古都 奈良に惹かれて ~新たなる繋がり~

 

 

先週の休みはどうやら母上に風邪をうつされたのかもしれない感じで1日寝ておりました私KOBANNADです。

 

今週もずっと体調がすぐれない感じでイマイチな感じだったので、

今日の休みも1日引きこもってたまってるアニメでも見ようかなとか思ってたんですけどねぇ。

 

 

仕事から帰って来て一時間半くらい寝て、

あと向かいましたは、奈良県生駒山の中腹にございます商売繁盛で有名な

宝山寺】さんへ。

 

まずは近鉄生駒駅からケーブルに乗って行きます。
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ケーブルカーがふざけてるwwwww

 

 

 

 

 

さて、ケーブルを降りて山門まではほぼ階段をひたすら登っていく訳です。

 


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「やっぱり寝てりゃよかった。」

ちょっと頭をそんな事がよぎったんですが、これもひとつの修行。

 


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宝山寺に到着。

 

 

まぁ常識の話なんですけどね、境内の写真無いなぁとか思われる方も居るかもしれませんが、基本的一部例外を除いて門をくぐれば撮影なんざするもんじゃないし、

帽子は脱ぐもんです(カツラは知らん)。

 

 

エエ歳こいたジジイババアがよーやってますけどね。

寺社の境内で帽子被ったままアホみたいにカメラマン気取ってるんかしらんけど、デジカメ、スマホをパシャパシャと。

 

チャンコロ観光客となぁんも変わらんなぁと思ってしまいますね。

 

同じ日本人やとは思われたくない。

四国でもよーけ居ますよ、特にバスツアーとかに。

笈摺(白衣)着ててそれかいっ!って。

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題

 

宝山寺(ほうざんじ)は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。生駒聖天(いこましょうてん)とも呼ばれる。山号は生駒山(いこまさん)。1678年に湛海律師によって開かれた。


本尊は不動明王鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っている。真言宗十八本山13番、仏塔古寺十八尊第十五番。

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海弘法大師)も修行したと伝わる。その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。この時が事実上の開山と思われる。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。京都の皇室や江戸の徳川将軍家郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると1000段余りあり西日本有数の規模を誇る。(Wikipediaより引用)

 

 

 

子供の頃からよく来た寺社仏閣のひとつです。

ウチも商売してましたから親戚ぐるみでほぼ毎月っていうくらいお詣りに来てましたね。

 

今日は約15年ぶりくらいだったのでしっかりといちばん上の奥の院の更にいちばん上の歴代山主の塚まで詣らせて頂きました。

 

やっぱり山寺は気持ちがイイ!

 

身震いするくらい身体の芯から清浄されていくような感じがイイ!

 

納経印頂きました。


f:id:KOBANNAD:20170312210658j:image奥の院 御本尊不動明王

 


f:id:KOBANNAD:20170312210722j:image本尊 歓喜弁財天

 

 

で、正直もう帰って寝るつもりだったんですがね。

四天王寺さんで買ったいちばん初めての御朱印帳が後1枚で、

つまり「あと1ケ寺お詣りすれば」

完成する訳ですよ。

 

 

帰り道ケーブルに乗って下山しながら、じゃあ何処にお詣りしようかと。

 

奈良だしやっぱり東大寺か、

近くだと西大寺もあるしなぁ、

 

なんてな事を考えてた時に

四天王寺さんの御朱印帳】

だということにふと気付いて。

 

 

生駒から王寺に向かう近鉄生駒線に向かったのでした。

 


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高校時代実はアタクシこれで通学してましてね。

片道一時間以上かけて。

 

 

 

まぁそんなことはさておき、

ちはやふる竜田川をも通りすぎて王寺駅に到着したアタクシはそこからバスに乗り越えて、

 

向かった先は

四天王寺と並ぶ日本の歴史ある聖徳太子ゆかりのお寺、そう___

 

 


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法隆寺


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いやまぁ天気がもう最高でした。

 


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f:id:KOBANNAD:20170312211828j:image夢殿へと続く道


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 納経印頂きました。

 


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法隆寺さんは
【以和為貴(和を以て貴しと為す)】
有名な十七条憲法の一文。

流石は聖徳太子ゆかりのお寺。

 

 

 

法隆寺の境内の中に実は

中宮寺

と呼ばれるお寺があります。

 

 

 

中宮寺(ちゅうぐうじ)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺に隣接する、聖徳太子ゆかりの寺院である。宗派は聖徳宗に属す。山号を法興山と称し、本尊は如意輪観音、開基(創立者)は聖徳太子または間人皇后とされている。


中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが、創建当初は400メートルほど東にあった。現在地に移転したのは中宮寺門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』や『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。

平安時代の『聖徳太子伝暦』は、中宮寺聖徳太子が母・穴穂部間人皇女(間人皇后)の宮殿を寺としたと伝え、後には間人皇后自身が発願者であるという伝承も生まれる。鎌倉時代の顕真が著した『聖徳太子伝私記』の裏書には、「葦垣宮、岡本宮、鵤宮(いかるがのみや)の3つの宮の中にあった宮なので中宮といい、それを寺にした時に中宮寺と号した」との説が記載されている。

中宮寺平安時代以降衰微し、鎌倉時代には中興の祖とされる信如によって復興が図られた。信如は文永11年(1274年)、法隆寺の蔵から聖徳太子ゆかりの「天寿国繍帳」を再発見したことで知られる。

江戸時代初期の慶長7年(1602年)、慈覚院宮を初代門跡に迎え、以後門跡尼寺として今日に至っている(Wikipediaより引用)

 

 

 

御本尊の如意輪観音さまはなんだろ、もうお姿を拝見させて頂いてるだけで心が安らぐような。

アタクシKOBANNADがものすごい大好きなお寺のひとつなんですね。

 


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 納経印頂きました‼

 


f:id:KOBANNAD:20170312214237j:image如意輪観音さま

 

 

 

 

 

  

 

 

で、時刻が11:40頃。

 

鳴き出す腹の虫wwwwwwwwww

 

 

 

法隆寺門前の松鼓堂さんというお店へ。

こちらは奈良名物「茶粥」と

「梅うどん、梅そば」なるものが有名だとか。

 

まぁねぶっちゃけ某文豪の【奈良に美味いものなし】って当たってるとは思ってますアタクシですが、ここは流れに乗って食べることに。

 

ん?

もちろん【両方】頂きましたよ。

 


f:id:KOBANNAD:20170312213147j:image茶粥(餅入り)

 


f:id:KOBANNAD:20170312213212j:image梅そば

 

 

なるほど梅そばはダシ自体に梅酢が入ってるのか、カツオと梅が合わない訳ねぇわな。

 

茶粥、熱いの?

奈良の茶粥って冷たいのしか食った事ない。

きな粉乗せてるからよく混ぜろ?

よーし食ってやろうじゃないの。

 

 

………うん、普通に美味しかったよ(^q^)

まぁ俺にゃ量が足りない感はあったけどwwwww

それだいたい観光地ならどこでもいつも言ってるなwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

で。

ここから唐招提寺薬師寺東大寺方面もバスは走ってるから行こうかなとも思った。

 

JR乗れば三輪大社や大和三山方面も行けるなとも思った。

 

しかし、1974年寅年生まれのKOBANNADが敢えて向かった先は____

 


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寅年の守り本尊毘沙門天を祀る、信貴山朝護孫子寺

 

 


f:id:KOBANNAD:20170312214105j:imageでっかい寅(誰だこの人?)


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可愛いのも居ますよ(^q^)

 

 

朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)は、奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)の信貴山にある信貴山真言宗総本山の寺である。本尊は毘沙門天多聞天とも称する)。「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。毎年初詣時期には多くの参拝客でにぎわう。
大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。

朝護孫子寺は、大和国奈良県)と河内国大阪府)の境にそびえる生駒山地の南端に近い、奈良県側の信貴山の山腹に位置する。創建の時期や経緯については判然としない。

寺に伝わる国宝『信貴山縁起絵巻』は、平安時代後期、12世紀の成立とされ、日本の絵巻物の代表作とされている。この絵巻は通常の社寺縁起絵とは異なって、朝護孫子寺の創建の経緯等については何も述べておらず、信貴山で修行していた命蓮(みょうれん)という聖(ひじり)の奇跡譚が中心主題となっている。絵巻の中巻では延喜の帝(醍醐天皇)の病を命蓮が法力で治したという話が語られている。『信貴山縁起絵巻』の詞書とほぼ同様の説話が『宇治拾遺物語』にあり、『今昔物語』にも信貴山寺の草創に関する説話が収録されている。(聖の名は『宇治拾遺物語』には「もうれん」、『今昔物語』には「明練」とある。)

平安時代末期に成立した歴史書『扶桑略記』の延長8年(930年)8月19日条には、「河内国志貴山寺住」の「沙弥命蓮」が醍醐天皇の病気平癒のため祈祷を行ったことが見える。なお、当時醍醐天皇の病気は相当進んでいたようで、1か月後の9月29日に死去しており、この点は説話と異なっている。なお、信貴山大和国奈良県)と河内国大阪府)の境に位置し、朝護孫子寺の住所は奈良県であるが、『宇治拾遺物語』『扶桑略記』には「河内の信貴(志貴)」と表現されている。

以上のことから、醍醐天皇の時代、平安時代中期の10世紀頃には信貴山毘沙門天を祀る庵があり、修行僧が住んでいたことは首肯される。当寺の創建について、聖徳太子を開基とする伝承もあるが、これは太子が物部守屋討伐の戦勝祈願をした際に、自ら四天王の像を刻んだという伝承に因んだ後世の付託と思われる。伝承では、寅の年、寅の日、寅の刻に四天王の一である毘沙門天聖徳太子の前に現れ、その加護によって物部氏に勝利したことから、594年(推古2年)に毘沙門天を祀る寺院を創建し、「信ずべき貴ぶべき山(信貴山)」と名付けたとする。また寺の至る所に虎の張り子が置かれているのは、その逸話に由来している。その後、902年(延喜2年)に醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願寺としたことから、「朝護孫子寺」の勅号を賜った。

戦国時代には木沢長政が信貴山頂に信貴山城を築いた。1577年(天正5年)に同城の城主・松永久秀織田信長の間で信貴山攻防戦が行われて久秀は滅亡し、寺も焼失するが、豊臣秀頼によって再建された。現在、山頂には同寺の「空鉢堂」があり、本堂付近から参道で連絡している。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 

今回は空鉢護法のお詣りをすることにしまして、

寅年の守り本尊の信貴山

【みーさん】いうて蛇(実際は龍神)の神様に一願祈願をする場所があるんですな。

 

場所は……信貴山山頂です。

約700メートル以上の山道を500以上あると言われる鳥居をくぐってひたすら登る登る登る。。。

20分くらいで到着するんですけどね、もうハァハァハァハァハァハァ息切れまくり。

 

これじゃあこんぴらさんお詣り行かれへんでぇ(-_-).。oO

鍛え直さないと!

 


f:id:KOBANNAD:20170312221742j:image山頂にはかつての戦国大名松永久秀が居城としていた信貴山城の城跡が残ります。

 

実は今までこの空鉢護法はやったことなくて、

今日たまたま勢いだけでやったんですが、

よくよく考えりゃゲンゲンの干支は巳(へび)年やったなぁ。

 

なんとなくやっぱり縁みたいなんはあるんかなぁ。

 

なんて思ってたらゲンゲンからLineが偶然来たりするしね。

 

この世の中は人間ごときではかり知れないものがあるんだよなぁ。

 

 

とか考えて空鉢護法のお詣りを済ませ、信貴山奥の院を目指して歩き出したアタクシ。

 

途中、道を間違えてしまい何故か奥の院と全く違う【弁財天滝】の方に行ってしまいまして、気付いてみればまたまた入り口の山門前まで山を半周して戻って来たという(^q^)

 

 

 


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このままじゃ、納経印どころか御本尊すらお詣りしてない。

 

しかし、もうオッサンの足腰は結構きてる。

しかも靴擦れ出来てる。

 

 

『だから、どないやねん』

 

 

『自分に負けたら人生終わり。』

 

『他人に負けたくらいじゃ、自分が負けてないと思って挑み続けたらいつか勝てる。』

 

『俺の人生哲学はそうやなかったか?』

 

『学生時代の柔道やってた頃はどないやった?』

 

 

 

なぁんか聞こえた気がして。

 

 

気付いてみれば【開山堂】の弘法大師像の前まで歩いてきてました。

 

 

もうね、そこからは千手堂も本堂も普通に普通にいつも通りお詣りさせて頂きました。

 

 

納経印頂きました。


f:id:KOBANNAD:20170312223301j:image御本尊 毘沙門天

 


f:id:KOBANNAD:20170312223331j:image開山堂 弘法大師

 


f:id:KOBANNAD:20170312223355j:image空鉢護法

 

 

奥の院まで行きたかったんですが、時間的に厳しいので今回は見送りました。

 

 

 

 

 

今回また新しい納経帳をゲット。



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朝護孫子寺はなんと

信貴山真言宗】の総本山だそうです。

 

真言宗は18の総本山があり、それぞれを巡る納経がこれだそうで。

 

実は今日いちばんに行った宝山寺

真言律宗】の総本山だったとか(^q^)

 

ちなみに先日母上と行った京都の泉涌寺

真言宗泉涌寺派総本山】だそうです。

 

 

なんだろなぁ、この繋がっていく感(^o^)

 

 

信貴山聖徳太子ゆかりのお寺でもありますし。

 

 

聖徳太子

弘法大師空海

 

今日はまた新たなる繋がりに気付いた1日だったのかもしれない。

 

 

ちなみに帰りは大阪側からケーブルで


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信貴山山門→(近鉄バス)→高安山→(ケーブル)→信貴山口→(近鉄電車)→河内山本→難波

 

 

 

で、かどやで串焼き焼肉食って飲んで帰ってきました!


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