2017年6月お遍路。(40番観自在寺~番外5番大善寺)

 

 

さて、今月もやってまいりました月末日曜日恒例四国お遍路巡礼。

 


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梅雨らしく大雨の中、大阪からは1番遠い足摺岬を含む今回の行程。

 

 

3ヶ月近くプランを練ってああでもないこうでもないと悩んだ挙げ句、

大雨予報(名古屋からのシ者)だったという事もあり

 

今回はまさかの深夜1:00スタートwwwww

 

 

 

 

 

 

まずは松山道を通り愛媛最初の札所でもあり、

1番札所霊山寺からいちばん遠く離れていることもあって【四国霊場の裏関所】とも呼ばれている

40番札所【平城山 観自在寺】からスタートして、

足摺岬を回り37番札所【藤井山 岩本寺】を経て

番外5番札所【高野山 大善寺】を最後に高知道を先月同様に帰るという非常に長く過酷な道のりでございました。

 

 

 

しかも、雨wwwwwwwwww

 

 

間違いなく四国に行きたい行きたいと普段からボヤいてる姉上の呪いなんやろうなぁとか冗談(半分本気)を言いながらwwwwwwwwww

 

 

 

 

早めに出て良かったのは四国入ってすぐ、高松道が通行止めで徳島道に迂回せにゃならん状態だったこと。

 

 

 

 

途中の吉野川SAで、お遍路用品が売ってたのは流石四国といわんばかり。

 


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6時間近くかけて、朝6:45くらいにやっとの思いで

 

 

本四国八十八霊場第40番札所

平城山 観自在寺

小雨の降る中到着。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628175527j:imageやはり本四国。


 

素晴らしいお寺でした。

 

 

納経所が開く前に着いたのでまずは本堂と大師堂にお詣り。

 

そうこうしてる間にご住職が来られまして、

本堂内の納経所に向かう………あれ?

 

ご住職がやたらと俺を見てるwwwwwwwwww

 

 

気のせいかなと思いながらお勤めを終えて納経所に行ったら

 

 

「お兄ちゃん、何回目?」

って聞かれたので

「いえ、今年の1月からお遍路始めたばかりでこちらは初めて来させて頂きましたけど?」

 

「ええ!?何回か来てない?見たことある気がするんだけどなぁ。」

 

 

 

 

 

 

そうか、それでさっきから見られてたのかwwwww

 

 

 

 

 

 

「いえいえ本当ですよ、大阪から来てます。」

 

なんかイマイチ納得いかないような顔をしながらも納経をしてもらいながらトークは進む。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628180857j:imageすっげぇ達筆。

 

 

 

 

 

 

で、今日の行程を聞かれたので答えると

 

「足摺かぁ、今日は雨だから大変だよ。カーナビだとスカイラインを選択するからそっちに行かずに別の道を行く方が良い」

 

 

ってわざわざ地図を書いてくださいました。

 

ありがたい話です。

 

ただ俺の納経帳を下敷き代わりにするのは若干どうかと思ったけどwwwwwwwwww

 

 

 

 

で、ご住職に教えて頂いた道順と地図を頼りにまずは

 

 

 

 

 

本四国八十八霊場第39番札所

【赤亀山 延光寺】へ

 

 


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まだ雨降ってます。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628180959j:imageここの右上の釣り鐘の朱印がかわいい。

ここは亀が釣り鐘を背負ってる石像があるからですね。

 

 

 

 

で、

 

刻一刻と雨は強くなり。

 

 

 

行程は激しさを増し、距離も長い中。

 

 

ゲンゲンは車をひたはしらせ

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は助手席で寝る(←ホンマ最低)wwwww

 

 

 

 

 

 

観自在寺のご住職に教わった道を行くと最近出来たというトンネル(ナビ非表示)を抜けて

 

ほぼ嵐という大雨の中

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628181411j:image足摺岬の文字が読めねぇぇぇぇぇぇぇwwwww

 

 

 

 

 

たどり着きました。

 

 

 


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本四国八十八霊場第38番札所

【足摺山 金剛福寺

 

 

 

 

 

 

境内の池の水が溢れてる状態w


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本堂→大師堂→納経所と回るんですが、雨で一部通れなくて

 

本堂→大師堂→本堂→納経所と戻ってこないといかんかったwwwww

 

 

 

お寺さんが

「えらい雨の中ようお詣りで、どちらから?」

 

「大阪です」

 

「遠いとこからご苦労様、ありがとうございます。」

 

 

やっぱり本四国やわ。ありがたいお言葉やわ。

 

間違っても笈摺投げてくる腐れ西国観光寺とは違うわ(結構根に持つ)wwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628182236j:image味のある納経印でっしゃろ!

 

 

 

 

で、本四国遍路一距離が離れている

37~38番へ向かう訳ですね。

 

 

歩きやと30時間かかるそうですわ。

 

 

 

足摺岬から高知に向かう途中。

雨は上がり、晴れ間も少しのぞいて来ました❗

 

 

 

そして頑張って運転するゲンゲン

 

 

 

 

 

 

 

また昼寝する俺(←マジ最低)

 

 

 

 

 

 

 

で、2時間くらい走ってやっと到着しました!

 

 


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本四国八十八霊場第37番札所

【藤井山 岩本寺

 

 

 

こちらは本四国唯一ご本尊が5体あるお寺で、

本堂の天井には色んな絵が描かれているので有名です。

マリリンモンローの絵もありましたよwwwww

 

 

 

で、とうとう出会ってしまいました。

個人遍路の天敵(笑)バスツアー団体wwwwwwwwww

 

 

 

あのさぁ、納経所に所狭しと軸やら白衣やら納経帳広げてんじゃねぇっての!

 

 

みんながみんなそうではないかも知らんけど、バスツアーの添乗員はタチの悪いのが多すぎる。

 

 

 

そこをグッと堪えるのも修行ですけど。

 

あんまり何も言わないというのも図に乗らせるだけなのかなとも思ったり。

 

 

みんなが気持ち良く巡礼出来る環境をつくるのも霊場会やら先達会の仕事やとは思うんですがね。

 

 

お大師さまやら仏さんはどう感じてらっしゃるのかなぁ。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628184552j:imageやっぱり真ん中の納経印は五つあるのよね。

 

 

 

 

 

 

と、まぁ真面目な話もしながら。

 

 

本日最後の目的地別格5番大善寺に行く前に

 

 

 

 

 

【道の駅大正】

 

に寄ってお昼ご飯を。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628183613j:image四万十のうなぎじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


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うまぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~!

 

 

 

 

ゲンゲンは


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【石焼きうなぎまぶし飯】

食ってました!

 


f:id:KOBANNAD:20170628183814j:image目が、マジですwwwww

 

怖いですwwwww

 

 

 

 

売店で売ってたよもぎ大福もあれ絶対近所のおばちゃんらの手作りやで、マジ美味かった!

 

 

 

 

 

 

お腹のふくれたデブ二人はとうとう最後の目的地へ

 

 

 

 

 

 

 


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四国別格二十霊場第5番札所

高野山 大善寺

 


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お寺からの眺望が素晴らしい!

 

 

 

 

ってか、食後にここまで階段登るのキツかったwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628184641j:image女性の方が書いてくださいましたがなかなか力のある文字ですねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、帰り道。

 

さすがにゲンゲンがヤバそうなのであえて高知では温泉に入らず、

 

淡路島の東浦にある花の湯へと車をひた走らせます。

 

 

 

 

 

 

途中また寝る俺(←もはや悪魔)

 

限界どころか天元突破くらいしてるゲンゲン。

 

 

 

 

温泉浸かってマッサージチェアで爆睡するゲンゲン
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またこれを撮る俺も大概な気がしますがwwwww

 

 

 

 

 

 

少し休憩して、帰り道は六甲で

 

YA・KI・NI・KU(^q^)


f:id:KOBANNAD:20170628184912j:imageもうメシ食うのさえ必死かゲンゲンwwwww

 

 

 

まぁ彼がいちばんしんどいとは思いますよ、正直。

 

「まぁこれも修行や!」

で片付ける俺がやっぱりいちばん鬼か悪魔かって話ですけどwwwww

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628185120j:image今回二人でいちばん盛り上がったネタ。

 

高速出口の名前がなんとなくお侍さんやなぁって話。

 

 

ただそれだけwwwww

 

 

 

 

 

ま、それでも今回で無事

【修行の道場】土佐の国高知県の巡礼を終えて、

【菩提の道場】伊予の国愛媛県の巡礼スタートしましたからね。

 

 

でもまぁまだ半分も終わってないけどwwwww

 

 

 

西国三十三観音霊場&洛陽三十三観音霊場巡り in京都

やっと近頃梅雨らしく雨がよく降るようになってきて、

名古屋の姉上も大活躍なお天気模様ですね。

 

 

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか、最近やや調子に乗って3kgほどリバウンド気味のKOBANNADです。

 

 

 

 

 

さて、先日6月22日にまたまた仕事前に京都にお詣りに行かせてもらいました。

 

 

 

向かったのは

西国三十三観音霊場第16番札所

洛陽三十三観音霊場第10~14番札所

清水の舞台で有名な

音羽山 清水寺】です。

 

 
f:id:KOBANNAD:20170628013419j:imageあ、これは違うかw

 

 

 

 

 

 

 

 

納経所が8:00からということで7:40頃には到着してたんですがね。

正直今まで20回くらいは清水寺って行ってます。

 

ブログにも今年正月に大雪の中行ったりしてるの書いてましたしね。

 

 

ただ、こんな朝早く行ったのは初めてでした。

 

正直観光寺のイメージしか無かったんですけどね。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628013654j:imageいつもは二年坂~三寧坂と上がるんですが、今回は清水五条の方から(いわゆる茶わん坂)上がってきました。

 


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人居ないwwwww

 

清水寺じゃねぇよ、これ。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628013919j:imageあちこち改修工事中でした。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014016j:image本堂も!

 


f:id:KOBANNAD:20170628014046j:image舞台も!

 

 

ほとんど人居なかったので、ゆっくりご本尊と向き合えました。

じっくりお経も上げれました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014201j:imageいつも人が並びまくる音羽の滝も人っ子一人も居ない。

 

 

こうしてみると早朝に行くのは非常に良いのでは?

 

 

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
概要
清水寺法相宗南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺滋賀県大津市)、長谷寺奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、明治18年(1885年)に法相宗に復す。昭和40年(1965年)に当時の住職大西良慶北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

清水寺の創建については、『群書類従』所収の藤原明衡撰の『清水寺縁起』、永正17年(1520年)制作の『清水寺縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)に見えるほか、『今昔物語集』、『扶桑略記』の延暦17年(798年)記などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次の通りである。

宝亀9年(778年)、大和国興福寺の僧で子島寺 で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。

その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。延暦17年(798年)、田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩毘沙門天の像を造り、ともに祀った、という。以上の縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけている。
平安時代以降
延暦24年(805年)には太政官符により坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされる。『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる。

清水寺の伽藍は康平6年(1063年)の火災(扶桑略記に言及)以来、近世の寛永6年(1629年)の焼失まで、記録に残るだけで9回の焼失を繰り返している。平安時代以来長らく興福寺支配下にあったことから、興福寺延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いにもたびたび巻き込まれ、永万元年(1165年)には延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡している。文明元年(1469年)には応仁の乱の兵火によって焼失し、その再建のために時宗僧の勧進聖願阿弥が迎え入れられた。願阿弥は清水寺入寺以前に橋や寺堂の再建、救恤といった事業に従事しており、その際に率いていた勧進集団や要人との人脈をもって再興事業に臨んだ。願阿弥自身は再興の完遂を見届けることなく世を去ったが、願阿弥の率いた勧進集団は寺内に地歩を築き、本願成就院として近世にいたる本願の出発点となった。現在の本堂は上記寛永6年の火災の後、寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進により再建されたものである。他の諸堂も多くはこの前後に再建されている。
三職六坊
豊臣秀吉清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承された。近世の清水寺は「三職六坊」と呼ばれる組織によって維持運営されていた。「三職」とは寺主に当たる「執行」、副寺主に当たる「目代」、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する「本願」を指し、執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めた。「六坊」はこれに次ぐ寺格を有するもので、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の6か院である。このうち、宝性院は仁王門北方に現存する。慈心院は本堂のみが随求堂(ずいぐどう)として残っている。成就院は近代の中興の祖である大西良慶(後述)が住坊とした所で、境内北側に位置し、現在は清水寺本坊となっている。「六坊」の6か院はいずれも境内南方にまとまって所在したが、このうち真乗院は織田信長によって廃絶され、以後は成就院によって寺籍のみが継がれていた。義乗院、智文院、光乗院、円養院も廃仏毀釈の時期に廃絶し、現在は延命院が残るのみである。
近代
近代に入り、大正3年(1914年)には興福寺住職・法相宗管長であった大西良慶(1875年 - 1983年)が清水寺貫主(住職)に就任する。大西は昭和40年(1965年)に法相宗から独立して北法相宗を開宗、初代管長となった。大西は昭和58年(1983年)、満107歳で没するまで70年近く清水寺貫主を務め、「中興の祖」と位置づけられている。大西は昭和41年(1966年)に月2回の北法相宗仏教文化講座を開始、昭和49年(1974年)には日中友好仏教協会を設立するなど、仏教を通じた国際交流、平和運動、文化活動などに尽力した。 現貫主は、森清範が務めている。

2015年には、10年かけて制作された絵巻物「清水寺平成縁起絵巻」が完成し、奉納された。寺の草創期から「平成の大改修」の完了までの1200年を描いた全巻で、全長65m。作画は日本画家で京都嵯峨芸術大学名誉教授の箱崎睦昌。絵絹や裏彩色といった伝統技法を復活させて描かれた。戦火が多く描かれた室町時代の『清水寺縁起絵巻』とは異なり、何度も焼失と再建を繰り返した清水寺を支えた庶民の姿をテーマに描かれた(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014345j:image舞台を見上げてもなんだかよくわかんないw

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014430j:image納経所のとなりの売店には清水寺貫主さまがお書きになられた直筆の納経軸が売られてます。

 

2回目は軸をさせて頂くつもりなので、是非こちらで頂こうかと思っております。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014641j:image西国
f:id:KOBANNAD:20170628014656j:image洛陽10番
f:id:KOBANNAD:20170628014707j:image洛陽11番
f:id:KOBANNAD:20170628014723j:image洛陽12番
f:id:KOBANNAD:20170628014802j:image洛陽13番
f:id:KOBANNAD:20170628014816j:image洛陽14番



納経印300円×6
笈摺200円

西国カラー御影200円

合計2200円

 

あ、入山料400円やから清水寺だけで2600円w

 

 

なかなかw

 

 

 

 

 

 

さて、そこから個人タクシーの運転手さんの「マナーの悪い中国人観光客の愚痴」を聞きながら向かったのは

 

 

西国三十三観音霊場第15番札所

洛陽三十三観音霊場第19番札所

 

【新那智山 今熊野観音寺

 

 

 


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途中に

 


f:id:KOBANNAD:20170628015546j:image御陵印が頂ける【月輪御陵所】があるんですが、今回は寄ってません。

母上と一緒に行く予定ですのでw

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628015733j:imageお大師さまがお出迎え。

ありがたや。ありがたや。

 

 

観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神巡りでは三番としてえびす神を奉祀。大同年間(806年~810年)、空海が庵を結んだのに始まるとされ、藤原緒嗣が伽藍を造営したと伝えられる。永暦年間(1331年~1334年)、新熊野神社が建てられるとその本地仏を祀る寺とされた。(Wikipediaより)

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170628020339j:image西国

f:id:KOBANNAD:20170628020304j:image洛陽

 

 

 

 

さて、そこから徒歩で少し登りまして、たどり着いたのは

 

洛陽三十三観音霊場第18番と20番札所

真言宗十八本山第8番札所

 

【月輪山 御寺 泉涌寺

 


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以前母上と訪れた時は楊貴妃観音さまが京都美術館に行ってらしたので御不在でしたが、

今回はお詣りできました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628020943j:image真言宗十八本山


f:id:KOBANNAD:20170628021011j:image洛陽18善能寺

 

 

 

泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来阿弥陀如来弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代後堀河天皇四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
仁和寺大覚寺などと共に皇室ゆかりの寺院として知られるが、草創の時期や事情についてはあまり明らかではない。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創。当初は法輪寺と称し、後に仙遊寺と改めたという。なお、『続日本後紀』によれば藤原緒嗣は承和10年(843年)に没しているので、上述の伝承を信じるとすれば、藤原緒嗣の遺志に基づき、菩提寺として建立されたということになる。

別の伝承は開創者を空海とする。すなわち、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪寺が起源であり、斉衡2年(855年)藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとするものである。空海による草創年代を大同2年(807年)とする伝承もあり、この寺院が後の今熊野観音寺泉涌寺山内にあり、西国三十三所観音霊場の第15番札所)となったともいう。以上の伝承を総合すると、平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後期には荒廃していたのを、鎌倉時代に再興したものと思われる。

鎌倉時代の建保6年(1218年)、宇都宮信房が、荒廃していた仙遊寺を俊芿に寄進、俊芿は多くの人々の寄付を得てこの地に大伽藍を造営し、霊泉が湧いたので、寺号を泉涌寺としたという(旧寺号の「仙遊寺」と音が通ずる点に注意)。宇都宮信房は源頼朝の家臣で、豊前国守護に任じられた人物であり、俊芿に帰依していた。俊芿(1166-1227)は肥後国熊本県)出身の学僧で、正治元年(1199年)宋に渡り、足かけ13年の滞在で天台と律を学び、建暦元年(1211年)日本へ帰国した。彼は宋から多くの文物をもたらし、泉涌寺の伽藍は全て宋風に造られた。

泉涌寺は律を中心として天台、東密真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えた。貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まった。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、「御寺(みてら)」と尊称されている。

応仁の乱による焼失を初め、諸堂はたびたびの火災で焼失しており、現存の堂宇は近世以降の再建である。大日本帝国憲法施行以来日本国憲法施行まで、営繕・修理費は全て宮内省が支出していた。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善能寺については

 

善能寺(ぜんのうじ)は、京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所である。
この寺は、一説によれば823年(弘仁14年)に空海が八条油小路の地に創建したのに始まるという。1551年(天文20年)に後奈良天皇の命で現在地に移された。

現在の本堂は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されたものである。

 

 

 

 

 

 

 

そのまま下って東福寺駅に向かう前に泉涌寺参道にあります、


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洛陽三十三観音霊場第25番札所

【法音院】

 

 

 

Wikipedia無い(´;ω;`)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628021742j:image洛陽

 

 

 

 

で、翌日の23日

 

 

またもや朝から向かったのは

 

 

 

西国三十三観音霊場第20番札所

 

【西山 善峯寺】

 

 


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あんまり写真撮らないアタシがこれでもかっていうくらい撮っちゃったwwwww

 

多分今のところ西国でいちばん好きなお寺。

なんかすっごい落ち着くのよ。

 


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f:id:KOBANNAD:20170628022410j:image天然記念物の松


 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628022459j:imageアジサイも綺麗やった。


どこぞの笈摺投げてよこしやがるライトアップ(笑)とか言ってる腐れ観光寺のアジサイよりよっぽど美しい。

 

 



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ホンマ趣のある景色も雰囲気も良いお寺でした!

 

善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区大原野にある寺院。山号は西山。西国三十三所第20番札所。善峰観音宗天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。


歴史
寺に伝わる『善峯寺縁起絵巻』(江戸時代)等によれば、長元2年(1029年)、源信の弟子にあたる源算が創建したという。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興された。
境内
境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が建つ。バス停留所から山道を数分登ったところに山門が東向きに建ち、石段を上った正面に観音堂(本堂)が建つ。

山門、観音堂は元禄5年(1692年)、山内最古の建物である多宝塔は元和7年(1621年)の建立。他の諸堂宇も大部分は江戸時代、桂昌院の援助で整備されたものである。

観音堂の左手(南)には寺宝館文殊堂が建つ。観音堂右手の石段を上った一画には鐘楼、護摩堂、経堂、多宝塔(重要文化財)、開山堂、遊龍の松(天然記念物)、桂昌院廟、十三仏堂などがある。そこからさらに上ったところに釈迦堂、阿弥陀堂があり、境内のもっとも奥には薬師堂(奥の院)、青蓮院宮廟などがある。

青蓮院宮廟 - 境内のもっとも奥に位置し、覚快法親王鳥羽天皇皇子)、道覚法親王後鳥羽天皇皇子)、慈道法親王亀山天皇皇子)、尊円法親王伏見天皇皇子)、尊道法親王後伏見天皇皇子)らの墓がある。墓地は宮内庁が管理している。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628022940j:imageバス亭をひとつ歩いて下る途中に

観音さんがおられました。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628023240j:image西国納経印

 

 

 

さて、なんだかんだで

 

 

 

 

 

 
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後、6ケ寺!

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼記。 25番~27番

 

 

 

憤怒の形相で慈悲の心

 

不動明王さま大好きKOBANNADです。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618234435j:imageこれは仁王さま

 

 

 

 

前日17日ほとんど寝ずに12~14番巡礼して、

 

そのままめちゃくちゃ忙しい土曜日の業務wwwww

 

 

で、本日は中村ゲンゲンと母上と三人で中村ゲンゲンの運転で朝8時から、

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場第25番札所
御嶽山 播州清水寺

 

 

広いお寺やったけど全部回ってたら後の行程がキツくなるので、しっかり観音さまにお詣りして、

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618234938j:image納経頂いてきました!

 

 

清水寺(きよみずでら)は兵庫県加東市平木にある天台宗の寺院。山号は御嶽山。本尊は十一面観世音菩薩で秘仏となっている。

西国三十三観音第25番札所。同じ西国三十三観音の第16番札所である京都市音羽山清水寺と区別するため播州清水寺とも呼ばれる。
歴史
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺(古代インド)僧の法道が創建したとされ、627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立。さらに725年(神亀2年) 聖武天皇行基に命じて講堂を建立したと伝える。

日本へ仏教が伝来したのは6世紀のことであり、「1,800年前に法道が創建」との伝承は後世の付託である。法道は天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物である。法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、「天竺から紫の雲に乗って」云々はともかくとして、その由来につながる仏教者がこの地に存在したことは想定される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

その後車を走らせ、

 

 

 


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西国三十三観音霊場第26番札所
【法華山 一乗寺

 

門前のバス亭におられた方に挨拶したら、

「昨日石山寺でお会いしたお兄ちゃんですな!昨日は妻が色々と教えて頂いてすいませんでした」

みたいなw

 

確かにちょっと聞かれたから西国の作法をおばちゃんにお伝えしたけど、

先達でもない俺がそんな照れくさいわ。

 

オカンとゲンゲンがちょっとびっくりしてたのは面白かったけど。

 

 

まぁ間違った事はしてへんから、これも仏縁なんやろうかなと勝手に思ってたり。

 

 


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綺麗なお寺やったなぁ。

ゲンゲンがやたらと気に入ってたみたい。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000155j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音菩薩である

寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。

法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。

創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。

一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。(Wikipediaより)

 

 

 

 

そっからナビの設定少し間違えて時間ロスしたりしながらもなんとかたどり着いたのが、

 

 

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170619000216j:image書写山ロープウェイ乗り場。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000313j:image官兵衛くんって何やねんw

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170619000400j:imageロープウェイ登って

 

 

 


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西国三十三観音霊場第27番札所
書写山 圓教寺

 

 

 

 

天台宗やから西の比叡山と呼ばれてるらしいすわ。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000611j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

 

圓教寺円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写山(しょしゃざん)に位置する寺院で、天台宗の別格本山である。山号は書寫山(書写山)。西国三十三所第27番。現住職は第140世。宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇法皇も多かった。

境内は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥の院のある「西谷」に区分される。伽藍がある標高371mの書写山は、兵庫県指定の書写山鳥獣保護区(特別保護地区)に指定されている。

山内には、姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所があり、そこには本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子・宮本三木之助などの墓もある。室町時代の応永5年(1398年)から明治維新まで女人禁制であったため、女性は東坂参道の入口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰った。

近年では、2003年(平成15年)公開のハリウッド映画『ラストサムライ』のほか、NHK大河ドラマ『武蔵』(2003年〈平成15年〉)や『軍師官兵衛』(2014年 〈平成26年〉)のロケ地にもなった。
歴史
書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。創建当初は「書写寺」と称した。仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ、「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる。また一つに、その名は、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられる。

性空の生年については、西暦903年説、910年説、928年説があるが、『性空上人伝記遺続集』(三千院所有、重要文化財)によれば、性空は延喜10年(910年)の生まれで、貴族の橘氏の出身であったという。性空は出家した時、すでに36歳であり、それから約20年間、霧島山脊振山など九州で修行を積んだ後、霊地を求める旅に出て、康保3年(966年)の57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるとされる。入山して4年目の天禄元年(970年)、天人が書写山内のサクラの霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空が、弟子の安鎮に命じて生木のサクラに如意輪観音の像を刻み、その崖に3間四方の堂を建てた。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建であるという。

性空の伝記や説話は『性空上人伝記遺続集』のほか、『元亨釈書』、『今昔物語集』などにも見られる。それらによると、性空は俗事を厭い、栄華や名声に関心がなかったが、都の皇族や貴顕の崇拝が篤かったという。なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立したとされる。花山法皇以外にも、後白河法皇後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立が行われている。

花山法皇勅願の「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形(輪円)は欠けたところがなく、徳において最も成就した状態を象徴していることから、自己を完成する道を教える寺の意となる。

武蔵坊弁慶は、一時期、書写山で修行したとされており、机などゆかりの品も伝えられ公開されている。ただし史実である確証はない。一遍、一向俊聖、国阿らの時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。

天正6年(1578年)、織田信長より中国地方征伐を命じられた豊臣秀吉が、播磨制圧のため乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰った。その後、天正8年(1580年)に、長浜より如意輪観音像だけが戻された。この摩尼殿の本尊は、性空如意輪観音像と同木同作の如意輪観音であり、性空の生木如意輪観音像は、延徳4年(1492年)の真言堂からの火災により、蓮鏡院、如意輪堂とともに焼失している(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっから赤穂へ。

 

 


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赤穂浪士で有名な

播州赤穂 大石神社】

 

 

 手水場の真ん前にリラックマの絵馬があって水吹き出しました、すいませんwwwww

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619001213j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

大石神社(おおいしじんじゃ)は、赤穂事件において討ち入りをした大石良雄赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

兵庫県赤穂市にある。旧社格は県社で、現在は神社本庁別表神社大石良雄赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。
歴史
赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森家の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可森成利森長隆、森長氏、森忠政)を合祀した。
本殿、拝殿のほか、境内社として浅野家が藩主だった時代から藩民の崇敬を受けた摂末社が多数ある。宝物展示施設として、赤穂浪士の遺品などを陳列する義士宝物殿、長矩・四十七士らの木像を展示する義士木像奉安殿、大石邸長屋門(国の史跡「大石良雄宅跡」のうち)などがある。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、帰り道に。

 


f:id:KOBANNAD:20170619001556j:imageあいおい白龍城で温泉浸かって帰ってきました。

 

 

 

 

夜はゲンゲンと二人でお好み焼きwwwww

 


f:id:KOBANNAD:20170619001738j:imageお好み職人ゲンゲンwwwww

 

 

 

 


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って事で本日で24ケ寺達成。

後、9ケ寺(^q^)

 

ちなみに番外は3ケ寺とも回ってるから大丈夫(^q^)

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼記。6/12~17

 

 

疲労が抜けない正義のヒーロー~🎶

それは俺~🎶

 

どうも、KOBANNADです(^q^)

 

 
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f:id:KOBANNAD:20170618234011j:image巡礼中に見つけた中村シリーズ

 

 

 

 

 

 

 

先週の休みに西国の和歌山をお詣りして、名古屋の姉上とLINEでちょこちょこ連絡をしながら、来月の17日に久しぶりに名古屋遠征に行くという話が本決まりになりまして。

 

その時に姉上も岐阜まではご足労頂く事にはなりますが、

みんなで33番札所谷汲山華厳寺に参拝しようという話もありまして。

 

 

話が決まった時にふと、アタクシは思ったのです。

 

「せっかく行くんだから、谷汲で結願しよう。」

つまりは

 

 

【残り18カ寺中17カ寺を来月17日までに回る】

 って事ね。

 

 

 

 

4/9上醍醐寺から始めた西国巡礼。

6/11時点で15カ寺

約1ヶ月で17カ寺、しかも残ってるの遠いとこばっかりw

 

 

 

って事で、今回のお話。

 

 

6/13(火)

仕事前に向かいましたのは

 

10番札所 三室戸寺

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170618222552j:image入山料500円
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f:id:KOBANNAD:20170618222631j:image途中アジサイ咲いてたりして綺麗なお寺やなぁ、とか思ってました。
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ここまでは良かった。ホンマ。

 

 

 

 

 

いつも通りお詣りを済ませて、納経所へ。

 

白衣(笈摺)をお願いして、納経帳のページを開いて渡そうと準備してたら、

 

 

 

 

 

バサッ

 

 

 

 

 

 

 

 

……白衣投げてよこしやがった。

 

 

しかも、あて紙すら無い。。。。。

 

 

アジサイライトアップする前に仏門に居るものとしてやること無いのか?

入山料取るのは構わない、だけどそれなら他の同じ西国霊場のお寺同様当たり前の事をしろって話だろ?

 

観光寺は本当に最低だわ。

 

 

ちなみにあまりにムカついたので2ちゃんの西国スレ見てたら

 

 

 

 

212 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2017/06/14(水) 20:46:22.86
三室戸寺やっぱり投げられましたか。
私も朱印帳を雑に仕上げられたうえに散華と一緒に脱げられました。

 

 

 

 

とか

 

 

 

213 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2017/06/14(水) 21:05:16.02 
三室戸はおばちゃんは愛想がよかったよ。オッサンのほうが全くダメ。
あそこはとにかく早く閉めたがるから時間間際には絶対行かないほうがいい。

 

 

 

 

なんて事書かれるような寺。

 

Facebookのレビューも低い評価のとこには大概の事書かれてる。

 

 

 

正直、西国はもう1回は最低回るけどここは二度と行きたくない、そう思った。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618223826j:image納経印。
 

 

 

 

 

 

 

 

あまりにムカついたので仕事前に帰り道、

 


f:id:KOBANNAD:20170618223753j:image初天神にお詣りしてますた。

 店の近くやのに全然行ってなかったからね(^q^)

 

 

 

 

で、翌6/14(水)

 

同じように仕事前に

 

 

 大阪ー京都ー亀岡と向かって

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場第21番札所
【菩提山 穴太寺

 

 


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四国みたいな感じのエエお寺でした。


しかし同じ西国霊場でもこうも違いますかね。

 

 

 

 

穴太寺(あなおじ)は、京都府亀岡市にある天台宗の寺院。山号を菩提山(ぼだいさん)と称し、本尊は薬師如来、札所本尊は聖観世音菩薩。西国三十三所第21番札所となっている。
「あなおおじ」「あのうじ」「あなおうじ」と読まれることもあり、「穴穂寺」「穴生寺」とも表記された。
歴史
宝徳2年(1450年)成立の『穴太寺観音縁起』によれば、慶雲2年(705年)、文武天皇の勅願により大伴古麻呂が開創したとされる。

穴太寺聖観音像は「身代わり観音」の伝説で知られ、この伝説が『今昔物語集』に取り上げられていることから、平安時代末期には観音霊場として当寺が知られていたことがわかる。『今昔物語集』所収の説話によると、昔、丹波国桑田郡の郡司をしていた男は、都の仏師に依頼して聖観音像を造り、仏師には褒美として自分の大切にしていた名馬を与えた。しかし、与えた名馬が惜しくなった男は、家来に命じて仏師を弓矢で射て殺してしまった。ところが、後で確認すると仏師は健在で、観音像の胸に矢が刺さっていた。改心した男は仏道を信じるようになったという。同様の説話は『扶桑略記』にもあるが、ここでは男の名が「宇治宮成」、仏師の名が「感世」とされている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

f:id:KOBANNAD:20170618224524j:image納経印頂きました。

 

 

 

天気もよく前日がウソのような、

気持ち良い参拝が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

さらに翌6/15(木)

 

 

 


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西国三十三観音霊場第23番札所
【応頂山 勝尾寺

 

 


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天気も最高!

 


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お寺も最高!

 

 

 


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ここのアジサイは咲きはじめでどこぞの寺よりライトアップ(笑)は無いけど、

遥かに美しい。

 


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弁天さんも

 


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そない言うたら坊さんがお経唱えてはるのが、

境内にスピーカーで響き渡るんよなぁ。

 

そのスピーカーが


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BOSE(坊主)?

狙ってるのかw

 

 

 

 

ちなみに勝尾寺箕面にありますので、住んではるから


f:id:KOBANNAD:20170618225922j:imageきよし師匠ご夫妻で御寄付なさってはりました!

 

 

 

 

勝尾寺かつおうじ)は、大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。山号は応頂山。西国三十三所の第二十三番札所。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。
伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727年)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765年)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777年)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780年)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。

開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。

勝尾寺平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880年)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。

元暦元年(1184年)、治承・寿永の乱源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188年)、源頼朝の命により、熊谷直実梶原景時によって再建された。

承元4年(1210年)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。(Wikipediaより)

 


f:id:KOBANNAD:20170618231955j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、1日空けて6/17(土)

 

 

ご縁日(毎月17日)で山門前までシャトルバスが無料で走るという情報をゲットしたので、

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618230358j:imageJR石山駅前から乗ることに。

 

出発一時間前に着いて、

「俺1番やー!」

って喜んでたらだんだん時間経つにつれてすっげぇ並んでんのw

結局バス1台で足りないからもう1台臨時で出たくらい。

 

 

 

先達さんもいっぱい来てて、

ちょこちょこ話をさせてもらってたら、

「お兄ちゃん悪い事言わへんからここのお寺、このバスで行くんやったらこの人数が一気に来るんやから、先に納経所行って納経済ませて、順番は逆やけどそれからお詣りしたらエエ。観音さんにはお詣りの時にえらいすいませんでしたって言っておけば。」

 


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ってことで、

 

 

先達も納経の為にダッシュをする寺w

 

 

西国三十三観音霊場第12番札所
【岩間山 正法寺

到着。

 

 

 

 

 

 

正法寺(しょうほうじ)は、滋賀県大津市石山内畑町にある真言宗醍醐派の寺院。本尊は千手観音、開基(創立者)は加賀白山を開いた泰澄(たいちょう)である。別称は岩間寺(いわまでら)。西国三十三所観音霊場第12番札所の他、ぼけ封じ観音第4番札所となっている。

 

正法寺は、11番上醍醐の東方約4キロ、13番石山寺の南西約4キロ、滋賀と京都との府県境の一部をなす岩間山(標高443m)上に位置する。

縁起によれば、元正天皇の病気平癒祈願に功のあった泰澄が養老6年(722年)、岩間山中の桂の大樹から千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻んで、元正天皇の念持仏である金銅千手観音像をその胎内に納め祀ったのが当寺の初めとされる。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618232253j:image納経印


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、そのバスは帰り道に

 

寄ってくれるんですよ!

 

 


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西国三十三観音霊場第13番札所
【石光山 石山寺

 

 


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ここでいつも通りお詣りしてから、納経所に行って白衣&納経帳頂いて

KOBANNAD「カラーの御姿いただけますか?」

寺男「売店!」

 

 

 

 

 

 

 

………あのなぁ、お前んとこの寺以外はみな納経所で御姿いただけるんや、10番のクソ寺ですらな。

お前んとこが売店で取り扱ってるのん何処にも書いてないんやから分かる訳あらへんがな!

生意気にクソ高い入山料取っておきながら。

えらっそうなモノの言い方しやがって、しばいたろかっ!

 

 

 

 

 

って言いたいのをグッとこらえて。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618233300j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

京阪石山寺までバスに乗り、京阪電車に。

 

 

 

すると今朝正法寺で朝イチ素晴らしいダッシュをかましてた先達さんとお会いしまして。

 

 

色々とお話をしていくうちに意気投合してしまい、

 

 

 


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西国三十三観音霊場第14番札所
【長等山 三井寺

 

 

ご一緒させていただいて納経も捗りました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618233553j:image納経印頂いてまーす。

 

 

 

帰り道近江ちゃんぽんの有名な店に寄って

 

 

 


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【豚そばブラック】
とか注文してる俺wwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

西国の金儲け丸出しの観光寺の連中は、花山院行って説法聞いて来たらエエんちゃうやろかなぁ。

 

 


 

 

 







 

 

 

 

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼 第2番紀三井寺&第3番粉河寺

 

 

こないだの週末は系列店のランチの応援に行って、自分の店もおかげさまでかなり忙しくて、

 

先々週の四国、先週の槇尾山の疲れが抜ける以前の問題でしたが、

 

 

本日も、行ってまいりました。

 

 

さすがにいつものように朝イチからっていう訳にはいきませんでした、昼前までさすがに寝ちゃってましたからね。

 

 

和歌山方面に行くか滋賀方面に行くかで悩んでたんですけど、和歌山の西国の札所2ヵ寺だけ行こうかなぁって。

 

 

 

 

11時過ぎに自宅を出て、

JR環状線桜ノ宮天王寺

 

途中環状線のアナウンスで京阪の中書島駅付近で人身事故があって京阪が止まっているという情報が。

滋賀行ってたらエライ事になる所やわ。

 

 

そっから

JR阪和線天王寺→和歌山

 

JRきのくに線和歌山→紀三井寺と約2時間かけて

 

 

 

 

 

 

 

やってまいりましたは、西国三十三観音霊場第2番札所

【紀三井山 金剛宝寺

 

 


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立派な山門ですなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺にある仏教寺院。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)。西国三十三所第2番札所。救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)総本山。

 

寺号は詳しくは紀三井山金剛宝寺護国院と称し、宗教法人としての公称は「護国院」であるが、古くから「紀三井寺」の名で知られる。宗派はもと真言宗山階派に属したが、1948年に独立して救世観音宗総本山を名乗り、山内子院6ヶ寺および末寺14ヶ寺を包括する。本尊は十一面観音で、西国三十三所観音霊場の第2番札所である。

寺域は紀ノ川河口平野の南部にある名草山(なくさやま、228.6メートル)の中腹にあって、境内から和歌浦湾を一望のもとに収める。山内に涌く三井水(さんせいすい:吉祥水・清浄水・楊柳水)は紀三井寺の名の由来とされ、いずれも水源には慶安3年(1650年)の年記とそれぞれの名水の名を刻銘した砂岩製の水槽がある。これらの水槽は徳川頼宣の命により設けられたものである。また、三井水は1985年(昭和60年)3月に環境庁(現・環境省)が選定した「名水百選」に選ばれている。境内は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれている(Wikipediaより)

 

 

 

 

実は天王寺から電車に乗ってる時に4歳くらいの男の子とお父さんが隣に座ってましてね、行儀のエエ可愛いらしい男の子で、

 

和歌山で下車したのかなぁと思ってたら、紀三井寺で降りてはりまして、

親子で自転車二人乗りして家に向かって帰ってたんでしょうな。

後部座席の男の子が何回もこっちを振り返って手を振ってくれるんですわ。

 

なんか嬉しくなってしまいましたね。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170611230550j:image本堂

 


f:id:KOBANNAD:20170611230610j:image裏門

 

 


f:id:KOBANNAD:20170611230652j:image納経印

 

 

 

 

 

紀三井寺駅から紀三井寺まで700メートルくらいあるんですが、

次の電車まで約4分しかなくて猛ダッシュかましてなんとか間に合ったのは秘密wwwww

 

 

その電車逃したら約30分待たなくちゃイカンですからね。

 

 

 

で、一旦和歌山に戻って

そこから和歌山線に乗り換え粉河駅に向かいます。

 

 

 

バブルの頃は良かったのか、いまはかなり寂しくなった参道を抜けて

 

 

 


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西国三十三観音霊場第3番札所

【風猛山 粉河寺】

とうつき~🎶

 

 


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粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある天台系の寺院。西国三十三所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山。
本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。

草創の縁起は『粉河寺縁起絵巻』(国宝)に伝えられている。

粉河寺縁起」には2つの説話が語られている。1つ目の話は粉河寺の草創と千手観音の由来に関するものである。紀伊国の猟師・大伴孔子古は宝亀元年(770年)のある日、山中に不思議な光を発する場所を見つけて、そこに小さな庵を営んだ。これが粉河寺の始まりという。その後のある日、孔子古の家に一人の童子(童男行者)が訪ねて来て、一晩泊めてくれと言う。童子は宿を借りたお礼にと言って、7日かけて千手観音の像を刻んだ。8日目の朝、孔子古が見てみると童子の姿はなく、金色の千手観音の像だけがあった。孔子古は殺生をやめて観音を信仰するようになったとのことである。

2つ目の話は千手観音の霊験説話である。河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で明日をも知れぬ命であった。そこへどこからともなく現れた童行者が千手千眼陀羅尼を称えて祈祷したところ、娘の病は全快した。喜んだ長者がお礼にと言って財宝を差し出すが童行者は受け取らず、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と緋の袴だけを受け取り、「私は紀伊国那賀郡におります」と言って立ち去った。長者一家が那賀郡を尋ねて行くと、小さな庵に千手観音像が立ち、観音の手には娘の提鞘と緋の袴があった。長者一家は、あの行者が観音の化身であったことを知ってその場で出家し、孔子古とともに粉河寺の繁栄に尽くしたとのことである。

以上の説話がどこまで史実を反映したものかは定かでないが、粉河寺は平安時代には朝廷や貴族の保護を得て栄えたことは確かである。清少納言の『枕草子』194段には「寺は壺坂、笠置、法輪(中略)石山、粉川、志賀」とあり、『梁塵秘抄』に載せる今様には、「観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河(後略)」とある。西行の『山家集』や、架空の物語である『うつほ物語』『狭衣物語』にも粉河寺への言及があるなど、遅くとも平安時代中期・10世紀には観音霊場として著名であったことがわかる。平安時代後期には、その頃から始まった西国三十三所観音霊場巡りの札所の1つとして栄えた。

天正13年(1585年)、豊臣秀吉紀州に攻め入り、根来寺雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失した。この時、粉河寺縁起絵巻も焼損した。正徳3年(1713年)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の江戸時代の再建である。

大門から南に約1キロメートル続くJR粉河駅前通は、門前町として栄えたが、県道の拡幅工事により、かつての面影はなくなってしまっている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170611231822j:image納経印

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170611231838j:image粉河寺は長寿箸が有名です。母にも買ってきましたが、

まさかオリジナル輪袈裟まで売ってるとは思わなんだwwwww

 

 

 

 

 

 

 

粉河駅からJR橋本駅

南海橋本駅に乗り換えて新今宮まで帰ってきて、

環状線乗り換えて桜ノ宮まで帰ってきました。

 

 

 

京橋で久しぶりに


f:id:KOBANNAD:20170611232009j:image新福菜館を。

 

 

JR和歌山駅の売店で和歌山ラーメン食う予定やったのに、

売店自体潰れてたという悲しい話(´;ω;`)

 

 

とりあえずラーメンが食いたかったんだ。

 

 

余談ですが、ゲンゲンは昼にカレーラーメン食ったとかわざわざLINEしてきやがりましたけどね!

 

 


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本日で33ヵ寺中15ヵ寺ですな。


番外入れたら36ヵ寺中18ヵ寺やからほぼ半分やな!

 

よっしゃ頑張るでぇ!

 

 

 

西国三十三観音巡礼記 4番槇尾山施福寺~6番壺阪山南法華寺~7番東光山岡寺

 

 

 

今日は、足腰ガクガク筋肉痛なKOBANNADさんなのだー!

 

 

 

 

ってのっけからアライさん調でお送りいたします本日の巡礼ブログ。

 

 

 

昨日は朝6時から起きて向かいました、

西国三十三観音霊場第4番札所【槇尾山 施福寺

 

 


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11番札所上醍醐寺が札所のある准胝堂が落雷の為に無くなって現在下醍醐の方で納経が行われてますので、事実上西国霊場1番の難所と言っても過言ではないお寺です。

 

 

 

 ちなみに

上醍醐
西国三十三所第11番札所であり、西国一険しい札所として知られる。上り口にはかつて女人結界があったことから、女人堂がおかれ、そこから険しい山あいに、平安時代のままに残る国宝の薬師堂、醍醐寺鎮守神である清瀧権現拝殿(国宝)、准胝堂(現存せず)、五大堂などが立ち並ぶ。上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ているほか、醍醐山頂(標高450m)には、如意輪堂(重文)と開山堂(重文)と白山大権現が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院がある。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

実際に参道入り口の売店のオヤジさんに聞いた話によると大小合わせて約960段の階段があります。

山道を一キロ以上登って行く行程は慣れた人でも30分弱、お年寄りだと一時間以上かかるという話(もちろん片道)。

 

 

 

そこに行くのに一人で向かったアタクシ。

 

 

つまりは電車w

 

 

JR桜ノ宮→JR新今宮→南海新今宮→南海河内長野南海バス滝畑ダムサイト→徒歩3キロ

 

で、【裏参道】に到着。

 

実はこの裏参道前に

 

 

『ここより登れません。槇尾会館にカーナビをセットしなおして迂回してください  施福寺

 

って看板が。

 

 

って書かれたら普通徒歩でも登れんと思うやん?

実際は【ダイヤモンドトレイル】っていう登山道で、

 

登れるんすけど、この辺り全く電波が入らなくてGoogle先生もヤフーも全く役に立たなくて(^q^)

 

一時間山道歩いて外環状に出て電波が繋がってから分かったというお話wwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170605212952j:imageマップとかでも途中までしか経路出ぇへんしね。

こんなん分かる訳あらへんwwwww

 

 

ダイヤモンドトレールは、1970年に大阪府によって整備された自然歩道であり、大阪環状自然歩道の一部を構成している。 なお、ダイヤモンドトレールという名称や指定は1972年になされたものである。
屯鶴峯 - 二上山 - 岩橋山 - 大和葛城山 - 金剛山 - 岩湧山 - 槇尾山とつながる全長約50kmに及ぶ。大阪・奈良・和歌山県境きっての山を経由する、六甲縦走、比良縦走とならぶ関西地方を代表する縦走路となっている。通称ダイトレ。健脚者の中には一日で走り抜ける者もあるが、交通の便が比較的よくエスケープルートも多いため通常はコースを分割することが多い。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

途中にあった
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f:id:KOBANNAD:20170605212452j:image布引不動さんにお詣り。

 

そっからぐるーっと10キロ近く歩いて山の反対側を目指して歩いてたんやけど流石に限界wwwww

 

 

15分くらいかかったけどタクシー呼んで反対側にある例の『槇尾会館』の先にある駐車場まで行ってもらって、

お詣り済むまで待ってもらうことに。

 

 

で、いよいよ11:40くらいから(二時間半くらい山道歩いてたんやなぁ)


f:id:KOBANNAD:20170606050531j:image施福寺の山門までがまず遠い。

 

 

 

そっから


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f:id:KOBANNAD:20170606050657j:image階段&山道をひたすらひたすら登る登る。



 


f:id:KOBANNAD:20170606050734j:image途中お大師さんが髪を剃って完全に出家なさったというお堂があり。


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さらにまだ階段を登る


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そして合計960段、距離にして一キロ以上登った先に

 


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f:id:KOBANNAD:20170606051028j:imageやっとの想いで本堂到着!

 

 

アタクシ30分弱でなんとか登りました。

 

 

ちなみに。

昔はこの本堂近くに売店があったそうですが、今はありません(^q^)

 

 

つまり登る時に飲み物を持って来ないとアタクシみたいに地獄を見ることになりますwwwwwwwwww

 

 

そら、二時間半山道歩いてなんぼ途中タクシー乗ったとしても更に階段960段&山道登ったら喉カラカラやで。

 

 

 



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フラフラになりながらもいつも通りお経をお勤めさせて頂いて、納経を頂きました。

 

 

 

下りはほぼダッシュwwwww

 

 

途中バスツアーの方々や、

10歳くらいなのに菅笠かぶって白衣まで着た小さな巡礼少年とそのご両親に会ったりして色々お話をしました(喉はカラカラ)

 

 

少年はお坊さんに将来なりたいらしく(父親談)菅笠に【善光寺】って書いてたので聞いたら親子で西国もう二周してるみたい。

 

 

 

思わず少年に手を合わせてしまいましたわ。

 

 

「僕、頑張ってな。」って言ったら

「おっちゃんも頑張って」って返してくれました。

あの子は将来楽しみやね。

 

下まで降りて売店の親父さんからお茶を買って、さっきの階段の段数のお話。

 

 

 

 

ちなみにアタクシが降りるの早すぎて、

タクシーの運転手さんが下で待ってて

 

「え!めっちゃ早い。慣れた人でも小一時間かかるのに」

 

 

って言われたのもご愛嬌wwwww

 

 

 

 

 

んで、タクシーで河内長野の駅まで戻る。

 

 

 

河内長野駅は南海と近鉄が併設されている駅やったりします。

 

 

で、近鉄河内長野近鉄古市→近鉄壺阪山へと乗り換えまして

 

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場 第6番

【壺阪山南法華寺

 

壺阪寺の名前の方が有名ですね。

 

 


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法華寺(みなみほっけじ)は、奈良県高市郡高取町にある真言宗系の単立寺院。山号は壺阪山。一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。703年(大宝3年)創建と伝え、西国三十三所第六番札所。
本尊十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。園内には養護盲老人ホーム慈母園があり、他にも国の内外で福祉事業を展開している。

インドでの救ライ事業への尽力に対する返礼として1983年3月に贈られた「天竺渡来大観音像」は、大理石造り、高さ約20m、総重量1200トンの壮大なもの。その他、インド渡来のものとしては、石像大仏伝図、天竺渡来大石堂がある。
草創については不明な点が多いが、伝承によれば大宝3年(703年)に元興寺の弁基上人により開かれたとされる。京都の清水寺の北法華寺に対し南法華寺といい、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えた。(Wikipediaより)

 

 

 

本堂でお経上げようとしてたら、ウチのオカンより年上のおばーちゃん3人が、

「お兄ちゃん今からお経上げはるん?」

って聞いてきたから

「ええ、そうですよ」

って答えたんすわ。ほなら、

 

「私らお経とかよう唱えたりでけへんけど、手を合わせてるだけやけどご一緒さしてもろてかまへんやろか?」

 

 

って。

 

 

「いやいや、おばちゃんそらかまわへんけど、ワシこんな格好しとるだけでナンボのもんでもおまへんよ?」

 

 

まぁ、実際観音霊場巡礼しとるのに思いっきりこないだ四国で買った

【南無大師遍照金剛】

って書いてるTシャツ着てたし(観音霊場は普通は【南無観世音菩薩】)wwwww

輪袈裟とか着けてたりしてるから霊場巡りの先達やと思われたのかw

 

 

そんなこんなでおばーちゃん達とお詣りをご一緒させて頂きました。

 

まさかの体験。

逆に四国じゃなかなかあり得ないかもしれない経験やったんかもね。

 

 

 

 

 

 




f:id:KOBANNAD:20170606103834j:image納経印頂きました。


 

 

 

 

 

そこから壺阪山駅に戻って、ひと駅隣の近鉄飛鳥駅へ。

西国三十三観音霊場第7番岡寺へと向かうんですが、さらに隣の近鉄岡寺駅は岡寺へ距離は一番近いんですがタクシー乗り場も無ければバスのアクセスも悪いという話。

 

飛鳥駅から岡寺へと。

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場 第7番札所

【東光山 岡寺】

 

 

 

岡寺(おかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院。山号は東光山、寺号は龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称し、詳しくは東光山真珠院龍蓋寺という。本尊は如意輪観音西国三十三所第7番札所。
東大寺要録』「義淵伝」、『扶桑略記』等によれば、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。この時、同時に龍門寺なども建立された。史料上の初見は、天平12年(740年)7月の写経所啓(『正倉院文書』)である。

現在の寺域は明日香村の東にある岡山の中腹に位置するが、寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものと推定されている。寺跡は平成17年(2005年)に「岡寺跡」として国の史跡に指定された。

現在では真言宗豊山派の寺院だが、義淵僧正は日本の法相宗の祖であり、その門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいた。義淵僧正が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺であった。江戸時代以降は長谷寺の末寺となった。(Wikipediaより)

 

 

岡寺では特に何事もなく普通にお詣りさせて頂きましたよ。

ってかもう正直かなり疲れてて周りがあまり気にならなかったのか、

もう周りを見る余裕もなかったのかw

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170606104312j:image納経印頂きました。

 

 

 

 

岡寺前のバス亭から橿原神宮前駅まで揺られて、

近鉄橿原神宮前近鉄大和八木→近鉄難波へと。

 

途中電車を待つのも疲れて


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大和八木→鶴橋間は特急なのーん!

 

 

 

 

 

 

 

 

で、最後はミナミの焼肉【かどや】で


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f:id:KOBANNAD:20170606104957j:image泥酔するまで飲み食いしましたとさwwwww





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年5月お遍路。(27番神峯寺~36番青龍寺&土佐神社)

 

 

ダイエット効果でお遍路用のズボンのサイズをひとつ小さいものに新調して、

身も心も晴れやかなる新緑。

 

皆さまいかがお過ごしでしょうかKOBANNADです。


f:id:KOBANNAD:20170529150313j:image痩せたやろwwwww

まぁまだもう10キロくらいは落としたいけどwwwww

 

 

 

昨日5/28に、2ヶ月ぶりに本四国遍路再開致しました。

相棒中村ゲンゲンの90日の免停もやっと解除されて、いよいよ【修行の道場】高知を本格的に今回から巡礼、みたいな。

 

 

前回室戸岬の24~26番を打ち終えてましたので今回は27番札所神峯寺からということで。

 

 

中山道にある展望台でテントを張ってお休みの歩き遍路の方を発見。

歩きの方は大変だわ。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170529173254j:image山門の隣には【神峯神社】へ向かう道も併設されて居ます。

 

今回は時間が無いので断念。

 

神峯寺のお水は名水でめっちゃ美味かった。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170529232523j:imageナニワの退魔師wwwww

 

 

 

 

あ、すいません本四国はWikipedia転載はあまりに量が多くなりそうですので控えますw

 

 


f:id:KOBANNAD:20170529230727j:image納品印。

 

 

 

 

 

 

で、そのまま南国市内へ戻って

28番札所 【大日寺

 

 


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今回の行程は全て見て頂くと分かるんですが、神峯寺~高知中心部まで合計10ケ寺回る予定でしたので移動がかなりシビアなんですね。

 

 

ただここの門前の土産&遍路用品店の看板に

 

【土佐の手漉き和紙朱印軸、朱印帳

 

の文字を見つけてしまいあまりに興味をひいたので少しだけ寄ってしまいました。

 

確かに素晴らしい品物でしたがお値段がwwwww

 

朱印帳13000円!

朱印軸38000円!

 

さすがに今かなりの巡礼中のアタシには無理な金額でしたので、2回目の遍路の時軸をするつもりですのでこちらで買おうかなとは思います。

 

かなり人好きな田舎のおっちゃんおばちゃんな店主ご夫婦で、30分以上話に付き合わされたのはご愛嬌wwwwwwwwww

 

ちなみにアタシはこちらで菅笠と南無大師遍照金剛のTシャツを

ゲンゲンもTシャツを買いました。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170529232253j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、次なる札所は29番札所 【国分寺

 


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f:id:KOBANNAD:20170529232402j:image陽射しが凄くてもう菅笠かぶらないとキツかったです。

せっかくなんでシャツも着替えて。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170529232915j:image味のある納経印。

 

 

 

 

で、ここから30番には行かずにあえて35番札所へ先に向かいます。

 

35番札所は山道があまりに狭く観光バスがすれ違えずに、バスツアー客がタクシーに分乗して上がったりする本四国の中でも車遍路にとって難所のひとつなんですね。

 

 

なるべく早くに行かないとえらいことにはなるけど、朝一に27番は終わらせてないと帰りがまた距離が長くなって大変だから逆回りもなかなか難しく、

考えた挙げ句高速に1番近い29番まで回って、35番へ移動して最後にまたインターに1番近くなる30番へ戻る行程を選択。

 

 

 

このように車遍路には車遍路の難しさがあります。

 

 

 

ましてや前回も言いましたけど我々は

【大阪から日帰り】

ですからねwwwww

 

 

 

シビアな上にシビアwwwww

 

 

 

 

 

さて、その山道もゲンゲンに言わせると

 

 

「確かに狭いし切り返す場所もあんまりないっすけど、全体的にお寺までの距離が長くないからそないに難しくはないっすね。12番焼山寺の方がはるかにキツかったですわ」

 

なかなか頼もしいwwwww

 

 

 

ちなみにアタシは助手席で爆睡こいてましたけどね←酷い

 

 

 

んでもって

35番札所 【清瀧寺】

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530003610j:image薬師如来さまがお出迎え


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f:id:KOBANNAD:20170530003701j:image素晴らしい眺め

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530003733j:image達筆だ。

 

 

 

 

そこから、


f:id:KOBANNAD:20170530003803j:image橋を越えて海を渡り

 

甲子園常連校「明徳義塾」キャンパスの近くにあります

 

第36番札所 【青龍寺

 


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実はこのお寺はあの横綱朝青龍】の名前の元になったお寺なんですね。

横綱の名前は「朝青龍明徳」。

自分の出身校と稽古をしていたお寺から名前を取ったというのが彼らしいです。

 

お寺で【土佐打ち包丁】を売ってたのにもびっくりしましたがwwwww

 

駐車場が狭くて遍路同士がケンカしてたのもご愛嬌wwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530004311j:image納経印。こちらも達筆ですねぇ。

 

 

 

 

 

 

さて、ここからは高知市街地へ戻る行程になります。

 

 

 

 

 

 

 

34番札所 【種間寺

 

 

 


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なんでもお寺の長老さまがお亡くなりになられたそうで葬儀の準備の真っ最中でした。

 

ご冥福をお祈り致します。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530004611j:image味のある美しい納経印ですね。

 

 

 

 

 

 

次は33番札所 【雪蹊寺

 

 

 

 

 

 


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雪蹊とは土佐藩藩主長宗我部元親法号なんですね。

 

こちらはその菩提寺になっております。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530011835j:image納経印。

 

 

街中にありますので今回1番交通の便は良かったです。

隣接する神社の主神が長宗我部元親になってたり。

 

 

 

 

そこからまた順番を入れ替えて

 

31番札所 【竹林寺

 

 

駐車場から長かったー。

隣に植物園かなんかがあって人が、もう。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170530012137j:image階段長いしwwwww


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しかも境内でバンド呼んでイベントしてはるからぶっちゃけ邪魔でしゃーないwwwww

 

霊山寺以来の観光寺wwwww

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170530012423j:image納経印。

 

 

 

高知名物アイスクリンが門前で売られてたのをゲンゲンが(珍しく)おごってくれたので


f:id:KOBANNAD:20170530012653j:image懐かしー、暑いから超うめぇwwwww

 

 

 

 

そっからは少し戻って

32番札所 【禅師峰寺

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170530012853j:image素晴らしい眺望!



 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530013047j:image納経印。

こちらは江戸時代土佐藩藩主山内一豊がこよなく愛したお寺で有名です。

 

 

 

 

 

 

さて、いよいよ本日最後に

30番札所 【善楽寺

 

 

 


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有名な【2ヶ所あった30番札所】ですね。

 

 

これだけはWikipedia参照しましょうか。

 

 

 

 

歴史
寺伝によれば、大同5年(810年)空海弘法大師)が土佐一宮(現在の土佐神社)の別当寺として創建したといわれている。

応仁年間(1467 - 1469)に兵火で焼失したが、土佐藩2代藩主山内忠義の庇護を受けて栄えた。明治初期の神仏分離まで、納経は神宮寺(別当寺)で行っていたが塔頭寺院の善楽寺とともに廃寺となり、本尊の阿弥陀如来弘法大師像が南国市にある29番札所国分寺に移された。両寺の廃寺により明治8年(1875年)に再興された安楽寺が30番札所となった。神宮寺は再興されず、善楽寺は昭和5年(1930年)に埼玉県与野町(現さいたま市中央区)にあった東明院をこの地に移転し、また国分寺に預けられていた弘法大師像を移して再興したが、30番札所の正統性について善楽寺安楽寺の間で論争が起こり、しばらく30番札所が2箇所並立することになった。その後、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することになり、平成6年(1994年)1月1日、安楽寺を30番札所奥の院とすることで決着した。

 

 

 

 

 


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で、同じ敷地に

【土佐之国一之宮 土佐神社

があるんですね。

 

 


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残念ながら、神社用の御朱印帳を持ってきていなかった二人。

 

 

そこで調べますと、ありました!

 

 


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土佐神社オリジナル御朱印帳!

 


f:id:KOBANNAD:20170530014135j:imageこれはもう御朱印帳も御朱印も頂くしかありません。

 

正直次回の来訪はいつになるかわかりませんしね。

 

 

 

で、帰り道。

南国インターへ向かう帰り道。

 


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道の駅南国。

 

ここは朝食バイキングなどレストランがなかなか美味いので有名。

 

カツオ厚切りタタキ定食を食べようと行った訳ですが、閉店時間は17:00。

着いたのは15:40くらい。

 

 

そら売り切れでもしゃあないわな。。。

 

 

悔しいのをこらえて


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釜揚げシラスをつまみながら。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530014547j:image四万十豚と土佐ジローの卵で作ったカツ丼を!

 

 

美味い!

 

 

そこで色々とお土産やら買い物をして。

 

 

 

向かったのは


f:id:KOBANNAD:20170530014717j:imageながおか温泉!

 

 

ここもインターからそないに離れてないんで、帰り道にはぴったりです。

 

 

距離的には温泉→道の駅の方が楽なんすけどとにかく腹がへってたもんでねwwwww

 

 

 

で、また高知から大阪を目指す帰り道。

 

 

 

流石に限界のゲンゲン。

 

 

 

なんとか徳島まで帰って来たんですが上板SAで、睡眠。。。

 

 

 

 

 

 

 

途中居眠りかましてたアタシはひとりで



 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170530015220j:image徳島ラーメン食ってましたwwwww

 

 

 

最低やなwwwww

 

 

 

 

途中ギリギリだったガソリンを給油し、

大阪に帰ってきてもう一度温泉に行き、

面倒なのでファミレスで飯を食い、

帰宅したのは22時過ぎ。

 

 

 

前回よか早かったwwwww

 

 

 

 

 

ゲンゲンが良く頑張ってくれたな。

 

 

 

 

 

さて、

次回はいよいよ大阪から1番遠い足摺岬へ向かいます。

 


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