと失礼ですが、観光寺が立ち並ぶ京都でしかも観光寺の多い西国三十三観音霊場の中で、

ものすごく落ち着いた雰囲気のお寺でしたね。

個人的にすごく好きなお寺です。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170508191718j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊麀山。本尊は千手観音。通称革堂(こうどう)。西国三十三所第十九番札所である。

百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。

行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。

寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

行願寺さんの近くにある

下御霊神社】にもお詣りを。

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170508192007j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。旧社格は府社。社名は上御霊神社に呼応するものである。

祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。

吉備聖霊吉備真備とされることも多いが、吉備真備は憤死した人ではないので、神社側は六座の神霊の和魂と解釈している)
崇道天皇桓武天皇の皇太子、早良親王
伊予親王桓武天皇の皇子)
藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子
藤大夫(藤原広嗣
橘大夫(橘逸勢
文大夫(文屋宮田麻呂)
火雷天神菅原道真とされることも多いが、神社の創建は道真が天神とされるよりも以前なので、神社側は六座の神霊の荒魂と解釈している)
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。

これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、地下鉄に乗り天智天皇陵のある御陵駅に向かい。

 

行ってまいりました

【西国三十三観音霊場番外札所 元慶寺

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場で自分たちが行ったのを除いて(自分勝手)初めてのバスツアー団体に遭遇wwwwwwwwww

 

 

お詣りより先に納経帳を預ける事にして、バスツアー団体が本堂から離れるのを少し待ってからお経を上げることに。

 

 


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元慶寺(がんけいじ/古くは「がんぎょうじ」)は、京都府京都市山科区にある天台宗の寺院。藤原高子の発願により建立。僧正遍昭を開基とし、元慶元年(877年)に建立された。現在の伽藍は安永年間(1772年-1781年)の再建と伝わる。西国三十三所霊場の番外札所である。山号は華頂山。本尊は薬師瑠璃光如来

寛和2年(986年)、花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王一条天皇)が帝位についた(寛和の変)。花山法皇の宸影を安置する寺で花山寺(かさんじ)とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

境内には百人一首で有名な僧正遍昭のお墓もあります。


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天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 

 

 

 

そういえば葛井寺在原業平ゆかりであったりしますね。

 

 ここもカラーの御影頂くの忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、流石にGWの忙しさに42歳のアタクシ体力が持たなくなりまして、

昨日5/7の休みまでは仕事前に参拝するのを少し休みまして。

 

 

 

で、朝から名古屋から姉上が来るので一旦難波まで迎えに行き。

 

更に梅田で母上とゲンゲンと合流し。

 

 

JRに乗って向かいましたはもはや福知山の手前市島駅wwwww

 

 

そこからタクシーを飛ばして

 

 

 

 

 

 


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天台宗 五大山白毫寺】

九尺藤で有名なお寺で、母上が行きたいって話で行きましたが。

 

正直行って良くも悪くも『観光寺』ですな。

藤は確かに綺麗でしたけど。

 


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白毫寺(びゃくごうじ)は、兵庫県丹波市にある天台宗の寺院。山号は五大山。本尊は薬師瑠璃光如来。120mの藤棚の「九尺藤」は圧巻。

705年(慶雲2年)、法道の開山により創建されたと伝えられる。その後、兵火により焼失したが、天正年間(1573年-1592年)に中興された。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。(Wikipediaより)

 


f:id:KOBANNAD:20170508205314j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから三田へ。

 

実は昨日5/7は母上の誕生日やったので母上の好きな焼肉を食べに

【板前焼肉 ひまわり】

に。

ここは地元でも有名なお店で、上質の三田牛や鹿児島の曽於さくら牛が食べられるお店です。

午前中の営業時間ギリギリに予約を入れさせて頂いてがっつりと食べてきました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170508200053j:image安定のドヤ顔wwwww

 

お店の情報はこちら↓

 https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/hyogo/A2807/A280703/28025267/top_amp/

 

 

 

 

 

 

腹も膨れて、店員さんにタクシーを呼んでもらい本日1番の目的地へ。

 

 

 

 

 

 

 


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【西国三十三観音霊場番外 花山院菩提寺

 

非常に気持ちの良い

非常に素晴らしい

何度でも行きたくなるお寺でした。

 

 

 

 

 

 

花山院菩提寺 (ぼだいじ)は、兵庫県三田市尼寺にある真言宗花山院派の寺院。本尊は薬師瑠璃光如来、開基(創立者)は法道(ほうどう)仙人と伝えられる。別称は花山院(かざんいん)。

開基とされる法道仙人は、天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物である。法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。

正暦3年(992年)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とし、その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる。これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになったと言う。

当山を含む麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれるが、これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制故に登山を許されなかった為、尼となって麓に住み着いたことに因む。 集落内には十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓(中央の大きい墓が弘徽殿の女御のものとされる)が存在する。

11世紀には多田荘を本拠とした多田源氏が帰依し、山内に堂塔が立ち並んで勢威を示したが、後の雷火で焼失した。現在は山内から出土する礎石群が当時を偲ばせる。(Wikipediaより)

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170508201059j:image納経印

 

 

納経を頂く折に本当に丁寧にご説明下さいました。

 

特に今回から巡礼を初める姉上には良い経験になったと思いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りはもうみんな疲れてたのでタイムイズマネーの精神で三田から特急こうのとりで大阪駅まで帰って(ゲンゲンは途中の尼崎で下車)

 

梅田から母上は地下鉄で

私と姉上も地下鉄で途中の難波まで行って

 

 

姉上と二人で更に飲み。

姉上は最終のアーバンライナーで名古屋に帰り。

 

アタクシは再び梅田から帰って寝た、と。

 

 

 

 

 

 

 

しかしゲンゲンの免停のせいでようさん金使わされたわwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170508204556j:image↑必死に肉を焼くゲンゲン。