2018年5月新西国巡礼 その3

 

 

暑くなったり、夜は急に冷え込んだり。

 

体温調整が難しくさすがのゲンさんもまた胃腸を壊して2日も仕事を休んでしまった今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

「腹壊しましたぁぁぁぁぁぁぁ~」

とか情けない声を上げやがるので。

 

 

 

 

 

 

 

【腐れテッチャン野郎】

とゲンさんに新しいアダ名をつけようとしたら逆ギレされてしまいました、私KOBANNADです(^q^)

 

「腸が一時的に壊れたのは認めるけど、腐ってません!そもそもテッチャンってなんすか!部位で言うな、部位でw」

 

 

 

 

黙れ【腐れ丸腸野郎】wwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

アホな話はさておきまして

 

 

 

さて、今回も新西国のお話です。

 

 

 

 

 

 

まずは5/23水曜日。

 

昼過ぎから夜中まで雨の予報だったので、

まあ大丈夫やろなぁみたいな感じでまたも仕事前に一路奈良に向かいました。

 

 

 

京橋→鶴橋→八木→橿原神宮前とJRと近鉄

 

 

そこからは奈良交通のバスを利用いたしまして。

 

 

 

 

 

 

 

飛鳥大仏で有名ですね。


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新西国霊場第9番札所【飛鳥寺】さま。

 


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飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある寺院。蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。現在の宗派は真言宗豊山派

飛鳥寺には複数の呼称がある。法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「元興寺」と称する。一方、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)である。『日本書紀』では「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」などの表記が用いられている。古代の寺院には「飛鳥寺」「山田寺」「岡寺」のような和風の寺号と、「法興寺」「浄土寺」「龍蓋寺」のような漢風寺号(法号)とがあるが、福山敏男は、法号の使用は天武天皇8年(679年)の「諸寺の名を定む」の命以降であるとしている。「法興」とは「仏法興隆」の意であり、隋の文帝(楊堅)が「三宝興隆の詔」を出した591年を「法興元年」と称したこととの関連も指摘されている。

本項では馬子が建立した寺院と、その法灯を継いで飛鳥に現存する寺院「安居院」とを含め「飛鳥寺」と呼称する。なお、国の史跡の指定名称は「飛鳥寺跡」である。
歴史
 
創建
飛鳥寺法興寺)は蘇我氏の氏寺として6世紀末から7世紀初頭にかけて造営されたもので、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院である。発願から創建に至る経緯は『日本書紀』、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(醍醐寺本『諸寺縁起集』所収、以下『元興寺縁起』という)、ならびに同縁起に引用されている「露盤銘」と「丈六光銘」に記載がある。福山敏男は、『元興寺縁起』の本文には潤色があり史料価値が劣るとする一方で、「露盤銘」は縁起本文よりも古い史料であり信頼が置けるとしている。

日本書紀』によると、法興寺飛鳥寺)は用明天皇2年(587年)に蘇我馬子が建立を発願したものである。馬子は排仏派の物部守屋と対立していた。馬子は守屋との戦いに際して勝利を祈念し、「諸天と大神王の奉為(おほみため)に寺塔(てら)を起立(た)てて、三宝を流通(つた)へむ」と誓願し、飛鳥の地に寺を建てることにしたという。岸俊男によると、古代の「飛鳥」の地とは、飛鳥川の右岸(東岸)の、現在の飛鳥寺境内を中心とする狭い区域を指していた。

一方、天平19年(747年)成立の『元興寺縁起』には発願の年は「丁未年」(587年)とし、発願の年自体は『書紀』と同じながら内容の異なる記載がある。『元興寺縁起』によると丁未年、三尼(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)は百済渡航して受戒せんと欲していたが、「百済の客」が言うには、この国(当時の日本)には尼寺のみがあって法師寺(僧寺)と僧がなかったので、法師寺を作り百済僧を招いて受戒させるべきであるという。そこで用明天皇が後の推古天皇聖徳太子に命じて寺を建てるべき土地を検討させたという。当時の日本には、前述の三尼がおり、馬子が建てた「宅の東の仏殿」「石川の宅の仏殿」「大野丘の北の塔」などの仏教信仰施設はあったが、法師寺(僧寺)と僧はなかったとみられる。

『書紀』によれば翌崇峻天皇元年(588年)、百済から日本へ僧と技術者(寺工2名、鑢盤博士1名、瓦博士4名、画工1名)が派遣された。このうち、鑢盤博士とは、仏塔の屋根上の相輪などの金属製部分を担当する工人とみられる。同じ崇峻天皇元年、飛鳥の真神原(まかみのはら)の地にあった飛鳥衣縫造祖樹葉(あすかきぬぬいのみやつこ の おや このは)の邸宅を壊して法興寺の造営が始められた。『書紀』の崇峻天皇3年(590年)10月条には「山に入りて(法興)寺の材を取る」とあり、同5年(592年)10月条には「大法興寺の仏堂と歩廊とを起(た)つ」とある。この「起つ」の語義については、かつては「(金堂と回廊が)完成した」の意に解釈されていたが、後述のような発掘調査や研究の進展に伴い、「起つ」は起工の意で、この年に整地工事や木材の調達が終わって本格的な造営が始まったと解釈されている。

『書紀』の推古天皇元年正月15日(593年2月21日)の条には「法興寺の刹柱(塔の心柱)の礎の中に仏舎利を置く」との記事があり、翌日の16日(2月22日)に「刹柱を建つ」とある。なお昭和32年(1957年)の発掘調査の結果、塔跡の地下に埋まっていた心礎(塔の心柱の礎石)に舎利容器が埋納されていたことが確認されている。ただし、舎利容器は後世に塔が焼失した際に取り出され、新しい容器を用いて再埋納されていたため、当初の状況は明らかでない。

『書紀』の推古天皇4年(596年)11月条に「法興寺を造り竟(おわ)りぬ」との記事がある。『書紀』は続けて、馬子の子の善徳が寺司となり、恵慈(高句麗僧)と恵聡(百済僧)の2名の僧が住み始めたとある。『元興寺』縁起に引く「露盤銘」にも「丙辰年十一月既(な)る」との文言があり、この丙辰年は596年にあたる。しかし、後述のように、飛鳥寺本尊の釈迦三尊像(鞍作止利作)の造立が発願されたのはそれから9年後の推古天皇13年(605年)、像の完成はさらに後のことで、その間、寺はあるが本尊は存在しなかったということになる。この点については研究者によってさまざまな解釈がある。毛利久は、現存の釈迦如来像(飛鳥大仏)は、推古天皇4年に渡来系の工人によって造立されたもので、推古天皇13年から造られ始めたのは東金堂と中金堂の本尊であったとする、二期造営説を唱えた。これとは別に、久野健、松木裕美らが唱えた本尊交代説もある。すなわち、蘇我馬子が所持していた弥勒石像が当初の中金堂本尊であったが、後に鞍作止利作の釈迦三尊像が本尊になったとする。この弥勒石像は敏達天皇13年(584年)鹿深臣(かふかのおみ)が百済から将来し、馬子が「宅の東の仏殿」に安置礼拝していたものである。久野説では、飛鳥寺中金堂跡に現存する本尊台座が石造であり、この台座が創建時から動いていないことから、その上に安置されていた仏像も石造であったと推定する。これに対し、町田甲一、大橋一章らは一期造営説を取り、中金堂本尊は交代していないとの立場を取る。この説では、推古天皇4年の「法興寺を造り竟りぬ」は、『書紀』編者が塔の完成を寺全体の完成と誤認したものとみなし、寺の中心的存在で仏舎利を祀る塔がまず完成し、他の堂宇は長い年月をかけて徐々に完成したとみる。今日では、この説が有力となっている。

飛鳥寺の伽藍については、発掘調査実施以前は四天王寺式伽藍であると考えられていたが、昭和31〜32年(1956〜1957年)の発掘調査の結果、当初の飛鳥寺は中心の五重塔を囲んで中金堂、東金堂、西金堂が建つ一塔三金堂式の伽藍であることが確認された。

 

 


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飛鳥寺(安居院)の本尊で、飛鳥大仏の通称で知られる。1940年に重要文化財に指定されており、指定名称は「銅造釈迦如来坐像(本堂安置)1躯」である。像高は275.2センチメートル。

日本書紀』『元興寺縁起』に見える、鞍作鳥(止利仏師)作の本尊像であるが、後述のとおり損傷が激しく、後世の補修を受けている。現存する像のどの部分が鞍作鳥作のオリジナルで、どの部分が後補であるかについては、後述のように諸説ある。鞍作鳥は、法隆寺金堂本尊釈迦三尊像(623年作)の作者であり、同三尊像の光背銘には「司馬鞍首止利」(しばくらつくりのおびととり)と表記されている。

飛鳥寺本尊像の完成は、『日本書紀』によれば606年、『元興寺縁起』によれば609年であるが、本項の「歴史」の節で述べたように後者の609年完成説が定説となっている。『元興寺縁起』には脇侍像の存在を明記しており、本尊像の下方にある石造台座に両脇侍像用とみられる枘穴が残ることから、当初は法隆寺釈迦三尊像と同様の三尊形式だったはずだが両脇侍像は失われ、釈迦像も鎌倉時代の建久7年(1196年)の落雷のための火災で甚大な損害を受けている。1933年に石田茂作が調査した際の所見では、頭の上半分、左耳、右手の第2〜第4指は鋳造後に銅の表面に研磨仕上げがされており、当初のものとみられるが、体部の大部分は鋳放し(表面の仕上げがされていない)で後世のものと思われ、脚部は銅の上に粘土で衣文をつくっており、左手は木製のものを差し込んでいるという。また、像の各所に亀裂があり、亀裂の上から紙を貼って墨を塗ったところも見受けられた。

1973年には奈良国立文化財研究所による調査が行われたが、その結果、当初部分と考えられるのは頭部の額から下、鼻から上の部分と、右手の第2〜第4指のみだとされた。右手の第2・3・4指については、掌の部分にほぞ差しされていることがエックス線撮影によって確認されている。顔貌表現のうち、眼の輪郭線や眉から鼻梁に至る線には明らかに当初のタガネ仕上げが残っており、鍍金もわずかに残っている。頭部の下半分は造像当初から溶銅の回りきらなかった部分に象嵌や補鋳を行っていた可能性がある。本像を調査した久野健は、左の掌の一部は当初のものであるとし、左足裏と左足指の一部は焼け跡がみられることから当初のものではないかとしている。

当初部分とみられる頭部について見ると、面長の顔立ちや杏仁形(アーモンド形)の眼の表現などは現存する他の飛鳥仏に共通する表現が見られる。右手の指の表現を見ると、本像では指の関節部分を1本の刻線で表しているのに対し、法隆寺金堂釈迦如来像は同じ箇所を2本の刻線で表していることが注意される。体部のほとんどが後補であるが、その服制には古様が感じられ、焼失前の形態を踏襲している可能性がある。田邊三郎助によると、本像の大衣が左肩〜背〜右肩と回った後、体の前面を覆って再び左肩にかかる形は北魏の古像にみられ、胸の部分に内衣の襟をV字状に表す点は百済の像に例があり、その下に見える蝶結びのような紐の結び目も法隆寺の戊子年(628年)釈迦及び脇侍像などにみられる古い形式であるという。

2012年7月に早稲田大学の大橋一章らの研究チームが行った調査結果が同年10月に公表されたが、これによると現存像の大部分が造立当初のものである可能性が高いという。大橋らは、造立当初とされる部分と補修とされる部分に蛍光X線による分析を行ったが、その結果、両者の元素組成には顕著な差異は見られなかった。また、上記分析により金(Au)が検出された伝・光背断片をX線回折分析したところ、同断片が火災に遭ったことと鍍金されていたことが推測された。また鋳造専門家の調査でも銅を複数回注いだ継ぎ目の跡があり、奈良時代以前の技法としている。

本像は創建当初に据えられた石造台座の上に安置されている。発掘調査の結果、この石造台座は創建時から動いていないことが明らかになった。石造の台座に銅造の仏像を安置するのは不自然だとして、久野健らは当初の中金堂本尊は蘇我馬子所持の石仏の弥勒像であり、それが後に本像と入れ替わったものだと想定した。1981年の再調査で、この台座は花崗岩ではなく、竜山石(凝灰岩)製であることが分かった。また、その上の須弥座は後補と思われていたが、内部に当初の竜山石(凝灰岩)製の須弥座の一部が残存していることが分かった。このことから、石造の台座は当初から銅造釈迦如来像を安置するために造られたものであり、飛鳥大仏は飛鳥時代から同じ場所に安置されていることがあらためて確認された。銅造の仏像を石造の台座上に安置したのは、銅造の重量を支えるだけの台座を銅で造る技術が当時なかったためではないかと言われている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

長いなw

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525174501j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、更に田舎のバス………じゃなかった、奈良交通

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525174442j:imageやはり聖徳太子さまゆかりの飛鳥の地。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525174633j:image新西国霊場第10番札所【橘寺】さま。

 

 


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ご覧の通り雨がwwwwwww

 

 

 

 

こちらの如意輪観音さまは息を飲む美しさでした。

太子さまにもお参りをさせて頂きました。

 

 

 

 

 

橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。

橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は聖徳太子建立七大寺の1つとされている。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。史実としては、橘寺の創建年代は不明で、『日本書紀天武天皇9年(680年)4月条に、「橘寺尼房失火、以焚十房」(橘寺の尼房で火災があり、十房を焼いた)とあるのが文献上の初見である。

考古学的には、当寺出土の古瓦のうち、創建瓦とみられる複弁蓮華文軒丸瓦は7世紀第I四半期に位置付けられ、当寺の創建はこの頃とみられる。ただし、この時期の瓦の出土は少なく、本格的な造営が行われたのは7世紀半ば以降とみられる。橘寺の北側には官寺の川原寺が位置するが、橘寺出土瓦に川原寺創建瓦との同笵品がみられること、川原寺の伽藍中軸線が橘寺北門の中軸線と一致することなどから、僧寺(男僧の寺)である川原寺に対する尼寺として橘寺が建立されたとする説もある(前述の『書紀』の「尼房」という記載から、当時の橘寺は尼寺であったことがわかる)。

発掘調査の結果、当初の建物は、東を正面として、中門、塔、金堂、講堂が東西に一直線に並ぶ、四天王寺式または山田寺式の伽藍配置だったことが判明している。発掘調査により、講堂跡の手前に石列が検出されたことから、回廊が金堂と講堂の間で閉じていた(講堂は回廊外に所在した)可能性があり、その場合は山田寺式伽藍配置となる。ただし、検出された石列の長さが短いことと、石列と講堂跡とが接近していることから、講堂の手前を回廊が通っていたか否かは明確でない。

皇族・貴族の庇護を受けて栄えた橘寺であったが、平安時代後期の久安4年(1148年)に五重塔が雷で焼失する。しかし、文治年間(1185年-1189年)には三重塔として再建される。

室町時代後期の永正3年(1506年)、室町幕府管領細川政元の家臣赤沢朝経による多武峰妙楽寺攻めの際に橘寺の僧が赤沢軍に与したため、多武峰の衆徒によって全山焼き討ちされ、以降衰退していった。

それでも聖徳太子ゆかりの寺としての寺基は保ち続け、元治元年(1864年)には本堂として太子堂が再建された。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180525175006j:image聖徳太子さま納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

で、先ほどのWikipediaの解説にもありましたが橘寺のま向かいに

 

 

 


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川原寺跡として広い敷地があり、その真ん中に川原寺さまが現存しています。

 

 

結構な雨だったのですが、川原寺さまに向かう途中、雨は小降りになってきてまして。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525175608j:imageそうか、そういう事か!

お大師さま、ありがとうございます。

 

 

 

 

 
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本堂にお参りして、大師堂にお参り。

 

無論四国のお作法で。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525175910j:image納経印

 


f:id:KOBANNAD:20180525175952j:imageちなみにこちらの写経場は美しい風景を目の当たりにしながら写経が出来ます。

 

ご住職の法話とお抹茶までセットになったプランもあるそうです。

 

カーチャンとゲンさん連れてこよ。

 

 

 

 

 

お参りを終えたら洒落にならんくらい本降りwwwwwww

 

西国の岡寺に寄ろうかとも思ったんですが、今回は断念。

タクシー呼んで岡寺駅阿部野橋→東梅田でそのまま仕事に。

 

 

 

 

で、

 

 

その日仕事終わって職場近くのサウナで仮眠。

 

 

 

自宅にも帰らず翌日5/24木曜日。

 

 

 

 

 

 

 

大阪駅からJRで滋賀の石山駅へ。

 

 

そこからはバス。京阪バス(^q^)

 

 

 

 

 

そう。

新西国霊場最大の難所

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525180818j:image800段以上の階段が待つ。

 


f:id:KOBANNAD:20180525180853j:image新西国霊場第20番札所【立木山寺】

 

 

まぁ、寝不足で来る場所じゃないわな。

まして仕事前にwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525181008j:imageお前何言うとんねん、来た限りは気合い入れんかい!

 

 

 

 

そうです、いきなり修行大師さまがお出迎えして下さって気合いを入れて頂けました。

 

 

 

道中、お地蔵さまも2体お迎え下さいます。

 

 

 

 

 

 

前日の雨で石段はすべりやすいので一歩一歩踏みしめて歩く分余計に足はパンパンになります。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525181402j:imageえっちらおっちら
f:id:KOBANNAD:20180525181415j:imageえっちらおっちらと登って

 

 

 

 

参道入り口から約19分


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本堂前の最後の階段に到着。

 

 

 

 

だいたい歩き慣れた人で20分

お年寄りとかは45分くらいかかるそうです。

 

 


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朝イチでした。

しんどかったけど、気持ち良かった!

 

 

 

 

 

立木山寺(たちきさんじ)は滋賀県大津市にある浄土宗の寺院。新西国三十三箇所の20番である。正式の寺号は「安養寺」(あんようじ)といい厄除けの寺院として知られる。「立木観音」の通称でも知られており地元では「立木さん」とも呼ばれる。

歴史
寺伝によれば、815年(弘仁6年)、空海弘法大師)がこの地に立ち寄った際、瀬田川の対岸に光り輝く霊木を見つけた。ところが川の流れが速く、渡れないでいるところに白鹿が現れ、大師を背に乗せ対岸まで導いてくれた。白鹿はたちまち観世音菩薩に姿を変え、虚空に消え去ったという。この奇跡に感服した弘法大師は霊木に五尺三寸の観世音菩薩像を彫刻し、それを本尊としてこの寺を建てたという。この時、空海が厄年の42歳であったとされるため、広く厄除けの霊験あらたかな観音像として信仰されることとなった。

当寺は現在浄土宗に属するが、空海開基の伝承をもつことから、創建当初は真言密教系の寺院であったと推定される。
瀬田川河畔から約800段もの急な石段が本堂まで続く。石段を上りきると山腹にひらけた境内には本尊である立木観音像を安置する本堂があり、本堂裏にも礼拝所が設けられている。本堂からなおも石段を登ると小さな鐘楼があり、参拝者はここで鐘をひとつきして厄を落とす。さらに上へ登ると奥の院があり、ここには道了権現大菩薩が祀られている。毎月17日は縁日となっており多くの参拝客でにぎわっている。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525182213j:image納経印

 

 

 

こちらのご住職さまは本当に丁寧にご対応頂いて、私が恐縮してしまいました。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

下りはちょっとのんびり………ゲッ、バスの時間まで14分しかない。

 

その次のバスは……30分後!

 

 

 

…………………

 

 

 

…………………

 

 

 

800余段の階段を10分足らずでかけ降りましたwwwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525183244j:imageバス亭


f:id:KOBANNAD:20180525183305j:imageなるほど。

 

 

って言ってる間にバス到着。

 

 

 

 

空いてる座席に座ったら………………

 

膝笑ってまんがなwwwwwww

大爆笑でんがなwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

………気がつけは終点石山駅(^q^)

 

めっちゃ寝てたw

 

 

膝まだ笑っとるwwwwwww

 

 

 

 

 

しかし、ここは気合いを入れ直して。

 

 

 

 

 

一路京都へ!

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525183647j:image昨日が嘘みたいなエエ天気!

 

うっとおしいくらいの観光客!

 

 

 

 

 

京都も市バスに乗り。

行き先は「千本今出川

 

 

 

目的地はそう。

 

 


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新西国霊場第16番札所【千本釈迦堂 大報恩寺】さま


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大報恩寺(だいほうおんじ)は、京都市上京区にある真言宗智山派の寺院。山号は瑞応山(ずいおうざん)。千本釈迦堂と通称される。おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。また、智積院能化の隠居所として、護持された。

鎌倉時代初期の承久3年(1221年)、求法上人義空によって創建された。義空は藤原秀衡の孫で比叡山で修行の後、当寺を建立した。室町時代勧進状によれば、猫間中納言と呼ばれた藤原光隆の従者であった岸高なる人物が境内地を寄進したという。当初は草堂であったが、摂津国尼崎の材木商の寄進を受けて現存する本堂が完成した。1951年(昭和26年)、本堂解体修理時に発見された義空の願文により、本堂は安貞元年(1227年)の上棟であることが判明している。『徒然草』228段には「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)如輪上人これを始められけり」と、当寺に言及されている(文永は1264年 - 1275年)。

本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている(後述)。倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を朝廷より許された。この本堂は応仁・文明の乱にも焼けることはなく創建当時のもので洛中最古の建造物で国宝となっている。

大報恩寺には近隣の北野天神(北野天満宮)門前にあった「北野経王堂」の遺物も保管されている。足利義満明徳の乱山名氏清の乱)の戦没者を悼んで、乱の翌年の明徳3年(1392年)、法華経一万部を読誦する北野万部経会を創始。応永8年(1401年)に経王堂を建立した。経王堂は明治初年の神仏分離によって破却されたが、経蔵に伝来した一切経、傅大士(ふだいし)及二童子像、だ太鼓縁などは大報恩寺に保管されている。

経王堂(現在太子堂)の前に山名矩豊が「山名陸奥太守氏清之碑」を建立。

(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525184200j:image圧巻の本堂!


観光客も修学旅行生も全くいなかったのでゆっくりお参り出来ました。

 

大師堂もあったので当然こちらも。

山名氏ゆかりの不動堂にもゆっくりお参り出来ました。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180525184327j:image納経印

 

 

 

 

帰りは「上七軒」バス亭から出町柳へ。

 

相変わらず「出町ふたば」さんは行列でまた小一時間かかりそうやったので断念。

 

 

 

京阪で京橋まで。


f:id:KOBANNAD:20180525184746j:imageやっぱりプレミアムカー

 

 

昨日から置き去りのままのチャリンコに乗って職場にまた向かうKOBANNADでありました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、本日5/27(日)

 

 

 

朝からゲンさんの運転でカーチャン迎えに行って向かったのは、

 

 

 

 

カーチャンが昔からお世話になってて

四国も30年以上回ってはる先生の所へ。

 

 

 

 

 

色々為になるお話やら伺って、

神社やお寺のお下がりものを分けて頂いて(なんで先生のお宅にはそういうものが沢山あるんだろう。)

 

 

 

 

 

 

 

先生もご一緒に向かいましたのは。

 

 

新西国霊場第25番札所【太山寺】さま。
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太山寺(たいさんじ)は、兵庫県神戸市西区にある天台宗の仏教寺院。山号を三身山(さんしんざん)と称する。本尊は薬師如来と十一面観音、開基(創立者)は藤原宇合と伝える。

播州太山寺縁起」によれば、元正天皇勅願寺として霊亀2年(716年)に発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合が堂塔伽藍を建立したとされる。開山(初代住職)は藤原鎌足の長男・定恵(「定慧」「貞恵」とも書く)とされている。創建時の建物は弘安8年(1285年)の火災で焼失しており、現存する建物はそれ以降に再建されたものである。

開山とされる定恵は、藤原鎌足の長男で(次男は藤原不比等)、若くして出家し、遣唐使とともに唐に渡った。生涯について謎の多い人物で、没年についても『日本書紀』『藤氏家伝』は天智天皇4年(665年)、『元亨釈書』は和銅7年(714年)とするなど定かでない。太山寺の境内および周辺からは定恵の時代までさかのぼる遺跡、出土品等は確認されておらず、実際の創建は平安時代に降るとみられている。

南北朝時代南朝方勢力として支院41ヶ坊、末寺8ヶ寺・末社6ヶ社に僧兵を有していた往時の繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝で、国の重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ19件を数える。また安土桃山時代枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されている。なお現在支院は龍象院・成就院・遍照院・安養院・歓喜院の5ヶ坊のみとなっている。

所在地周辺55.9haは「太山寺風致地区」として自然景観が保護されているため境内の内外には原生林が残る深森で、ひょうごの森百選にも選ばれ、春は桜、秋は紅葉の名所として知られている。(Wikipediaより)

 

 


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橋を渡り奥の院にお参り。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180527230217j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

更に、いったんお寺を出て。

 

伊川(太山寺川)の上流へ。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180527224612j:image立ち入り禁止の更に向こうへ。

 

 

 

「自己責任で。」

というのはお寺の方のお話。

 

 

 

山道を更に登った先にある対岸の岩肌に

 

 


f:id:KOBANNAD:20180527224756j:image不動明王さまが彫られています。

 

 

いわゆる磨崖仏といわれるものですね。

 

ありがたや、ありがたや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、太山寺さまのほんの手前に。

 

 

 


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温泉!おんせん!

 

 

 

 

ひとまず遅い昼飯を食べて。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲンさんとアタシ

 

カーチャンと先生

 

 

それぞれ分かれてお風呂へ。

 

 

 

 

↓詳しくは

http://nadeshikonoyu.com/news/

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180527225646j:image関係ないけどアニメ【ゆるキャン△】のなでしこチャンは可愛いよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先生をご自宅までお送りして、

 

カーチャン送って、

 

 

レンタカー返して、

 

 

 

ゲンさんと近くのネパール料理屋さんで

カレーとチーズナンとタンドリーチキンと、シシカバブーなんかを食べて


f:id:KOBANNAD:20180527225606j:image先日までテッチャン腐ってたのにwwwwwww

 

 

 

早めに解散して、現在に至るのでありました。

2018年5月 西国・新西国・法然上人霊場巡礼

 

暑くなったり涼しくなったりコロコロ天気が変わり、

体調の管理が難しい今日この頃皆さま如何お過ごしでしょうか?

 

 

 

 

大阪ミナミにあります道具屋筋に買い物に行ったついでに久しぶりに【肉吸い】で有名な【千とせ】さんで昼飯を食って、観光客の多さにここでも辟易してしまった私KOBANNADでございます。

 

 

 

 

 

 

さて、昨日20日(日)のお話です。

 

 

 

 

今回は遅刻せずにやってきたねずみ男を従えてゲンさんがウチのマンションに私を迎えにきた時。

 

マンションの前にまで響き渡るイビキをこきながら私は寝てたそうですwwwwwww

 

 

 

 

さらに洗濯物を干してから出かけるというムチャをwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

出発前からバタバタ(主に俺のせい)でまず向かいましたのは、

 

 

 

 

 


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西国霊場第26番札所 【一乗寺】さま。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521193201j:image久しぶりのツーショット(^q^)

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521193310j:image相変わらず一乗寺さんの多宝塔は美しい。

 

 

 

さて、巡礼2度目のねずみ男を連れて本堂でお勤めをしていたら、

【いかにも】って感じのアラフォーカップルが来ましてね。

 

 

 

 

我々がお経を上げてる横でまぁ賽銭入れて鰐口鳴らすんは構わんのですよ、普通は知らないだろうから。

 

 

 

いきなり。

 

 

 

 

 

 

 

二拍二礼wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

般若心経途中で吹き出しかけましたわ(^q^)

 

修行が足りんなwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

神社と寺院の区別も作法も分からん癖にスタンプラリーだけはするのよね、こういう連中。

 

 

 

 

とりあえずウチのねずみ男には説明して、

こういう情けない真似だけはしないようにと注意しました。

 

 

 

ってかそんな【日本人として当たり前の事】を、【親に教えて貰ってない】ような人間とは間違っても深く関わりたくないですね。

 

そこの親も当然寺社仏閣に対してそういう感覚なんだろうから絶対ロクな付き合い出来ないもん。

 

 

例えば一緒に飯食いに行って、

箸がまともに持てないとか食事のマナーがなってないなんてヤツってそれだけ親がいい加減な証拠っすからね。

 

 

躾←よく出来た漢字やと思いますよ、いやホンマに。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521194657j:image八角朱印

 

 

 

 

 

 

さて、一行は赤穂に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

新西国霊場第31番札所 花岳寺さま。

 

 

 

 

 

 

花岳寺(かがくじ)は、兵庫県赤穂市加里屋にある曹洞宗の寺院で、歴代赤穂藩主の菩提寺。山号は台雲山(たいうんざん)

播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が眠る大石家墓地、義士墓がある。浅野家、赤穂浪士に関する展示物が収蔵されている義士宝物館が併設されている。なお、義士宝物館・墓所の拝観料は大人400円、高校生・大学生(学生証提示)200円、子供無料(2009年現在)である。
沿革
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が浅野家菩提寺として創建した。

元禄14年(1701年)、浅野長矩による江戸城松之大廊下での吉良義央に対する刃傷事件が起こり、浅野家は改易となった。翌、元禄15年(1702年)赤穂浪士による吉良邸討ち入りが起きた。(赤穂事件)

その後、赤穂藩には永井家が入り、宝永3年(1706年)には森家が赤穂藩主となり、花岳寺を菩提寺と定めた。赤穂浪士37回忌にあたる元文4年(1739年)には境内に有志により義士墓が建立された。ここには遺髪が納められているとされる。また、宝暦2年(1752年)は赤穂浪士50回忌にあたり、大石良金(主税)と関わった藤江熊陽(ふじえゆうよう)の撰による碑文が刻まれた義士塚が建立された。

明治維新後、赤穂城が解体され塩屋惣門が花岳寺の山門として移築されたとされる。現在山門は、赤穂市文化財に指定されている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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赤穂浪士だけやなくて浅野家とか赤穂藩歴代の菩提寺なんですね。

 

新西国のご本尊さまは大石内蔵助が討ち入りの際に胸に抱いていたという5センチほどの千手観音さまでした。

 

なんか涙出そうでしたね。

 

【忠義】

 

 

今の日本人が忘れてしまっている、

日本人の心、精神。

 

 

 

大切だと思うんだけどなぁ。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521202534j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて更に車を走らせます。

 

 

 

新西国霊場第32番札所 【斑鳩寺】さま。

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180521202157j:image圧巻の仁王門


 


f:id:KOBANNAD:20180521202239j:image本堂前で骨董品市やってました。

日本刀やら茶釜やら色々売ってました。

 

って「西国三十三納経軸」ってそんなん売ったらあかんやろwwwwwww

 

 

斑鳩寺(いかるがでら、はんきゅうじ)は、兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院。新西国三十三箇所第32番札所。

伝承によれば、606年(推古天皇14年)、聖徳太子推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。

606年、聖徳太子推古天皇法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。

長らく大寺院であったが、室町時代後期の1541年(天文10年)、守護大名である赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に、播磨を地盤とする赤松氏等が発願し、徐々に復興していったとされる。また復興を機に、従来法隆寺支院であったのを天台宗へ改めた。

聖徳太子の生誕地奈良県明日香村の橘寺と、墓所大阪府太子町の叡福寺を結んだライン延長上に、この兵庫県太子町の斑鳩寺が位置する。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521202436j:imageお堂の一つが法隆寺の夢殿っぽい。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521202600j:image納経印

 

 

 

 

こちらの納経所のお母さん達はとてもフレンドリーでついつい話し込んでしまいましたw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一行は一路加古川に向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 新西国霊場第27番札所 【鶴林寺】さま。

 


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f:id:KOBANNAD:20180521202823j:imageこちらも力強い仁王さまが。



f:id:KOBANNAD:20180521203057j:imageここの本堂好き。


 

 


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 鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県加古川市にある仏教寺院。山号を刀田山(とたさん)と称する。宗派は天台宗、本尊は薬師如来である。

近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を有し、「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺である。

境内および塔頭の周囲三方が鶴林寺公園として整備されC11形蒸気機関車なども展示され休日には親子連れの遊び場になっている。
歴史
伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立した。養老2年(718年)身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。

ただし、推古天皇14年(606年)、聖徳太子法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったとみられている。創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。

鶴林寺には飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造聖観音像があり、本堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像である。

戦国時代には近隣の書写山が戦火に巻き込まれたが、播磨姫路領主だった黒田職隆黒田孝高親子の説得で信長派となり戦に巻き込まれず、当時の建築物が多数現存している。のちに福岡藩の大封を得た黒田家は鶴林寺にて大規模な法要を行い、礼として金銀を寄進した。寺には職隆、孝高と交わした書状が多数残っている。

現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には寺坊だけで30以上を有する規模であった。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521203532j:image納経印


f:id:KOBANNAD:20180521203544j:image今は弁天さまの限定ご朱印頂けます。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして同じく加古川(実際は高砂)にあります、

 

 

 


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法然上人霊場第3番札所 【十輪寺】さま。

 

 

 

 

 

十輪寺(じゅうりんじ)は、兵庫県高砂市にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は宝瓶山。本尊は阿弥陀如来法然上人二十五霊跡第三番。御詠歌 生まれてはまづおもい出ん古里に ちぎりし友の深き誠を。

寺伝によれば、この寺はもともと唐より帰朝した空海によって、815年(弘仁6年)「地蔵十輪経」に基づき、勅を奉じて、鎮護国家の祈祷書として、地蔵山十輪寺と号した真言宗の寺院であったが、1207年(建永2年)法然が地元の漁師に説法したことから、法然の弟子の信寂房が、法然を中興開山に迎えて、再興して西山派の流れをくむ浄土宗の寺院になったという。大永7年(1527年)大坂境の僧十万が讃岐の生福寺に詣で、法然自画自賛の「宝瓶の御影」を得て当寺に寄贈、以来宝瓶山と山号を改める。江戸時代初期には京都所司代を務めた板倉勝重の帰依を得、寺領を寄進されている。墓地には漁師の八田治部太夫夫婦の墓石が残る。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521204216j:image納経印

 

 

 

伺った折、檀家さんらしき方々が納骨の申し込みをしに来ておられてまして。

 

 

ご住職が対応されていたのですが、

 

 

「お兄ちゃんら巡礼か?珍しい。お寺の子なんか?」

 

違うと答えたら。

 

「ホナなんや、浄土宗なん?」

 

ゲンさんを指差してコイツの家浄土宗ですって答えました。

 

「ふぅん、若いのに感心やわ。ようお参りでしたな。」

 

 

 

ありがたい話です。

 

 

 

 

 

 

 

さて、そこからは再び山手へ。

 

 

 

 

 

 

 

新西国霊場客番(番外)  【浄土寺】さま。
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素晴らしいお寺ですよ。

特に阿弥陀さまは圧巻でした。

 

 

 

 

浄土寺(じょうどじ)は、兵庫県小野市にある高野山真言宗の寺院。山号を極楽山と称する。本尊は薬師如来阿弥陀如来、開山は重源で、建久年間(1190年~1198年)の創建である。多数の文化財を所有する古刹として知られ、大仏様建築の浄土堂と仏師快慶の大作「阿弥陀三尊像」は特に著名である。

浄土寺の建つ地には、奈良時代の僧・行基の建立した前身寺院があったとも言われるが、実質的な開山は平安時代末~鎌倉時代の僧で、東大寺大仏・大仏殿の鎌倉復興に尽力した重源である。治承4年(1180年)、平重衡の軍勢による南都焼討で、東大寺興福寺は壊滅的な打撃を受け、東大寺の大仏殿も焼け落ちた。この大仏・大仏殿の再興の大勧進(総責任者)となったのが、当時61歳の重源であった。重源は大仏再興事業の拠点として、伊賀(三重県)、周防(山口県)など日本の7か所に東大寺の「別所」を造った。七別所のうちの「播磨別所」がこの浄土寺である。浄土寺の所在地は当時の地名を播磨国大部荘(おおべのしょう)といい、東大寺領であった。

境内には池を中心にして、西に重源当時の建築である浄土堂(阿弥陀堂)、東に室町時代の薬師堂(本堂)が建つ。この配置は偶然ではなく、東方浄瑠璃世界の教主・薬師如来西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の居所を意味している。
浄土堂
浄土寺浄土堂(「阿弥陀堂」とも言う)は重源によって建てられたもので、本尊として快慶作の阿弥陀三尊の巨像を安置する。堂は建久5年(1194年)に上棟し、同8年(1197年)に完成供養を行ったと記録されている。渡宋経験のあった重源は、大仏殿をはじめとする東大寺諸堂の復興や各地の別所寺院の建築に際し、当時の中国(宋)の最新式の建築様式を採用した。これが現代において大仏様(かつては天竺様とも呼んだ)と呼ばれる建築様式で、鎌倉時代以後の寺院建築に大きな影響を与えたが、重源が手がけた大仏様建築で現存するものは他に東大寺南大門と同寺開山堂のみである。

堂は方三間〈正面・側面とも1辺に柱が4本立ち、柱間が3つあるという意味)の単純な平面構成になるが、1つの柱間が約6メートルもあり、内部空間は広大である。屋根は宝形造(ほうぎょうづくり、四角錐状の屋根形)、本瓦葺きで、平面の大きさの割に立ちが低いことと、屋根の形づくる線にほとんど反りがなく直線的であることが特色である。比較的地味な外観に比し、堂内部は貫(ぬき)、梁(はり)などの構造材をそのまま見せたダイナミックな構成になっている。天井を張らず、屋根裏に空間をつくらず、構造材をそのまま見せて装飾を兼ねていること、貫(複数の柱を貫通する水平材)を多用することなどが大仏様建築の特色である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

ちなみに納経印は拝観料払って阿弥陀さまのおられる浄土堂に入らないと貰えないですよ。

 

ぶっちゃけ、お金払う値打ちはあります。

 

阿弥陀さまマジ圧巻です。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521205550j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180521212849j:image田園風景とゲンさん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に一行は山道を(ゲンさんの得意な)ゆく。

 

 

 

 

 

 

新西国霊場第26番札所【伽耶院(がやいん)】さま。


f:id:KOBANNAD:20180521212809j:imageいちばんガヤガヤしとるヤツが伽耶院(がやいん)wwwwwww

 

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180521214912j:imageなにわろとんねんwwwwwww


 


f:id:KOBANNAD:20180521214935j:image草むしりwwwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521214955j:image本堂内にツバメの巣がありました。

 

お経のリズムと同じリズムでウンコするのは止めて欲しかったw

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521215102j:image納経所も味のある建物でした。

 

 

伽耶院(がやいん)は兵庫県三木市にある天台系修験道の寺院。山号は大谷山(おおたにさん)。宗派は本山修験宗。本尊は毘沙門天。山伏の寺として知られる。

寺伝では孝徳天皇勅願寺として、大化元年(645年)に法道仙人が開基したとされる。以来大谿寺(だいけいじ)と称していたが、延宝9年(1681年)に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改めた。

法道仙人は天竺(インド)から雲に乗って日本に飛来したとされる伝説的な人物である。現在の兵庫県南部を中心に法道開基伝承をもつ寺院が点在することから、「天竺から飛来」云々はともかく、モデルとなる山岳修行者が存在したことは想定される。法道開基伝承をもつ他の寺院と同様、伽耶院についても草創の正確な時期や経緯については判然としない。

平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また慶長14年(1609年)には失火により、城塞のような石垣を残して全山を焼失した。現存する堂塔は慶長15年(1610年)以降の諸国大名の寄進によるものである。

中世以降、聖護院末の修験寺院として勢力をもち、江戸時代には天台系山伏を統率する四院家のひとつとして修験界に威をふるった。現在も10月の体育の日には、各地から多数の山伏が参集し、近畿地方では最大の規模を誇る採燈大護摩が行われている。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521215355j:image納経印

達筆!

 

 

 

 

 

 

そして、一行は西宮を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲山大師で有名な、

 

新西国霊場第21番札所 【神呪寺(かんのうじ)】さま。

 

 

 


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神呪寺(かんのうじ、神咒寺)は兵庫県西宮市甲山山麓にある仏教寺院。山号は武庫山。真言宗御室派別格本山。甲山大師とも呼ばれ、地元では「お大師さん」とも呼ばれている。

寺号の「神呪寺」は、「神を呪う」という意味ではなく、甲山を神の山とする信仰があり、この寺を神の寺(かんのじ)としたことによるという。なお、「神呪」(じんしゅ)とは、呪文、マントラ真言とほぼ同義で、仏の真の言葉という意味がある。開山当時の名称は「摩尼山・神呪寺(しんじゅじ)」であり、「感応寺」という別称もあったようだ。
歴史
鎌倉時代末期の禅僧、虎関師錬の『元亨釈書』「如意尼伝」に神呪寺の開基について、記載がある。 それによると、神呪寺は第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとする。一方、『帝王編年記』には、淳和天皇皇后の正子内親王が天長4年(827年)に橘氏公、三原春上の二人に命じて真言宗の寺院を造らせたとある。

皇太子時代の淳和天皇は夢告に従い、四天王寺創建に伴って聖徳太子が開基した京都頂法寺にて、丹後国余佐郡香河(かご)村の娘と出会い、これを第四妃に迎えた。香河では小萩(こはぎ)という幼名が伝わり、この小萩=真名井御前をモデルとした小萩観音を祀る寺院がある。古代、丹後の国は中央氏族とは別系統の氏族(安曇氏などの海人系氏族)の勢力圏であり、大王家に対し后妃を出す氏族であった。この余佐郡の娘、小萩は日下部氏の系統である可能性が高い。

元亨釈書』によれば、淳和天皇第四妃真名井御前=如意尼は、如意輪観音への信仰が厚く、念願であった出家するために天長5年(828年)にひそかに宮中を抜け、頂法寺=六角堂で修業をしてその後、今の西宮浜(御前浜)の浜南宮(現西宮神社)から廣田神社、その神奈備山、甲山へと入っていった。この時、妃は空海の協力を仰ぎ、これより満3年間、神呪寺にて修行を行ったという。

天長7年(830年)に空海は本尊として、山頂の巨大な桜の木を妃の体の大きさに刻んで、如意輪観音像を作ったという。この如意輪観音像を本尊として、天長8年(831年)10月18日に本堂は落慶した。同日、妃は、空海より剃髪を受けて、僧名を如意尼とした。如意尼が出家する以前の名前は、真井御前(まないごぜん)と称されていた。 この時、如意尼と一緒に出家した二人の尼、如一と如円は和気清麻呂の孫娘であった。

 空海は海人系の氏族の出身だったといわれる。また、神呪寺の鎮守は弁才天であるが、元亨釈書18巻にも登場するこの神とは六甲山系全体を所領とする廣田神社祭神、撞賢木厳魂天疎向津姫(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)またの名瀬織津姫のことであり、水を支配する神でもあり、水運に関係のある者は古来より信仰を深めてきた。

鎌倉時代初期には、源頼朝が再興する。境内の近くには源頼朝の墓と伝えられている石塔がある。 戦国時代には兵火により、荒廃した。現在の本堂は江戸時代の再建。

当初の寺領は淳和天皇より、150町歩の寄進があり、合わせて250町歩となったが、現在は境内地の20町歩となった。

山号は「武庫山」(六甲山のこと)であったが、光玄大和尚が現在の「甲山」に変更した。

神呪寺の住所は、上記の通り甲山町であるが「神呪町」が寺の南東約3km離れた、新幹線と阪急今津線の交差点付近に存在し、この寺が中世に一時的に移転したことを示す地名であるとも言われている。

神呪寺の本尊・如意輪半跏(はんか)像は、河内観心寺、大和室生寺如意輪観音像と合わせて、日本三如意輪と呼ばれている。家業繁栄・商売繁盛のご利益があるとされ、秘仏となっている。融通さん、融通観音とも称されている。

5月18日に融通観音大祭があり、本尊の開扉がある。

大師堂に祀られている弘法大師像は、大師58歳の姿で、厄除大師として信仰されている。甲山大師と称されている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521215746j:imageゲンさんの後頭部
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納経所でなぜか根来寺について質問をしていたおばあちゃんがいました。

 

お寺の方もちょっとわかりづらい雰囲気でしたので少しサポートしてあげたら、おばあちゃんにもお寺の方も喜んでくださいました。

 

良かった良かった。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521220037j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

さて、本日の巡礼最終目的地に向かいます。

 

尼崎、通称【アマ】ですな。

 

 

 

西宮~尼崎は距離は大したことないんですが、

なんせ混むんですわ。

 

 

 

 

 

着いたの16時回ってまして、

お寺に入らせてもらえるかどうかも微妙な時間帯。

 

 

 

 

 

 

ゲンさん走る。

 

 

 

 

 

 

 

納経所のお母さんが気持ちよく本堂を開けて下さってお参りをさせて頂けることに。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521220626j:image法然上人霊場第4番札所 【如来院】さま。

 

法然上人霊場はやればわかるんですが、お寺によっては参拝するのに予約が要るお寺があるんです。

 

こちらはなかったけど、お寺によって早く閉めはる場合も中にはあるらしいので。

 

 

 


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珠光山徧照寺如来院(にょらいいん)は、兵庫県尼崎市寺町にある浄土宗の寺院。法然上人二十五霊跡第四番札所。

天平年間(729年-749年)、聖武天皇の勅願により行基が建立した49院中の一院となる。開基当初は摂津国神崎において、天皇の厄除けを祈願するため釈迦の本尊を祀り、徧照寺もしくは神崎釈迦堂と称された。

釈迦堂のあった神崎は昔から、京都と西国地方を結ぶ船舶の拠点として繁栄し、遊女も多かった。建永2年(1207年)3月、法然が讃岐遠流の途中同地に立ち寄り、5人の遊女を帰依させる。その後自らを懺悔し念仏を授かった5人は神崎川へ入水。住民は遺骸を川岸に葬り遊女塚とし、法然は釈迦堂にて念仏回向したとの伝承がある。当寺には現在も法然の遺物や遊女5人の遺髪が残されている。

同年12月、法然は勅免により京都へ戻る途中、遊女たちを弔うため再び神崎を訪れる。住民は徳を得るため引き留めようとしたが、勅命により自らの意のままにならない彼は代わりに弟子の湛空を釈迦堂に留めさせ、法然上人宗祖の念仏道場として信仰盛んとなった。

だが永正14年(1517年)、神崎の洪水で釈迦堂が流されたため、新たに善光寺如来を模した阿弥陀如来を本尊とし、それ以後如来院と称している。

永正17年(1520年)、前年に大物城を築いた城主・細川高国が城内(大物)に当寺を移転させた。永禄12年(1569年)の織田信長による尼崎焼打ちの際も、当寺は長遠寺と共に被災を免れたと言われる。さらに元和4年(1618年)、戸田氏鉄の尼崎城築城に伴い、元和年間(1615年-1624年)に寺町(現在地)へ移転した(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180521221532j:image納経印

 

 

 

 

 

ねずみ男を送って、レンタカーを返して。

 

 

 


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やきにく!

やっぱりゲンさんは焼肉が似合うなwwwwwww

2018年5月 新西国巡礼 その1

暑くなってまいりました。

 

ウチの店の前もしっかり打ち水でもしないと、かなりアスファルトが昼の陽射しで焼けてきつつあります。

 

弱めに冷房入れないとなかなかしんどい状況皆さま如何お過ごしでしょうか。

 

 

 

また今朝も仕事前に巡礼に行って、眠い目をこすりながら仕事をしておりまする私KOBANNADでございます。

 

 

 

 

さて17日ないし18日といいますと各地の観音さまの縁日になっており色々と催し等が行われております。

 

 

 

西国の岩間寺では朝から恒例のシャトルバス→先達も走る先達ダッシュが行われていたのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

アタシは今朝は京都長岡京に向かい、

JR長岡京→阪急西山天王山→柳谷観音へと、月に一度のご縁日のシャトルバスに乗ってお参りに行って参りました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517184413j:image駅前バスロータリーにあるシャトルバス乗り場にはのぼりが立っております。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517184518j:imageお寺の山門に着くと開門前に人々が

ごった返しておりました。

さすがは眼病に霊験あらたかと言われてる柳谷観音さまですな。

 

 

 

 

 

 

楊谷寺(ようこくじ)は京都府長岡京市浄土谷堂ノ谷にある西山浄土宗の寺院。独鈷水(おこうずい)の寺として、また近年は紫陽花の寺としても知られている。通称柳谷観音(やなぎだにかんのん、楊・柳ともにヤナギの意)。縁日は毎月17日。

寺伝では清水寺の開祖延鎮が大同元年(806年)に開山したとされ、延鎮が夢告によりこの地で十一面千手千眼観世音菩薩像を感得し、堂を建て安置したのが始まりとされる。その後延鎮が清水寺に帰った後に空海が度々、ここで修行をした。

弘仁2年(811年)、楊谷寺を参詣した空海は、堂の傍らの湧き水で、眼のつぶれた小猿を抱いてその眼を懸命に洗っている親猿を見かけると、小猿のために17日間の祈祷を行った。すると満願の日に小猿の眼が見事に開いた。それ以来、空海はその湧き水を眼病に効く独鈷水として広めたという。

独鈷水は、江戸時代に眼の悪かった霊元天皇がそれで眼病を治癒されたのをきっかけとして、以後歴代の天皇へ献上されるようになり、明治時代となって皇居が東京に移るまで献上は続けられた。

東山天皇の皇妃新崇賢門院が当山の本尊に祈祷したことにより、後の中御門天皇が誕生した。それにより、そのお礼として、中御門天皇が当山ご本尊を模し、勅刻された仏像が奥之院のご本尊として祀られている。(Wikipediaより)

 

 

 

 


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立派な本堂もありまずは手水場でお清め→本堂でお勤めを。

 

 

 

…………いきなり納経所ダッシュしてる奴らが居るよwwwwwww

 

 

アタシは普通にお勤めをしてから納経所に。

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180517185137j:image実は柳谷観音さまはご縁日限定で、

押し花付きのご朱印を賜る事が出来ます。

 

【数量限定】でw

 

 

まぁ朝イチやったので普通に頂けましたけど、ただのスタンプラリーの方々が多かったですわ。

 

 

 

しゃあない、本四国やないんやから。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517185409j:imageこちらは新西国の納経印

 

左上の青い印もご縁日限定だそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、再びシャトルバスに乗る。

同じく長岡京駅まで戻って今度は高槻へ。

 

 

 

バスに乗りひたすら山の中へ。

 

 

 

 

バス亭から約1,5キロほど山道を歩いて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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新西国霊場第14番札所 神峯山寺

 

 

【かぶさんじ】と読むそうな。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180517185947j:imageかなり素晴らしい山寺です。



 

多分ゲンさん好きだろうな。

 

 

 

 

神峯山寺(かぶさんじ)は、大阪府高槻市原に位置する天台宗の仏教寺院である。山号は根本山(こんぽんざん)。日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれており、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天(そうじんびしゃもんてん)、兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)はいずれも秘仏。初夏は新緑、晩秋は紅葉の名所として知られる。新西国三十三箇所第14番、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道第64番。

神峯山寺は高槻市の中心部より北へ約6 km、原地区という田園風景が広がる農村部山間の山寺である。行政区は大阪府であるが、地理的には京都盆地の西側、西山連山から続く最西端に位置する。敷地約100haのほとんどは山林で覆われ、一帯を総称して神峯山といい、都市近郊の貴重な原生林が現存。参道に張られた勧請掛けが聖域と俗世の境界を示すとされる。

また、開山の祖とされる役小角役行者)、中興の祖である開成皇子の像が境内に安置され、古来の皇室との緊密な関係は本堂の十六八重菊紋などで確認できる。また、かつて七高山と称された修験霊場の一角であり、修験者が使用した修行の道や滝、葛城山遥拝所を示す石標などが境内の各所に点在する。神峯山の参道入口には石造の鳥居が立ち、仁王門前には狛犬があるなど神仏混淆の風土が現在も見られる。
歴史
 
開山伝承
「神峯山寺秘密縁起」によれば、文武天皇元年(697年)に役小角葛城山金剛山)で修行をしていた時、北方の山から黄金の光が発せられて霊感を受け、神峯山寺に位置する場所にやってきた。そこで天童(金比羅飯綱大権現)と出会い、天童の霊木で4体の毘沙門天が刻まれ、役小角は伽藍を建立し毘沙門天を祀ったことが起源とされている。

さらに縁起によれば、刻まれた残り3体の毘沙門天は天高く飛散し、1体はかつて神峯山寺奥之院「霊雲院」であった北山本山寺に、1体は京都市左京区鞍馬寺に、1体は奈良県生駒郡平群町信貴山に安置されたと伝わっている。これら寺院の本尊は現在も毘沙門天であるが、この逸話はあくまで神峯山寺の縁起によるものであり関連は定かではない。

開山以後、神峯山寺は修験霊場として多くの修験者を迎え入れたとされ、同じく近畿の修験霊場として名高い比叡山、比良山、伊吹山愛宕山金峰山葛城山に並ぶ七高山の一角として大いに栄えたとされている。
中興
宝亀5年(774年)、光仁天皇の子息であり桓武天皇の庶兄にあたる開成皇子が、勝尾寺(現・大阪府箕面市)から入山し、光仁天皇の命によって本堂を創建して住職となった。これを機に神峯山寺は天台宗仏教寺院となる。また光仁天皇の勅願所となって以降、神峯山寺は皇室に緊密な天台宗寺院となり、その関係は幕末まで続いていたとされる。境内には開成皇子の埋髪塔(五重塔)や、光仁天皇の御分骨塔(十三重塔)があり、天皇と皇室を表す十六八重菊の使用が認められ、各所に菊の紋章が見られる。
平安時代後期
平安時代後期に、天台宗僧侶であった良忍が開宗した融通念仏宗の源流が大原、鞍馬を通り神峯山寺へ伝わったとされ、神峯山寺秘密縁起4巻の冒頭にはその説話が残されている。

大治元年(1126年)の頃、摂津に橘輔元(たちばなのすけもと)という役人がおり、極めて裕福であったが七度の火災で家財がすべて失われ、輔元の父、子にわたる三代にわたって癪の病にかかるという苦しみを受けた。輔元は奥之院の毘沙門天の宝前でこの苦しみから救われるよう深く祈祷し、九頭龍滝に打たれるなど苦行を行ったとされている。そして輔元とその子息は、後に良恵、忍恵と名乗り、良忍の弟子となり神峯山寺の住職を継いだといわれる。
鎌倉時代以降
神峯山寺本尊・毘沙門天が武将による信仰を厚く受けていたのは、鎌倉時代末期からであったとされている。楠木正成が奉納したと伝わる殿中刀は現在も神峯山寺本堂に所蔵されており、室町幕府三代将軍・足利義満、摂津守護代三好長慶に仕えていた松永久秀や、豊臣秀頼の生母淀殿らによる寄進があった。これらは毘沙門天が戦いの神として崇拝されたことに起因するようだが、経緯は定かではない。
江戸時代
上方文化が栄えた元禄時代の頃より、神峯山寺は大坂商人から厚い信仰を受け巡礼地として栄えた。これは毘沙門天七福神の一神であったことから、商売繁盛を祈願するために商人達が淀川を上り、三島江から神峯山寺まで歩いて参拝したことが記録されている。江戸時代の代表的な豪商である鴻池善右衛門もまた巡拝者の一人であり、三島江から神峯山寺参道にかけて十数か所に石造の道標を建立した。

神峯山寺は江戸時代に隆盛期を迎えた。最盛期には七つの堂に加え伽藍および僧坊が21か所、寺領は1,300石あり、奈良県生駒郡平群町にも飛地が存在したことが神峯山寺秘密縁起に記録されている。しかし、明和2年(1765年)に火災により本堂を消失して以降、安永6年(1777年)に再建されたものの、規模は徐々に縮小し、現在に至っている。

しかし、昨今の調査で宝塔院(本坊)にて徳川幕府2代将軍徳川秀忠から14代徳川家茂に至までの位牌が発見されるなど、江戸末期においても徳川将軍家との密接な関係があったことが確認されている。
幕末 - 明治
本堂にかかる「日本最初毘沙門天」の扁額は、伏見宮邦家親王の真筆であり、同時期には明治政府の要人であった有栖川宮熾仁(たるひと)親王が神峯山寺本坊の「宝塔院」と書いた真筆を奉納している。また有栖川宮熾仁親王の祖父母にあたる有栖川宮5代韶仁(つなひと)親王と宣子(のぶこ)女王の位牌は嶺峯院に祀られているなど、幕末から明治期にかけても皇族との関係が密接であったことを表している。
本尊
神峯山寺の本尊は3種の毘沙門天で構成されるという珍しい形態をとっており、それぞれ第一の本尊、第二の本尊、第三の本尊と称されている。いずれも秘仏だが、第二の本尊・兜跋毘沙門天のみ秋の大祭の折に開帳される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190231j:image新西国の納経印

 

ご本尊毘沙門天さまのご朱印はまた後日。←忘れてただけ

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190338j:image途中の山道からは名神高速が見下ろせます。

 

 

 

 

そして、バス亭まで戻って高槻駅に向かうバスを途中下車。

 

 

新西国霊場客番(番外)安岡寺に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………再びはじまる悲劇の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて西国4番施福寺に初めて行った時と同じく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ナビに騙される】wwwwwww

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517190552j:imageルート通り行くと住宅地に行ってしまい、お寺にはたどり着けない(^q^)

 

 

 

 

 

ぐるーっと迂回してクソ暑い中5キロ以上予定外に歩かされたwwwwwww

 

 

 

まぁ、本四国の歩きの練習やと思えば←夜普通に仕事(^q^)

 

 

 

 

で、


f:id:KOBANNAD:20180517190943j:image住宅地の反対側まで回ってとどめにきつ目の坂を登って

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517191034j:imageとうつきー

 安岡寺【あんこうじ】と読みます。

 

 

やすおか やと思ってたwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

安岡寺(あんこうじ)は、大阪府高槻市にある天台宗系単立の寺院。 本尊は如意輪観音秘仏)。毎年2月1日には、柴灯大護摩供が行われ多数の参詣者でにぎわっている。通称「高槻観音」「弘紹不動」。

 

寺伝によれば、桓武天皇の兄で、光仁天皇の子にあたる開成皇子がこの地に霊験を感じ、自ら観音像を彫り堂宇を建て、宝亀6年(775年)2月18日に創建したと伝えられている。南山と号し、根本山・神峯山寺、北山・本山寺とともに北摂三山寺として天台宗に属する。開成皇子の弟子である開智が、一字一石の大般若経600巻を書写して背後の岡に安置したことから安岡寺般若院と呼ばれる。

文安年間(1444~1449年)に天災により堂宇を焼失するが永正年間(1504~1521年)に高誓が再建した。天正年間(1573~1592年)には、三好氏やキリシタン大名としても有名な高山右近の兵火により堂宇が焼失したが、寛文年間(1661~1673年)に良盛によって復興された。江戸時代には将軍家の拝領を受け、大日院、藤本坊、阿弥陀院、泉蔵坊の4塔頭をもつ巨刹となったが、明治時代の廃仏毀釈により荒廃し現在の規模となった。
文化財
木造千手観音坐像(国の重要文化財
平安時代後期の作。境内の青梅観音堂に安置される。元々は付近にあった安正寺の本尊である。廃仏毀釈により明治3年(1870年)に安正寺が廃寺となったためにここに移された。日曜・祝祭日に開帳される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180517191349j:image叶(かのう)観音


f:id:KOBANNAD:20180517191910j:image
f:id:KOBANNAD:20180517191938j:image
f:id:KOBANNAD:20180517192009j:image納経印




 

 

正直、疲れてもいたし眠かったのもありますが。

 

何より時間のロスが多かったので、お寺までタクシーを呼ぶ!

 

 

 

高槻駅まで!

 

 

 

 

しかし!

 

 

 

 

 

 

仕事も大切やけど!

 

 

 

 

 

 

 

 

腹が減ってはなんとやら!


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高槻駅前のうどん屋さんでカレー丼と冷やしぶっかけそばをかっこんで仕事に戻ってまいりました。

2018四国遍路2巡目 7番十楽寺~11番藤井寺

行けば行くほど好きになる。

 

それが本四国の魅力であり、楽しさである。

 

 

いきなり冒頭から結論が出てしまっている感がありますが。

 

 

真理ではないでしょうか。

 

睡眠不足気味で仕事したくない(いつも)私KOBANNADでございます。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514191339j:image「お前またアホな話ばっかりしとるな」

 

 

お大師さまに突っ込まれてしまいそうな毎度毎度のお約束ご容赦くださいませwwwwwww

 

 

 

 

 

さて、昨日13日のお話でございます。

 

 

 

今回も阪急交通社さまのバスツアーをご利用させて頂きました。

 

 

 

 

旧梅田コマの前に待ち合わせるのですが、あいにくの雨にも関わらず多くの方々がひしめき合っておられました。

 

四国が2つ

西国が2つ

御朱印巡りツアーが1つ

その他ツアー3つくらい出てまして、ごった返しておりました。

 

 

そこに前回のツアーでお世話になった先達さまが。

 

 

ご挨拶したら覚えて下さっていて、色々とお話をしておりまして。

そこへ、今回お世話になりますM先達さまが。

 

 

 

 

ツアー前からお二人の先達さまとあれやこれやと為になるお話を頂戴出来ました。

 

 

 

 

ゲンさんと【デブ遍路二人】で昨年別格含め108ケ寺一巡しましたが、

 

1月に偶然お会い出来てお話を頂きお作法をご教授頂いた高知のお先達さま以外は、

巡礼中にツアーの方や、ご自身で回られている方とすれ違いご挨拶を交わす事はあっても、

 

これほど色々とお話をしたことはありませんでしたので貴重な経験ですね。

 

 

バスツアーだからと正直バカにして、嫌っていた自分を恥じる良い経験になりました。

 

 

 

また後述いたしますが歩き遍路で宿坊等にお世話になり、

そこで色々な方々とお話が出来るというのも遍路の大きな魅力です。

 

 

仕事の休みが1日しかないからというのはただの言い訳。

 

場所が遠かろうがお金がかかろうが、本四国の遍路たるものやらずにいてどうする!

 

 

 

 

慌てることなく確実に、札所と札所を歩いていくのに踏みしめていく一歩一歩の大切さと同様に、

遍路としての経験を積み上げていくのも、功徳の積み重ねになるのだと。

 

 

 

深く深く己を、四国に行く前に見つめる事が出来ました。

 

 

M先達「KOBANNADさんがね、言わはる通り色んな方いてはるしね、色んなお寺あります。なんなら色んな先達もおりまんのや。でもね、参る心はKOBANNADさんだけのもんです。私もまだまだやけどね、四国は、お大師さんはそれでも黙って迎えてくれはりますよ。」

 

 

………もう出発前から泣きそうでしたよ。

 

 

 

 

すごいなぁ。

 

 

 

 

残念ながら添乗員さんは前回と違いました。

今回の方はおもいっきり真面目でキチンとこなしてくれました。

前回の方が不真面目やったという訳じゃないですけどねw

 

あんまり遊び心はないのかなぁという印象。

 

 

 

 

 

 

 

 

で、バスに乗る。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回お隣には還暦を迎えて今月から四国を始めたばかりというKGさん。

 

西国も始められてるそうで。

 

道中色々と質問されて色々と答えていくという感じで。

 

 

 

 

 

そして、難波の待ち合わせ場所に到着。

 

 

 

やたらとカッコいい千手観音さまのTシャツ着たイカツいオッチャンとか、

年期の入った菅笠を持った老夫婦とか、

16番観音寺さんの光明真言の入った笈摺を着てるオバチャンとか、

 

 

………に、続いて前回ご一緒だったK氏のお姿が!

 

 

 

 

 

 

なんやろ、ホンマに涙出そう。

 

 

 

 

 

あぁ。やっぱり本四国やわ。

 

 

 

 

 

 

嬉しいなぁ。

 

 

 

 

 

しかし、外は雨。

 

まぁ台風の中足摺岬行ったり、屋島が通行止めで満願出来なかったり色々あったもん。

 

 

今さら、ね。

 

 

 

 

 

 

そして、バスは四国へ。

 

 

 

 

 

途中の淡路の室津PAで休憩。

 

 

正直菅笠で凌ぐつもりやったので傘持ってきてなかったのですが、かなり雨足がキツく傘買ってしまいましたw

 

 

そして、1番霊山寺さまへ。

 

 

 

遍路用品を買いに向かいます。

 

 

 

 

アタシは特に買うものはないので売店横でタバコをwwwwwww

 

 

 

 

 

KGさんと並んでタバコ吸ってたら千手観音のシャツの方も一緒に。

Sさんという方でした。(この時はまだ名前聞いてなかったんです(笑))

 

 

 

 

 

 

で1ヶ月ぶりのK氏と挨拶。

 

 

やはり話がはずむ。

 

 

 

 

 

そして、バスは本四国第10番札所 切幡寺さまへ。

 

 

 

降りしきる雨の中、徒歩組とタクシー組に分かれて参道を登ります。

 

 

 

 

 

Sさん、早いwwwwwww

 

 

かなり慣れてるなぁ。

 

 

 

正直雨と、333段に負けましたw

写メ撮れてねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇwwwwwww

 

 

 

って事で、全国のゲンさんファンの為にも

前回昨年の切幡寺さま参拝の折の写メを。


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f:id:KOBANNAD:20180514201649j:image実際雨酷すぎてこんなもんやなかったけどwwwwwww

 

 

帰り道下っていく際に、先程の菅笠老夫婦O夫妻とご一緒で。

 

Oさん「兄ちゃん、金剛杖見してみ。」

「はい?どうぞ」

 

比べてみたら15センチは私のより短い。

 

「これって……」

Oさん「せや、歩きで2巡したからな。減っとるんや」

「はぁー、すごいっすねぇ」

O奥さん「高知の先達さんに連れて行って貰ってねぇ。歩きは2回やけど、なんやかんやで9巡してるんよ、今回が10回目」

 

 

 

 

どうりで納め札が赤いと思ってたw

 

 

バスまでの道中、巡礼中に夫婦喧嘩したとか色々お話を伺いました。

 

Oさん「せやけど兄ちゃん、エエ声しとる。お経上げるん上手やわ。若いのにな。頑張ってなぁ年々声も出んようになるけど、お経も読まんような遍路にゃなるなよ。一言一句心込めてな、ツアーの先達さんも言うてたやろ。」

 

 

 

 

 

ありがたい。

しかし、昨年1月にお会いしたお先達さんにも同じような事言われたなぁ。

あれ?

高知の先達?

 

 

………同じ方だったら面白いなぁ。Oさんご夫婦は兄弟子ってことかw

 

 

なんて事をひとりで考えてましたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、バスは本四国第9番札所 法輪寺さま

 

ここの門前駐車場でバスの中でお弁当タイム。

 

 

 

早目に食べてバスから出てタバコタイム。

 

KGさんと二人で、そこにやってくるイカツイSさん。

 

 

 

Sさん「その輪袈裟西国の先達さんのヤツやね。兄さん先達さんかいな。」

 

KGさん「えっ!そない偉い人やったんかいな!」

 

「いやいや、なんも偉くないですよ。四国と違って西国は一巡したら誰でも先達なれますからw」

 

Sさん「いや、山門からの動きやらお経上げてるのも見てたけど大したもんでっせ。キチンとしてはるわ。」

 

 

 

 

そこにタバコ吸わないのに表れるK氏

 

K氏「KOBANNADさんは前回も一緒やったんやけど、四国はお互い一巡同士やけど西国はもうすぐ中先達さんやからね。」

 

 

……何故アナタが得意そうなんですか、K氏w

 

 

 

 

「Sさんこそ四国は結構行ってはるんちゃいますの?」

 

Sさん「四国は4回目、西国は一緒やね3回目やわ。」

 

 

KGさん「はー、皆さん凄いなぁ。」

 

「いや、今日は私らよりもっと凄い方おられまっせ、あのご夫婦10回目で2巡は歩きで回ってはるそうですわ」

 

 

K氏「情報早いな~。こないだもオバチャンらと仲良くなってたもんなぁ。」

 

 

 

 

 

 

………だから余計な話をwwwwwww

 

 

 

 

笑いながら、

Sさん「数珠、それ別格のんでっか?ワシ別格まだいっこも行けてないんですわ。仕立て代とか大分かかるんですか?」

 

 

「各お寺で1個300円で玉頂いて、親玉だけは担当寺院今は8番十夜ケ橋さんですね、500円。四天王寺近くの仙福南陽堂さんで2800円で仕立てて頂きましたよ、私」

 

Sさん「そないに安く仕立てられるんですか!うぅん、よし、別格もいこ!エエ事聞いた。ありがとう。」

 

 

「いえいえ知ってる事だけです、まだまだ知らん事ばっかりですから。」

 

 

KGさん「へぇー、色々あるんやなぁ。」

 

 

 

と、話が盛り上がってるところにM先達が

 

「ボチボチ行きますよー」

 

 

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180514205428j:image

丸に十の紋を見ると私の田舎でもあります鹿児島の島津家を思い出してしまいますな。

 

 

 

 

 

 

 

 

門前の草餅も有名なこちらで、

ツアーのM先達さまから仏画家のN先生をご紹介して頂きました。

 

 

あまりの素晴らしさに思わず買ってしまいました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514205806j:image十三仏像とN先生の錦の納め札まで頂戴してしまいました。


 

 

KGさん「雨やで兄さん。持って帰るん大変やで?買ってるの先達さんと兄さんだけやで。」

 

 

 

 

かまへん!

 

途中でクリアファイルかなんか買えばエエ。

 

 

自分が気にいったんやから。

 

次にあるとも限らへん。実際去年回った時はおられなかったんやし。

これこそが仏縁やがな。

 

 

 

 

額縁注文して部屋に飾らせてもらお。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

更に雨の吉野川を越えて、

 


f:id:KOBANNAD:20180514210232j:image

 

 

 

 

本四国第11番札所 藤井寺さま

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180514213058j:imageこちらでのお勤めの際に、笈摺に光明真言を入れておられたNさんと並んでご一緒させて頂きました。

 

 

 

 

Nさん「おニィちゃんエエ声しとる。」

 

 

自分じゃわかんないんですよ、ホンマに。

どう考えてみても自分よりはるかにお遍路回られている方に誉めて頂くと嬉しいのと、気恥ずかしさで恐縮してしまいます。

 

 

「Nさんやっぱりかなり回られているんですか?」

 

Nさん「娘が病気したのがきっかけ。おかげさまで娘の病気は良くなってんけど、やめられへんね、四国は。もう8回や。」

 

素晴らしい笑顔で言われて思わず手を合わせてしまいました。

 

 

 

すごいなぁ。

足元にも及べへんわ。

 

皆さん立派な四国病ですよ、ホンマに。

 

 

 

ホンマにやめられへん。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514213844j:image「お前またアホな事を」

 

 

 

すいません自重しますw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若干雨が小降りになりかけて、

 

 

本四国第8番札所 熊谷寺さまに到着。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514213827j:imageこちらの多宝塔は圧巻ですね。

 


f:id:KOBANNAD:20180514213949j:image中門

Oさんのお父さん写ってしもたw

 


f:id:KOBANNAD:20180514214053j:image修行大師さまを撮ってたら、

 

Sさん「修行大師さんはエエね。お会いするたんびに、遍路の基本ちゅうかなんちゅうか、キリっとさして貰えるやん。」

 

 

 

……おぉ!同じや!

 

 

 

Oさんも同じ思いなのかウンウンと頷いてはりました。

 

 

 

やっぱりエエなぁ。

 

 

 

そういえば昨年高知の先達さまに声をかけて頂いたのもこちらのお寺やったな。

 

 

実はM先達が先達になる時に推薦受けたのもこちらの熊谷寺さまやったそうで。

 

 

 

四国にはホンマに何かがあるんですね。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514214632j:image熊谷寺さま本堂鬼瓦。

 

 

大師堂から間近に見れるのです。

 

 

前回は気付きもしませんでした。

 

 

 

 

次はゲンさんとゆっくり見たいなぁ。

 

 

 

 

 

 

ゲンさんはよ2巡目せぇよー。

四国が待ってるぞー。

 

 

 

 

 

 

 

そして、この日最後の巡礼地

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514215249j:image

本四国第7番札所 十楽寺さま。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514215320j:image

 

こちらの本堂でのお勤めの際

私、K氏、KGさん、Nさん、Sさん、Oさんが一同に並んでお勤めをすることが出来ました。

 

今回のツアーも総勢45名もおられまして。

 

 

各寺院で皆さんバラバラにお勤めをしていたのです。

 

 

なんの申し合わせもなく、こちらで集まった時に身震いしてしまいました。

 

 

お大師さま、ご本尊さま、そして四国が下さったほんの少しの大切な大切なご縁。

 

 

ツアーが終われば余程何かがなければ二度と会わないかもしれない人達。

 

 

それでも、一緒にお経を上げるこの瞬間は同じ遍路なんだ。

 

【老若男女を問わず迎えてくれる】

それが本四国なんです。

 

 

 

Sさん「西国とか他に行ってもさぁ、四国に来ないとなんかムズムズしまへんか?」

 

Nさん「わかるわ、それ。」

 

K氏「遍路あるあるやな、なぁKOBANNADさん」

 

「そうですね、今週ホンマに仕事しててもはよ行きとうて行きとうて。」

 

 

皆さん「「「「それはアカンやろ!w」」」」

 

 

KGさん「ほえー、そんなもんですか。ワシまだ分からんなぁ。」

 

 

Oさん「続けて、ほんで結願して初めてわかるわ。途中で辞めたら絶対わからん。歩きで遍路宿泊まって色んな人と会ったりな。」

O奥さん「そうそう、道行く人にお接待もろたり色々あるよ。」

 

K氏「繰り返してたら色々ありますもんね」

 

Nさん「そうそう今日みたいに雨の日もあるし。暑い日も寒い日もあるけど、また来たくなりますわ。」

 

 

 

 

 

やっぱり皆さん立派な四国病wwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに

 

「Sさん、その千手観音のシャツカッコいいっすね。どこで買いはったんですか?」

 

Sさん「実は通販w楽天やねん、後でサイト教えますわw」

 

 

 

貴重な情報更に頂きました。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514220057j:imageそしてホンマに最後のお勤めをしに大師堂へ。

 

 

Oさん「ワシなぁ、兄ちゃん。88のお寺の中でここのお大師さんいっちゃん好きやねん」

O奥さん「アンタいつも言うてるなぁ」

そこにM先達さんが来て

 

M先達「こちらのお大師さまはいちばん若い顔をなされていると言いますか、おそらくは20代の頃、お大師さまが四国の霊場をかけめぐってはった頃のお姿なんと違うかと言われてますわ。」

 

 

 

じっくりとお大師さまのお顔を拝見します。

 

 

確かに若い、なんとも言えない生気に満ち溢れたお顔をされておられました。

 

 

 

「Oさん、私もこちらのお大師さま大好きになりましたわ!」

 

Oさん「兄ちゃん面白い子や。ワシはもうトシやさかい後何回回れるかはわからん。兄ちゃんまだ若いんやからしっかり回りや、歩きもしたらエエ。」

 

「ハイ!ありがとうございます。」

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514220951j:image「また来いよ」

 

お大師さまの声が聞こえてきた気がします。

 

 

 

 

 

帰りも大雨の中を。

 

 

 

 

淡路SAで前回同様玉ねぎラーメンを食って


f:id:KOBANNAD:20180514221428j:image

 

 

 

K氏「あ、また食ってるな。」

 

「K氏食わないんですか?」

 

K氏「いや、子供と晩御飯食べに行く約束しとるからな。ホンマは食いたいんやけど( ;∀;)」

 

 

 

 

 

 

 

……なんかすいません。

 

 

 

 

そして無事予定より早く梅田に到着。

    

 

皆さんにご挨拶して分かれて帰宅。

 

 

 

そこにK氏が 

 

K氏「KOBANNADさんは来月も行くの?」

 

「はい、10日に予約しましたよ、ひょっとしてK氏も?」

 

K氏「いや、もう後は自分で車でまたひとりで行こう思ってね。」

 

「そうなんすね、残念です。」

 

ここで店の名刺でも渡そうかなと思ってたら

 

 

 

K氏「お互い遍路繰り返し回ってたら四国でまた会えるって。西国かもしらんけどw 」

 

「そうですね、それこそご縁やし遍路の楽しみですもんね」

 

K氏「いろいろとありがとうね、またどっかのお寺でな。KOBANNADさん四国の先達なるんやろ?」

 

「はい、そのつもりです」

 

K氏「せやろ思たわ。前回も今回も先達さんの立ち振舞いやら作法じっと観察してるんやもん。頑張って立派な先達なってや!ホナ子供が待ってるんで、またな!」

 

「ありがとうございました、お元気でまた!」

 

 

 

 

 

 

 

やめた、仕事の名刺なんか渡してどうなる。

 

 

 

ご縁があればまた会える、必ず。

 

 

 

また今回も勉強出来た。

それだけで他に何が要る。

 

 

自分に必要なのはホンマに大切なものだけ。

 

 

偽物は要らない、そんな縁は要らない。

 

 

偽物は容易く手に入る。ホンマに大切なものは簡単に手に入らない。

 

 

だから努力する。

 

 

四国で何を学んでる?

 

 

 

そういう事だ。

 

 

 

 

さて、来週は

西国、新西国、法然上人霊場を巡りに兵庫県を横断致します。

 

 

ゲンさんファンの皆様請うご期待をwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

正直本四国だけでいいんですけどね。

乗り掛かった舟だし。

 

 

逆に四国だけで他の霊場も知らずに批判だけする頭でっかちもなんか違うかと思うので。

 

 

 

 

最後に

 

今回も良いお参りをさせて頂きました。
ご本尊さま、お大師さま、
そして四国の全てにありがとうございました。 

2018年 5月西国巡礼2,3巡目その3

今日のブログは短いぞ(笑)

 

 

5/11(金)のお話。

 

 

 

またもや仕事前にひとりで和歌山へ。

 

 

 

 

今回は南海高野線で一路橋本駅に向かいました。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514190108j:image

 

橋本駅からJRに乗り換えて粉河駅に向かいました。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514190156j:image

粉河寺に着いたら、葬儀のご準備中。

 

なんと、大僧正さまがお亡くなりになられたとか。

 

 

 

 

ご冥福をお祈りさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

一路山門へ。


f:id:KOBANNAD:20180514190405j:image相変わらず見事な山門です。

 


f:id:KOBANNAD:20180514190520j:image
f:id:KOBANNAD:20180514190533j:image
f:id:KOBANNAD:20180514190544j:image
f:id:KOBANNAD:20180514190555j:image四天王様も圧巻。



 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180514190625j:image朝イチはやはり気分が良い。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180515030508j:image八角朱印

 

 

 

 

 

 

さて、13日(日)はいよいよ四国遍路です。

2018年 5月西国巡礼2,3巡目その2

 

満願達成した姉上のパワーが増したのか、

 

雨模様な近頃皆さま如何お過ごしでしょうか、KOBANNADでございます。

 

 

 

 

先日の西国巡礼の折、先達申請をめぐって生じた疑問。

 

勝尾寺で何故コピーが必要なのか。

 

 

先達会のある紀三井寺さんに問い合わせてみようと思いました。

 

 

 

 

が。

 

 

 

 

 

よく考えてみれば電話でウダウダ言ってクレーマーだと思われるのも嫌だし。

 

 

 

 

普通に紀三井寺さんの八角朱印まだ頂いてないし

 

 

 

 

 

 

 

………ってな訳で仕事あるにも関わらず本日5/9朝からJR紀州路快速に乗って行ってまいりました!

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509195019j:image

 

西国三十三観音霊場第2番札所  

【紀三井山 金剛宝寺

 

通称 紀三井寺さん。

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509195200j:image朝イチってのはやっぱり気持ちが良いですね!

 

 

 

 

 

 

さて、肝心の先達申請にまつわるお話を。

 

 

ちょっと朝早すぎでご住職クラスの方がまだ来られて無かったみたいですが、


若いきちんとされたお坊さんが対応して下さいました。

 

 

 

「それはおかしいです、聞いた事ありません。今回は本当に申し訳ありません、上に伝えさせて頂きます。その新しく先達になられる方にも何卒宜しくお伝えください」

 

 

 

との事でした。

 

 

 

 

つまり勝尾寺のスタンドプレーという事ですね。

 

 

 

他にそういう事してる札所もあるのかもしれませんが。

 

 

 

 

勝尾寺でどうしても先達申請したい方ははじめから印鑑持って行って下さい、自己責任で(笑)

 

 

 

 

 

 

姉上に早速伝えたところ、喜んでました。

 

 

 

まぁさすが事務局のある紀三井寺さんですね、きちんとした対応でありがたかったです。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509195801j:image八角朱印

 

 

 

 

 

 

で。

 

 

 

 

そのままストレートにアタシが仕事に行く訳もなくwwwwwww

 

 

 

 

 

電車の乗り継ぎ等計算して、

 

 

 

 

 

 

一路天王寺に戻って、

近鉄に乗り換えて、

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509195933j:image

西国三十三観音霊場第5番札所

紫雲山 葛井寺

 

 

 

 

行ってまいりました!

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509200011j:image日本最古の千手観音さまの御朱印

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509200048j:image八角朱印

 

 

 

 

今から施福寺さんに登るって言ってた70過ぎくらいの老夫婦と少しお話したりして、

 

 

 

 

 

今日はそのまま仕事に。

 

 

 

 

 

 

………うーん。

 

粉河寺が中途半端に残ってるなぁ。

 

 

 

 

近いウチに行くか。

 

 

 

ちなみに八角朱印、後8ケ寺でございます。

 

 

 

後、今回はゲンさん居ません。

 

全国のゲンさんファンの為に

 

 


f:id:KOBANNAD:20180509200549j:image電車の中でスマホをいじくる男

 

 

 

 

 

お後がよろしいようでwwwwwww

2018年 5月西国巡礼2.3巡目 カーチャン、姉上、ゲンさん無事満願成就!

先週ぶりでございます。

 

 

 

外は春雨という感じで雨模様、皆さま如何お過ごしでしょうか、私KOBANNAD眠気がひどうございます。

 

 

 

 

今回も西国巡礼のお話。

 

 

 

 

タイトル通り、

 

70歳を目前にしましてカーチャンことウチの母。

名古屋のアメフラシことウチの姉上(実際に血縁な訳ではない)。

 

 

 

そして

 

 

【西宮で一番焼肉の似合う男】ことゲンさん

 

 

全国のゲンさんファンの皆さまお待たせ致しました。

 

 

 

今回3名、無事西国三十三観音霊場満願成就致しました。


f:id:KOBANNAD:20180507191253j:imageおめでとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉上は昨年5/7にちょうどこのメンバーで、花山院に行ったのが西国巡礼開始でしたのでホンマにきっちり丸一年やったみたいなw

 

 

 

カーチャンとゲンさんは前回にも書きましたが、

中村八万大菩薩事件でゲンさんが免停食らってる時に西国バスツアーで青岸渡寺さんに行ったのが初めてなので、こちら二人もほぼ丸一年。

 

 

 

 

 

で、ちょいと気になってアタシはどんくらいかかって初めての満願したのかなと思ってみたら

 

 

 

 

昨年4/9に醍醐寺からスタート

同年8/12に成相寺さまで満願。

 

ほぼ4ヶ月wwwwwww

 

 

 

そりゃ、仕事の前に始発で施福寺やら観音正寺とか行ったもんなぁwwwwwww

 

   

あ、でも去年ってドラクエ11寝ずにやったりもしてたからなぁwwwwwww

 

 

 

本気で西国だけ回るんなら3ヶ月ありゃなんとかなるかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

行かないけどwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

四国行くわwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

と、西国先達にあるまじき発言から今回もスタートします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、今回例の新メンバー「ねずみ男」が寝坊しましたwwwwwww

 

 

姉上ではなく、彼にフラグが立ってしまったようです。

 

 

 

 

 

 

 

姉上は名古屋駅の新幹線改札が開く前から並んでいたという気合いの入れっぷり!

 
f:id:KOBANNAD:20180507195036j:imageその模様がこちらw

 

LINEで飛んできた時に少し笑ってしもたwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪組は、寝過ごしたねずみ男を放置し、

カーチャン迎えに行って、

姉上と合流の為に一路新大阪駅に。

 

 

 

 

 

アタシが姉上を迎えに行く為に改札へ。

 

 

 

 

と、その前に。

 

 

新大阪駅にはおにぎりの非常にウマイ店がありましてね。

 

 

 

 菊太屋さんといいます

http://kikutaya.co.jp/onigiri/

 

 

こちらでおにぎりを12~3個くらい買って車内で朝御飯!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてまず、向かいます。

 

西国霊場第20番札所

【西山 善峯寺】

 


f:id:KOBANNAD:20180507200235j:image相変わらず立派な山門だわ。

 

 

 

久しぶりに姉上とお勤めをご一緒いたしましたが、

もう充分先達のお勤めが出来そうなくらい、

しっかりお経上げれてはりました。

 

 

 

 

南無大慈大悲観世音菩薩

南無大慈大悲観世音菩薩

 

 

ホンマにエエこっちゃ。

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180508022335j:image八角朱印

 

 
f:id:KOBANNAD:20180508022750j:image薬師如来さま

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして一路、京都縦貫自動車道を抜け亀岡へ。

 

 

 

 

西国霊場第21番札所

【菩提山 穴太寺

 

 

 

こちらは本当にのどかな田園風景の中にあるお寺、

四国っぽい感じがして本当に好きです。

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180508022400j:image八角朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門前駐車場の売店で「ニホンミツバチ」の蜂蜜を購入。

 

なかなか売ってないからねぇ、これ。

 

 
f:id:KOBANNAD:20180508022512j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてゲンさん得意の山越えルートで、

箕面を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

西国霊場第23番札所

【応頂山 勝尾寺

 

 


f:id:KOBANNAD:20180507201420j:image山門


f:id:KOBANNAD:20180507201453j:image姉上は一足先にここで満願なので、記念にと1枚

 

 

 

 

 

 

 

 

まさか、あんな結果になるとは…

 

 

 

 

 

 

 

この時…

 

 

 

 

 

 

 

 

誰が予想出来ただろう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後半へ続………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かないwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやまあ、正直な話。

 

勝尾寺は二階堂が法然上人の霊場にもなってるので、ゲンさんと一緒にそちらも行く予定でしてね。

 

 

 

本堂横に納経所があるんです。

そこから更に少し歩いて坂を登った先に法然上人霊場の【二階堂】があるんですが、先に納経を頂いてから参るつもりやったんですね。

 

 

 

 

 

私が納経頂いてたお姉さんは、何も言わずに(まぁ先達ですから)普通に納経してくれてたんですね。

 

 

 

隣に居た納経所のオバハンがゲンさんが法然上人霊場の納経帳を西国の納経帳と一緒に出したら

 

 

 

オバハン「二階堂は行きはったの?」

 

ゲンさん「いや、これ頂いてから行きますが?」

 

オバハン「………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正直怒鳴ったろかな思いましたよ。

 

 

以下KOBANNAD心の叫び↓↓

『オイコラババア、そいつはワシと一緒に四国八十八だけやのうて別格も回って、カンカン照りの日も雨どころか台風の中でも冬のクソ寒い焼山寺ででも、本堂大師堂両方きっちりお勤めしてきたヤツじや!後ろに並んでるようなブームに流された腐れスタンプラリーの馬鹿共と一緒にさらすなボケがっ!』

 

 

 

 

 

 

 

って言いたいのをグッと堪えて

 

 

 

 

 

 

 

『アカン、アカン名古屋の姉上はここで満願なんや。場を乱したらアカン』

 

 

 

 

 

そう戒めて後ろに下がってみんなの納経が済むのを待ってたら…………

 

 

 

 

 

姉上の満願確認が無事終わって、

満願印を貰って、

 

先達申請をする際にさっきのオバハンが

 

 

「ここで書いて貰って、コピー取らせて貰ってそれからウチのお寺の判を押すから」

 

 

 

 

 

????????????

 

 

は?

 

 

アタシが満願の時の成相寺さまでは何もなく普通に先達申請書に判をついて頂いて、

 

 

「必要事項記入して郵送してね。」

 

 

だけで済んだぞ?

 

 

コピー?

 

 

 

聞いた事無いわ!

 

 

 

 

 

実際
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なんもそんなコピーだのどうだの書いて無いわな。

 

 

 

しかも姉上は印鑑持ってきて無いからって、受付すらして貰えなかったんです。

 

 

 

用紙だけ貰って、勝尾寺の判は無いまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁて、久しぶりにいこかな。

 

 

 

【寺燃やしたろかな思いましたわ!】

 

 

 

 

 

 

これやから西国の観光寺は糞丸出しなんや!

 

 

 

 

 

 

宣言します。

 

 

今やってる八角朱印終わったら中先達の申請して西国はもうホンマにやりません。

 

 

 

 

 

 

 

四国行くわ。

 

 

 

今日は時間無かったんで先達会のある紀三井寺に近々電話して聞いてみます。

 

 

 

 

 

 

姉上は勝尾寺で満願するって決めてたのに。

 

 

 

 

 

それが霊場会の取り決め通りなら印鑑無かったのも分かるんですが、勝尾寺の勝手なハウスルールなのか、それともこのオバハンの単独行動なのかはしれませんが。

 

 

 

 

 

言い様のない怒りがこみ上げてきましたよ、本当に。

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180508022710j:image八角朱印
f:id:KOBANNAD:20180508022721j:image法然上人霊場

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉上に申し訳ない気持ちいっぱいで、

最終目的地中山寺を目指す。

 

 

 

 

やたら混む道。

 

 

 

 

つい、ウトウトとwwwwwww

 

 

 

ゲンさんは頑張って運転wwwwwww

 

 

 

 

さすがやでぇwwwwwww

 

 

 

 

 

しかしいくらなんでも混み過ぎ。

 

 

中山寺近くのうどん屋の駐車場に車を停めて、

うどん屋に予約をしておく(並んでたしね)

 

 

 

 

 

 

 

門前あたりで、ガードマンのオッチャンに

 

 

 

「えらい混んでるね?」

ガードマン「今日、戌の日で大安ですやん、腹帯もらいに皆来とるんですわ、正直しんどいっすわ、最悪ですわw」

 

 

 

 

 

 

……………それ、お前言うたらアカンやろwwwwwww

 

 

 

 

 

 

どっかの先達の癖に「寺燃やす」言うアホと変わらんがなwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、西国霊場第24番札所

 【紫雲山 中山寺

 

 


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ウチのカーチャンはアタシ含め兄妹産む際中山さんで腹帯貰ってまして。

 

 

ゲンさんの名前は実は中山さんで付けて貰ったとか。

 

 

まあ二人はそういう理由で満願寺に中山さんを選んだそうです。

 

 

 

 

 

 

この日最後のお勤めをごった返す本堂脇で済ませ納経所へ。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20180508022836j:image八角朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

カーチャンもゲンさんも無事満願印を貰っていよいよ先達申請。

 

 

 

 

 

 

ほら、普通に判貰ってるやん。

成相さん時と同じやん。

 

 

 

 

 

姉上が納経所のおニイちゃんに話をする。

 

 

「それは……おかしい話ですね。ウチで良ければ判押させて頂きますよ。」

 

 

 

 

 

 

 

ありがたい。

 

これや、これがホンマの仏道やろ。

 

 

 

ホンマにありがたい話や。

 

南無大慈大悲観世音菩薩 

南無大慈大悲観世音菩薩

 

 

 

 

 

 

 

姉上「そういえばKOBAちゃんやゲンさんに出会ったのも宝塚だがや。中山さんも宝塚だがや。これもやっぱり縁なんだがや!」

 

 

 

 

 

って言って頂いたので正直ホッとしました。

 

 

 

 

 

 

で、うどん屋に戻ってみたら予約の順番飛ばされかけていたという危ない話。

 

 

あ、この店ね。エエ加減な店やわw

https://www.google.com/amp/s/s.tabelog.com/hyogo/A2803/A280303/28005940/top_amp/

 

 

 

 

少しヤカラかましてうどんを注文。

 

GW最終日やし、さっきのガードマンの話もあるけど混んでる混んでる。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20180507210730j:imageうどん待ってる間に先達申請書を持って記念撮影!


 

 

 

 

 

 

今日だけはゲンさんのドヤ顔も許してやって下さいwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこうしてなんやかんやと30分以上かかって注文した品物がそろう。

 

 

……………冷たいうどんがぬるい時点でもう終わってるよね。

 

 

正直食う価値も無い。

 

 

 

まぁ満願の祝いの席でキレるのもなんなので、

全員先に車に戻って頂いてから、

 

 

 

 

会計時に他の客に聞こえるくらいの大声で

 

 

 

 

 

 

「なんやこの店、散々待たせた挙げ句冷たいうどん注文したのに間延びしたぬっるいクソ不味いもんよこしやがって。こんなんでようえらっそうに商売しとんな!」

 

 

 

 

 

 

と、本日1日の怒りを抑えていた分全てぶつけて帰ってまいりましたwwwwwww

 

 

 

 

もう一回言います、

https://www.google.com/amp/s/s.tabelog.com/hyogo/A2803/A280303/28005940/top_amp/

この店です、ふざけてます。

 

 

 

 

 

 

 

 

天王寺の仙福南陽堂さまに少し寄って、

姉上が数珠入れとか買って。

 

 

 

 

 

 

 

そっからカーチャン送って荷物置いてこさせて、

アタシとゲンさんも一端荷物をそれぞれの自宅に置いて、

 

レンタカーも返して、

 

 

地下鉄でなんばに向かい。

 

 

 

地下鉄の車内で本日のレンタカー代やら拝観料やら駐車場料金やら精算するという暴挙をかまして。

 

 

 

改めて

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雨のパラつく中かどやで乾杯。

満願してまたアメフラシパワーが上がったのかwwwwwww

 

 

 

 

色々ありましたがまぁなんとか無事みんな満願出来ました。

 

 

 

ただ、勝尾寺と中山門前のうどん屋。

お前ら絶対に許さへん!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

………ってゲンさんが言ってた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて本日最後に

 

 


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タイトル『機密文書を盗んだ指名手配犯』

 

 

 

 

 

お後がよろしいようでwwwwwww