初めての本四国結願→満願2017年11月12日

前のブログにも書きました。

もちろんタイトルにも書きました。

 

今年1月からアタシと中村ゲンゲンの二人で始めた四国霊場八十八ヶ所巡り、

通称お遍路を色々ありましたが無事一周することが出来ました。

 

 

四国は1番~88番を巡って一巡することを「結願」といいます。

 

そこからさらに1番に戻って一周して「満願」と言うのが普通でして。

 

 

西国のように1~33番で「満願」というのではないのです。

 

 

 

 

こないだ9日の木曜日。

オカンの知り合いの鹿児島出身の方で、ウチの店によく来られるお客様がおられるんですが、

その方が会社の新しい方を連れて来て下さいまして。

 

その新しい方ってのが愛媛の宇和島の出身で。

 

これは何かの縁なのか、と。

 

 

 

 

 

 

 

「いつまであそんどんねん、はよ来んかい!」

 
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おぉ、お大師さまが呼んではるでぇ!

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜中もう後2日しかない状態で仕事終わったゲンゲンを呼び出して、レンタカーを手配。

 

急遽プランを立てて。

 

 

 

 

 

運命の日11月12日を迎えたのです(^q^)

 

 

 

 

 

前回台風で通行止めだった屋島ドライブウェイ。

 

 

祈るような気持ちで坂道を登る…………………

 

………………

 

……………

 

…………

 

………

 

 

!!

 


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おぉ!通行可を示す青ランプが!

 

 


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屋島の戦い、か。

 

 

 

 

 


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 那須与一が「南無八幡大菩薩」って唱えて扇を弓で打ち落としたアレやな。

 

 
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f:id:KOBANNAD:20171113213659j:image途中土砂崩れでまだ一車線規制は行われてましたが行けました。

 

 

 

 

そして山上駐車場に車を置いて、

 

 

 

 

 

 本四国第84番札所 屋島寺


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いつもよりなんだか緊張してたのか、

一連の動きがゆったりと流れてるような気がして、

ゆったりとお経も上げて。

 

 

 

 

 

頂きました、本四国88個目最後の納経印。

 
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感無量( ノД`)…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、二人は88番札所 結願札所大窪寺へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、本四国の結願証です。

 

 

 

 
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感無量( ノД`)…再び

 

 

 

 

 

 

 

そして念願の

 

 

 

 

 

 
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結願まんじゅうwwwwwww


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結願だんごwwwwwww


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結願せんべいwwwwwww

 

 

 

 

 

門前の八十八庵(やそばあん)様で

 


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f:id:KOBANNAD:20171113220839j:image香川オリーブ牛入り名物打ち込みうどん(写真は二人前)

 

頂きました!

 

 

素朴な味で身体にも心にも沁みました!

ただこのデブ遍路二人には量が足りないwwwwwww

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171113221044j:imageお店の中はこんな感じ

 
f:id:KOBANNAD:20171119220357j:imageお土産も買えるよー!

すだち七味最高!

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171113221130j:imageゲンゲン「やっとやー、やっと食えるー!」みたいなwwwwwww

 

 

 

 

 

 

で、一路徳島へ。

 

3月の火災でお参り出来ていなかった別格霊場第2番札所 童学寺さま。

 

 

 
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燃え盛る本堂からご本尊を抱き抱え守り飛び出してきたご住職には頭が下がります。

不惜身命の心ですね。

 

 

完全に本堂は無くなっていました、今は再建の為に寄進を募っておられます。

 

 

 

わずかばかりですが我々もご協力申し上げようと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

そして、本四国第1番札所 霊山寺へ。

 

約11ヶ月ぶりですか。

 
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こちらが、【満願証】です。

 

 
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前回頂きました

四国別格二十霊場満願証】が、こちら

 

 


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昔は四国を一巡することもなく無くなられた遍路も数多くおられたのだとか。

 

 

 

我々は無事1度目の満願を迎える事が出来ました。(免停食らったヤツが居たのも今となっては笑い話)

 

 

 

 

 

 

本当にありがたい話です。

 

 

 

年があけて少し落ち着いたら私は2巡目の遍路に出ます、歩きをメインで。

ゲンゲンは来年は西国に集中するそうです。

 

 

 

 

 

まぁ正直ゲンゲン居なかったら満願出来なかったのは事実ですからこの場を借りて礼を言います。

 

 

 

ゲンゲンありがとう。

 

色々相談乗って教えてくれたオカンもありがとう。

 

実は四国始めるまで知らなかったんやけど、死んだウチのばあちゃんは赤札持ってたらしいから最低5周はしてたんやなぁ。

 

ばあちゃん見守ってくれてたんやろ?ありがとう。

 

いっぽ一歩堂の店長さんもありがとう。

 

四国行く言うても嫌な顔せんといつも送り出してくれたウチの社長にありがとう。

 

各札所の方々、四国の皆さん本当にありがとう。

 

このブログを見て下さった皆さんも本当にありがとうございます。

 

 

 

ここからがホンマのスタートやと思ってます、これからも宜しくお願い致します。

西国三十三観音2巡目 開始


昨日2017年11月12日

私KOBANNADと西宮の肉貴族中村ゲンゲンはぶじ、四国八十八ヶ所通称お遍路を結願→満願いたしました。

 

 

その模様はまた次のブログにて書きます。

 

まず今回は先月10月30日のお話。

 

 

 

 

 

 

29日に四国を満願して、気持ち良くタイトル通り2巡目の西国を開始して先達デビューするつもりが、

屋島ドライブウェイ閉鎖という憂き目に会いそれも叶わず。

 

正直普段よりも3倍近い疲労感の中。

 

 

遍路の後、約5時間くらいの睡眠で京都駅へ。

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20171113183709j:image待ち合わせ時間より一時間以上早く着いたアタシが向かったのは京都駅構内の立ち食いうどんの店。

 


f:id:KOBANNAD:20171113183834j:image九条ネギそばを食べたかったのだ。

 

 

 

実はこの日は先日珍しく病気で入院なんぞをかまして、

行くはずだった西国バスツアーに行けなかった名古屋の赤味噌姉上ことDJきゃんで様と、

京都の西国霊場巡りを。

 

 

 

 

んで、姉上と合流。

そのままJRで山科へ。

 

駅前からタクシーで一路別格元慶寺へ。

 

姉上と一緒に一連の参拝の流れをとり、

読経。

 

 

さすがバスツアーとはいえ先達に付いて回ってるからでしょうか、一通りの観音霊場のお作法はきちんと出来てはりました。

 

 

むしろこちらがデビューしたての新米先達なので軽く緊張してしまいますわwwwwwww

 

 

 

お寺でも神社でもそうなんですが、

お作法ってのは「上手くやろう」とするより

「絶対にしちゃいけない事をしない」

って事の方が遥かに大切です。

 

 

私のブログにも何度か書いてますが、下手でも一所懸命お経は上げないといけません。

 

お経も上げずに【納経】として納経印だけ貰うことに少なくとも私は意味があるとは思えないです。

 

心を込めて自分の宗派の真言かご本尊の真言を唱えるだけでも良いと思います。

 

賽銭入れててめぇの願いだけ聞いてもらってあまつさえ経も上げずに納経印だけ貰おうなんて………どない思います?

 

 

御朱印ブームは良いんですけどね、今の世の中神仏になかなか若い人は触れる機会が少ないでしょうから。

ただ門戸を広げるだけでマナーを教えないのは、

観光客だけ誘致してほったらかしのバカな外務省の政策と同じじゃねぇかな。

 

 

 

閑話休題

 

 

前回1巡目の折、こちらでカラーの御影を頂くのを忘れていたので今回は忘れてずにもらってきました。

 

 

 

そこからタクシー飛ばして、

御寺 泉涌寺へ。

 

 

洛陽33観音霊場のひとつ楊貴妃観音さまの奉られているお寺であり、

歴代陛下の御陵を管理する月輪事務所も敷地内にはあり、

西国三十三観音霊場第15番札所今熊野観音寺も敷地内にはある広大なお寺です。

 

詳しくは過去ブログを↓↓

http://kobannad.hatenablog.com/entry/2017/02/13/051742

 

 

 

泉涌寺では姉上が御朱印帳買ってましたねぇ。

3種類あるんですが、アタシが何も言ってもないのにオカンと同じの選んでたのは少し笑えましたw

 

そのまま今熊野観音寺にもおまいりして。

 

 

今熊野さんでは本堂の中まで上がらせて頂いてご本尊の前でお経を上げさせて頂きました!

 

これはダンタイサンのバスツアーではまず出来ない事です。

姉上ははじめ

「そんな事してもかまわんのだがや?(名古屋に対する勝手なイメージ)」

みたいな顔してましたが、アタシが

「せっかく空いてるんやから少しでもご本尊さまの近くに行かせて頂きましょう」

と言ったら喜ばれたようで。

 

 

 

個人参拝には個人参拝のメリットというのも多々ありますから。

 

 

バスツアーやってたらまず納経所の方と触れあう事は無いです。

 

笈摺投げられたりムカつくこと言われたりすることも無いでしょうけど、

それ以上に素晴らしい出会いもお言葉も頂く事も無いですね。

 

 

 西国は確かに観光寺多いけど、中には本当に素晴らしいお寺もありますしね。

 

 

 

 

で、更に近距離をタクシーブッ飛ばして

西国三十三観音霊場第16番札所

舞台で有名な 音羽山 清水寺

 


f:id:KOBANNAD:20171113195221j:image相変わらず舞台は工事中でしたが。

 

 

こちらではわざと姉上ひとりでお経を上げる練習を。

 

 

うむ、普通に全く問題なく出来てます。

別にこれやとアタシごとき新米先達必要ないなwwwwwww

 

ま、先達が付いていくと御詠歌が頂けるのでその特典くらいかしらwwwwwww


f:id:KOBANNAD:20171113201435j:imageこれね。

 

 

 

 

 

清水寺を三年坂→二寧坂と下って、

 

ちょっと路地を間違えたりして、

 

姉上が靴ヒモ直したりして


f:id:KOBANNAD:20171113201658j:image自称 石原裕次郎w


f:id:KOBANNAD:20171113202315j:image参考画像貼っておきますねw

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場第17番札所

六波羅蜜寺

の手前で盗撮ふぢえさん


f:id:KOBANNAD:20171113202420j:image建物の壁に直接書かれた

六波羅蜜寺の文字がいたくお気に入りだったそうだwwwwwww

 

 

こちらも本堂でわざわざ椅子をお借りしての読経。

 

姉上にはツアーじゃ出来ない個人巡礼をとことん楽しんで貰います。

 

そういう先達が居ても良いんです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのまま一路、帆布で有名な一澤帆布に向かう途中八坂神社の前に

 

 

ちょっと前にオープンした姉上の職場の系列店のマハラジャ祇園の前を【素通り】w

 

いや、だってまだ開いてなかったしwwwwwww

 

 

マハラジャ祇園↓↓

http://201707181418047026574.onamae.jp/

 

 

 

 

で、一澤帆布さんへ。

 

アタシですら欲しいと思うかばんちゃんがいっぱいあるのだ。

 

一澤帆布さん↓↓

http://www.ichizawa.co.jp/

 

 

 

 

 

 

一澤帆布さんの北側の路地を入った所にあります、【田中漬物舗】さんにも寄りました。

 

 

ここの【なにこれ漬】が最高やねん(^q^)

 

 

 

マジ美味いから。

https://www.tanakatsukemono.com/

 

 

 

 

 

その後阪急に乗り、高槻に。

辻本清美の悪口を言いながら、

 

西国三十三観音霊場第22番札所 総持寺へ。

 

 

 

 

偶然居合わせた西国の中先達さん。

普通に観音霊場のお作法で。当たり前かw

 

 

 

それとは別におそらく檀家さんであろう真言宗の方。

総持寺さんは真言宗ですからね。

つまり本四国と同じ作法です。

それに更に御詠歌まで上げてはりました。

節回しがものすごく上手な方で少し聞き入ってしまいました。

 

 

 

ううん、まだまだ勉強やなぁ。

 

 

 

 

 

こちらの納経所で若いお坊さんに

コバ「新米ホヤホヤの先達ですねん」

言うたら

お坊さん「皆さんはじめはみんな新米ですよ、そこから観音さまと一緒に功徳を積み上げて立派な先達さんになっていかれますから」

ってありがたい基本中の基本、一番の根本をまた教えて頂きました。

 

 

 

 

 

 

そこから姉上をウチの店で晩御飯withウチのオカン&遅れてきたゲンゲン

 

 

眠かったけど楽しい1日でしたw

2017年10月のお遍路 その2(別格3番慈眼寺~88番大窪寺)



いやはやもう11月も半ば近くですね。

 

2週間近くブログ更新が開いてしまいました。

 

 

数少ない愛読者の皆様申し訳ありませんでした。

 

 

 

 

10月は29日のお話です。

 

 

 

 

今回はウチのオカンも参加するということで、

ゲンゲンと三人で四国に行ってきました。

 

 

 

前回終了時、

残すは84番屋島寺から88番大窪寺

別格は3番慈眼寺と19番香西寺20番大瀧寺

合計8ケ寺。

 

 

 

今回でいよいよ結願。

 

 

 

そんな想いを胸に台風22号接近中の四国へ向かいました。

 

 

 

 

まずは別格霊場第3番札所 慈眼寺

 

 

穴禅定で有名なお寺です。

 

詳しくは↓↓↓

 

https://matome.naver.jp/m/odai/2145191148947300901

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111093152j:imageまだ雨は降ってませんでしたよ


f:id:KOBANNAD:20171111093201j:image大師堂&納経所&穴禅定受付


f:id:KOBANNAD:20171111093331j:image山道をひたすら登る


f:id:KOBANNAD:20171111093412j:image観音さまの門をくぐり


f:id:KOBANNAD:20171111093438j:image山道途中でお大師さまが迎えて下さいます。

 


f:id:KOBANNAD:20171111093513j:image本堂

 

 

 

もういきなりウチのオカンはバテてましたが、年寄り連れての山道はなかなか大変です。

 

 

 

 

お参りしてたらいきなり雨きました。

 

 

もうこの日夕方まで台風が過ぎるまでずっと雨wwwwwwwwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111093712j:image納経印

 

 

 

 

 

慈眼寺の途中に


f:id:KOBANNAD:20171111094046j:image灌頂ヶ滝といわれる滝がありました、

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて一路屋島のまだ先にある

別格霊場第19番札所 香西寺

 

 

 

実はウチのオカンは四国の別格を別のお友達と回ってまして18番までは終わってまして。

 

19番20番がまだやったんで今回参加という訳です。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111094015j:imageちょっと小降りになってましたがやはりあいにくのお天気。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111094258j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここでアタシが2週間もブログの更新が出来なかった理由。

 

 

実は、今回本四国結願出来なかったんです。

 

 

 

 

次に行く予定だった84番屋島寺へは車で行く為には【屋島ドライブウェイ】を通らなければいけないんですが、

それが前回の台風21号襲来時に土砂崩れがあり、片側一車線通行になってたそうです

(2017年11月11日現在もまだ片側一車線通行だそうです)

 

 

そこに台風22号が接近。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋島ドライブウェイは

【完全通行止め】

になっていました。

 

 

 

 

 

かなりショックでしてね。

 

 

 

 

とにかく今日中にいけるとこまで行こう!

別格だけでも満願するぞ!

 

 

 

無理やり気持ちを奮い起こして向かったのは

 

 

 

 

本四国第85番札所 八栗寺

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111095006j:imageに、向かうケーブルカー


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f:id:KOBANNAD:20171111095059j:image運転手さんは女性の方でした。

 

 

 

約4分で上まで上がって

 

 


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こちらは歩きで来るのと、ケーブルで来るのとでは山門が違います。

 

 

 

歩きで来ると

お迎え大師さまが迎えて頂けます。


f:id:KOBANNAD:20171111095414j:image天気悪過ぎw


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f:id:KOBANNAD:20171111095557j:image本堂



 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171111095621j:image納経印

 

 

 

 

 

帰りのケーブル乗り場にて、中先達の方とお話する機会がありまして

屋島寺はドライブウェイ以外はやはり歩きやないと上がれないそうです。

 

中先達さんもこの日屋島寺は諦めはったそうです。

 

 

 

 

 

 

次なるは本四国第86番札所 志度寺

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112003630j:image美しい庭園で有名なこのお寺も雨でびしょびしょ( ノД`)…
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ゲンゲンの靴はもはやずぶ濡れwwwwwww

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112003835j:image納経印

 

 

 

 

 

 

更に本四国第87番札所 長尾寺

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112003929j:image敷地も駐車場も広い!


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こちらの納経所でも屋島寺の話題。

 

「天候には、自然には勝てません。」

 

 ご住職の言葉が胸に痛い。

 

 

 

 

 

 

 

そして先日うかがった雲辺寺より更に高い所にあります、

四国霊場最高峰、八十八箇所総奥の院

別格霊場第20番札所 大瀧寺

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20171112004556j:imageムラサキシキブの花



 


f:id:KOBANNAD:20171112004625j:image納経所

 

 

 

これにて四国別格霊場満願です!

 


f:id:KOBANNAD:20171112004702j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

そしてまだまだ雨の中、

向かったのは

 

 

四国八十八箇所霊場結願所(満願出来てないけど)

第88番 大窪寺

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112004843j:image結願の文字が、悲しいなぁ。

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112005029j:image夢にまでみた山門…なのに。


f:id:KOBANNAD:20171112005044j:imageお大師さま、必ずまた伺います❗


f:id:KOBANNAD:20171112005116j:image杖を納めるとこです。今回はまだ納めませんでした。

 


f:id:KOBANNAD:20171112005209j:image本堂。

 

 

 

 

 

こちらの納経所でもやはりやはり屋島寺の話題。

 

「今日来られた方のほとんどが結願出来なかった方ばかりでした。でもこれも考え方によってはひとつの思い出かもしれません。」

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112005400j:image納経印

 

 

 

 

門前の売店のオヤジさんも、

「今日は皆さん屋島寺行けてはらへんかったみたいで、結願まんじゅうが売れないんですわ。」

 

 

まぁ、アタシも買わなかったです。

大窪寺せんべいは買いましたけど。

 

門前の八十八庵さんの打ち込みうどん楽しみにしてましたけど、次回にしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして大窪寺からの帰り道、

 


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白鳥温泉にてしばし休息。

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112011338j:image牛スタミナ焼肉定食&唐揚げwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後淡路島のPAで再び休憩、

 

 

大阪に帰ってオカンを途中まで送って

 

 

疲れ&ショックなゲンゲンがブチ切れ気味に

 

 

「コバさん!肉!肉行きましょ!」

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112012001j:imageステーキ似合うよなぁwwwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112012107j:imageちなみに二人とも1ポンドのイチボステーキを食いましたwwwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20171112012234j:image肉職人中村と呼んであげて下さいwwwwwww

 

 

 

 

ちなみに本日11月12日、屋島寺リベンジ行ってきます! 

 

西国三十三観音霊場 先達に

 

先日とうとう

 

 


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西国三十三観音霊場札所会さまより

 

私KOBANNAD先達認定頂きました。

 

 

 

 

身の引き締まる想いです。

 

まだまだ若輩者ですが、頑張ります!

 

 

皆さま宜しくお願い致します。

 

 

 

2017年10月のお遍路その1後編(第77番道隆寺~第83番一宮寺)

 

 

後半戦スタート!

 

 

 

かなりの雨の中(この日いちばんのピーク)


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本四国第77番札所 道隆寺

 

 

写メってる隙が無いくらいの雨。

こちらではこの1枚のみ。

残念です。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022123321j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 しかしやはり田舎なのか

 

雨でも車が少ないので道は凄くすいてるのよね。

 

 

って事でーとうつきー!

 

本四国第78番札所 郷照寺

 


f:id:KOBANNAD:20171022123507j:imageまた階段w


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f:id:KOBANNAD:20171022123551j:image大師堂は本堂から更に階段w

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022123630j:image納経印 達筆だわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつて平安末期、保元の乱でここ香川に流罪で流されてきた崇徳上皇ゆかりのお寺

 

 

百人一首にもありますね。

 

瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院

 

 

 

本四国第79番札所 天皇寺

 

 


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f:id:KOBANNAD:20171022123941j:imageアホ顔


崇徳陛下はアタシの下の名前と珍しい字が共通なので、

陛下の悲しい歴史もあり凄くここには来たかったのです。

 

 

 

 崇徳天皇(すとくてんのう、元永2年5月28日(1119年7月7日) - 長寛2年8月26日(1164年9月14日))は日本の第75代天皇(在位保安4年2月19日(1123年3月18日) - 永治元年12月7日(1142年1月5日))。譲位後は新院、 配流後は讃岐院とも呼ばれた。諱を顕仁(あきひと)という。

元永2年(1119年)5月28日に生まれ、6月19日に親王宣下を受ける。保安4年(1123年)正月28日に皇太子となり、同日、鳥羽天皇の譲位により践祚、2月19日に即位した。大治4年(1129年)、関白・藤原忠通の長女である藤原聖子(皇嘉門院)が入内する。同年7月7日、白河法皇が亡くなり鳥羽上皇院政を開始する。翌大治5年(1130年)、聖子は中宮に冊立された。天皇と聖子との夫婦仲は良好だったが子供は生まれず、保延6年(1140年)9月2日女房・兵衛佐局が天皇の第一皇子・重仁親王を産むと、聖子と忠通は不快感を抱いたという。保元の乱で忠通が崇徳上皇重仁親王を敵視したのもこれが原因と推察される。一方、この件があった後も崇徳上皇と聖子は保元の乱まで常に一緒に行動しており、基本的には円満な夫婦関係が続いたとみられている。

院政開始後の鳥羽上皇は藤原得子(美福門院)を寵愛して、永治元年(1141年)12月7日、崇徳天皇に譲位を迫り、得子所生の体仁親王を即位させた(近衛天皇)。体仁親王崇徳上皇中宮・藤原聖子の養子となっており、崇徳天皇とも養子関係にあったと考えられるため、「皇太子」のはずだったが、譲位の宣命には「皇太弟」と記されていた(『愚管抄』『今鏡』)。天皇が弟では将来の院政は不可能であり、崇徳上皇にとってこの譲位は大きな遺恨となった。崇徳上皇は鳥羽田中殿に移り、新院と呼ばれるようになった。

崇徳院は在位中から頻繁に歌会を催していたが、上皇になってからは和歌の世界に没頭し、『久安百首』を作成し『詞花和歌集』を撰集した。鳥羽法皇が和歌に熱心でなかったことから、当時の歌壇は崇徳院を中心に展開した。法皇も表向きは崇徳院に対して鷹揚な態度で接し、崇徳院の第一皇子である重仁親王を美福門院の養子に迎えた。これにより近衛天皇が継嗣のないまま崩御した場合には、重仁親王への皇位継承も可能となった。また、近衛天皇の朝覲行幸に際して、法皇は美福門院とともに上皇を臨席させ(『本朝世紀』)、上皇の后である聖子を母親として天皇と同居させるなど崇徳院を依然として天皇の父母もしくはそれに準じる存在と位置づけており、近衛天皇が健在だったこの時期においては、崇徳院鳥羽院政を支える存在とみなされ、両者の対立はまだ深刻な状況にはなかったとする説もある。

久寿2年(1155年)7月23日、病弱だった近衛天皇が17歳で崩御し、後継天皇を決める王者議定が開かれた。候補としては重仁親王が最有力だったが、美福門院のもう一人の養子である守仁親王(後の二条天皇)が即位するまでの中継ぎとして、その父の雅仁親王立太子しないまま29歳で即位することになった(後白河天皇)。鳥羽法皇や美福門院は、崇徳上皇に近い藤原頼長の呪詛により近衛天皇が死んだと信じていたといい(『台記』)、背景には崇徳院政によって自身が掣肘されることを危惧する美福門院、父・藤原忠実と弟・頼長との対立で苦境に陥り、兵衛佐局・重仁親王の件で崇徳上皇を良く思わない藤原忠通、雅仁親王の乳母の夫で権力の掌握を目指す信西らの策謀があったと推測される。また、守仁親王が直ちに即位した場合、その成人前に鳥羽法皇崩御した場合には唯一の院になる崇徳上皇治天の君となれる可能性があったが、父親でかつ成人している雅仁親王が即位したことでその可能性も否定された。これにより崇徳院政の望みは粉々に打ち砕かれた。
保元の乱
詳細は「保元の乱」を参照
保元元年(1156年)5月、鳥羽法皇が病に倒れ、7月2日申の刻(午後4時頃)に崩御した。崇徳院は臨終の直前に見舞いに訪れたが、対面はできなかった。『古事談』によれば、法皇は側近の葉室惟方に自身の遺体を崇徳院に見せないよう言い残したという。崇徳院は憤慨して鳥羽田中殿に引き返した。法皇崩御して程なく事態は急変する。7月5日、「上皇左府同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す」という噂が流され、法皇の初七日の7月8日には、藤原忠実・頼長が荘園から軍兵を集めることを停止する後白河天皇の御教書(綸旨)が諸国に下されると同時に、蔵人・高階俊成と源義朝の随兵が摂関家の正邸・東三条殿に乱入して邸宅を没官するに至った。これらの措置は、法皇の権威を盾に崇徳院藤原頼長を抑圧していた美福門院・藤原忠通・院近臣らによる先制攻撃と考えられる。

7月9日の夜中、崇徳院は少数の側近とともに鳥羽田中殿を脱出して、洛東白河にある統子内親王の御所に押し入った。『兵範記』同日条には「上下奇と成す、親疎知らず」とあり、子の重仁親王も同行しないなど、その行動は突発的で予想外のものだった。崇徳院に対する直接的な攻撃はなかったが、すでに世間には「上皇左府同心」の噂が流れており、鳥羽にそのまま留まっていれば拘束される危険もあったため脱出を決行したと思われる。

翌10日には、藤原頼長が宇治から上洛して白河北殿に入り、崇徳院の側近である藤原教長や平家弘・源為義平忠正などの武士が集結する。崇徳上皇方に参じた兵力は甚だ弱小であり、崇徳院は今は亡き平忠盛重仁親王の後見だったことから、忠盛の子・清盛が味方になることに一縷の望みをかけた。重仁親王の乳母・池禅尼上皇方の敗北を予測して、子の平頼盛に清盛と協力することを命じた(『愚管抄』)。後白河天皇方は、崇徳院の動きを「これ日来の風聞、すでに露顕する所なり」(『兵範記』7月10日条)として武士を動員し、11日未明、白河北殿へ夜襲をかける。白河北殿は炎上し、崇徳院は御所を脱出して行方をくらました。
讃岐配流
13日、逃亡していた崇徳院仁和寺に出頭し、同母弟の覚性法親王に取り成しを依頼する。しかし覚性が申し出を断ったため、崇徳院は寛遍法務の旧房に移り、源重成の監視下に置かれた。23日、崇徳院は武士数十人が囲んだ網代車に乗せられ、鳥羽から船で讃岐国へ下った。天皇もしくは上皇の配流は、藤原仲麻呂の乱における淳仁天皇淡路国配流以来、およそ400年ぶりの出来事だった。同行したのは寵妃の兵衛佐局と僅かな女房だけだった。その後、二度と京の地を踏むことはなく、8年後の長寛2年(1164年)8月26日、46歳で崩御した。一説には、京からの刺客である三木近安によって暗殺されたともされる。

 

配流先での生活
保元物語』によると、崇徳院讃岐国での軟禁生活の中で仏教に深く傾倒して極楽往生を願い、五部大乗経(『法華経』・『華厳経』・『涅槃経』・『大集経』・『大品般若経』)の写本作りに専念して(血で書いたか墨で書いたかは諸本で違いがある)、戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返してきた。これに激しく怒った崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向(えこう)す」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になったとされている。崩御するまで爪や髪は伸ばしたままであった。また崩御後、崇徳の棺から蓋を閉めてるのにも関わらず血が溢れてきたと言う。

一方『今鏡』「すべらぎの中第二 八重の潮路」では、「憂き世のあまりにや、御病ひも年に添へて重らせ給ひければ」と寂しい生活の中で悲しさの余り、病気も年々重くなっていったとは記されているものの、自らを配流した者への怒りや恨みといった話はない。また配流先で崇徳院が実際に詠んだ「思ひやれ 都はるかに おきつ波 立ちへだてたる こころぼそさを」(『風雅和歌集』)という歌を見ても、悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はない。承久の乱隠岐国に配流された後鳥羽上皇が、「われこそは にゐじま守よ 隠岐の海の あらきなみかぜ 心してふけ」(『遠島百首』)と怒りに満ちた歌を残しているのとは対照的である。

崇徳院は、配流先の讃岐鼓岡木ノ丸御所で国府役人の綾高遠の娘との間に1男1女をもうけている。

 

保元の乱終結してしばらくの間は、崇徳院は罪人として扱われた。それは後白河天皇方の勝利を高らかに宣言した宣命(『平安遺文』2848)にも表れている。崇徳院讃岐国崩御した際も、「太上皇無服仮乃儀(太上皇崇徳上皇)、服仮(服喪)の儀なし)」(『百錬抄』)と後白河院はその死を無視し、「付国司行彼葬礼、自公家無其沙汰(国司を付けてかの(崇徳上皇)の葬礼を行い、公家よりその沙汰なし)」(『皇代記』)とあるように国司によって葬礼が行われただけで、朝廷による措置はなかった。崇徳院を罪人とする朝廷の認識は、配流された藤原教長らが帰京を許され、藤原頼長の子の師長が後白河院の側近になっても変わることはなかった。当然、崇徳院の怨霊についても意識されることはなかった。

ところが安元3年(1177年)になると状況は一変する。この年は延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀が立て続けに起こり、社会の安定が崩れ長く続く動乱の始まりとなった。『愚昧記』安元3年5月9日条には「讃岐院ならびに宇治左府の事、沙汰あるべしと云々。これ近日天下の悪事彼の人等所為の由疑いあり」とあり、以降、崇徳院の怨霊に関する記事が貴族の日記に頻出するようになる。『愚昧記』5月13日条によると、すでに前年には崇徳院藤原頼長の怨霊が問題になっていたという。安元2年(1176年)は建春門院・高松院・六条院・九条院が相次いで死去している。後白河や忠通に近い人々が相次いで死去したことで、崇徳や頼長の怨霊が意識され始め、翌年の大事件続発がそれに拍車をかけたと思われる。崇徳の怨霊については、『吉記』寿永3年(1184年)4月15日条に藤原教長崇徳院と頼長の悪霊を神霊として祀るべきと主張していたことが記されており、かつての側近である教長がその形成に深く関わっていたと見られる。精神的に追い詰められた後白河院は怨霊鎮魂のため保元の宣命を破却し、8月3日には「讃岐院」の院号が「崇徳院」に改められ、頼長には正一位太政大臣が追贈された(『百錬抄』)。

寿永3年(1184年)4月15日には保元の乱の古戦場である春日河原に「崇徳院廟」(のちの粟田宮)が設置された。この廟は応仁の乱後に衰微して天文年間に平野社に統合された。また崩御の直後に地元の人達によって御陵の近くに建てられた頓証寺(現在の白峯寺)に対しても官の保護が与えられたとされている。

怨霊としての崇徳院のイメージは定着し、近世の文学作品である『雨月物語』(「白峯」)、『椿説弓張月』などにおいても怨霊として描かれ、現代においても様々な作品において怨霊のモチーフとして使われることも多い。

その一方で後世には、四国全体の守り神であるという伝説も現われるようになる。承久の乱土佐国に流された土御門上皇後白河院の曾孫)が途中で崇徳天皇の御陵の近くを通った際にその霊を慰めるために琵琶を弾いたところ、夢に崇徳天皇が現われて上皇と都に残してきた家族の守護を約束した。その後、上皇の遺児であった後嵯峨天皇鎌倉幕府の推挙により皇位に就いたとされている。また、室町幕府管領であった細川頼之が四国の守護となった際に崇徳天皇の菩提を弔ってから四国平定に乗り出して成功して以後、細川氏代々の守護神として崇敬されたと言われている(ともに『金毘羅参詣名所図会』・『白峰寺縁起』)。

明治天皇は慶応4年(1868年)8月18日に自らの即位の礼を執り行うに際して勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建した。

昭和天皇崇徳天皇八百年祭に当たる昭和39年(1964年)に、香川県坂出市崇徳天皇陵に勅使を遣わして式年祭を執り行わせている。(Wikipediaより)

 

 
f:id:KOBANNAD:20171022124801j:image納経印

 

 

 

 

 

少し順番を替えて

 

本四国第81番札所 白峯寺

 

 

 


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 崇徳陛下の御陵はこちらに隣接されています。

 

四国に唯一ある天皇陛下の御陵だそうです。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022125558j:image納経印

 

 

しかし崇徳陛下の御加護があったのか、この2ヶ寺参拝の間はほとんど雨が降らなかったです。

 

 

そういえばこちらの住職さまに

「先達さんではないんですね、どちらかの講にでも入られてますか?」

 

 

あ、講ってのは講とか講社といってお参りのグループの事ですね。
大師講とかね。

 

 

「いえいえ、今年から四国始めさせて頂いたばかりの駆け出し者ですよ。」

 

「えぇ、そんな風には見えませんよ。なんか雰囲気が違いますよ。」

 

「そうですか?」

 

「普段は何をされてるんですか?」

 

「料理人です、色んな物の生命を奪って生業にしてる罪深い仕事です。色んな想いがありますが、ひとつは今まで使ってきた食材の生命に対する懺悔もあって遍路させてもろてます」

 

「うんうん、なるほど。そういう事かぁ。」

 

「??」

 

 

 

 

多分誉められたんだと思う、そういう事にして感謝の気持ちを常に持っておこう。

 

崇徳陛下から賜ったご縁だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 って言ってたらかなりの雨。

 そして遭遇するバスツアー。

 

 

 

本四国第82番札所 根香寺

 

 

 

 

 

 


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マジで雨シャレならん( *・ω・)
名古屋自重汁wwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022125912j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

運転席から

「腹減りましたね、コバさん」

 

 

 

仕方ないので

再びうどんたいむ!こがね製麺所

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022130015j:imageゲンゲンはチーズ釜玉うどんと肉ぶっかけ

カロリーとか考えるスペースが脳に無いみたいですなw

 


f:id:KOBANNAD:20171022130028j:imageって文句良いながらゲンゲンより食う俺w

 

 

 

 

 

 

そして向かいます

 

本四国第80番札所 讃岐国分寺

 

 

 

 

 


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これで四国にある4つの国分寺全て回ったって事ですな。

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022130338j:image納経印

  なんか可愛い。

 

 

 

 

本当はここで終了予定だったんですが、時間的にもう1ヶ寺いけそうだったので、

 

 

 

本四国第83番札所 一宮寺

 


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f:id:KOBANNAD:20171022130548j:image納経印

 

 

 

 

 

 

じゃあこのまま84番屋島寺も行っちゃえーってばかりに向かったんですが、

 

渋滞に巻き込まれて無事タイムアウトwwwwwww

 

 

 

 

 

 

そこからはいつも通り

 

今回は仏木山温泉


f:id:KOBANNAD:20171022130747j:imageキレイで良い湯やったんすけど、

 

バカな親と躾の出来てないクソガキはどこでも迷惑以外の何者でもないなぁ、と。

 

 

 

 

 

帰り道は津田の松原SAで買い物→淡路南PAで仮眠→西宮で焼肉

 


f:id:KOBANNAD:20171022131006j:image多分西宮でいちばん焼肉が似合う男。

 

 

 

 

 

今回もありがとうございました。

 

 

 

 

次回29日でいよいよ結願予定です。

 

 

 

 

 

 

 

ゲンゲン「俺、結願したら彼女にプロポーズしようと思うんだ」

 

脂肪……じゃなくて死亡フラグ立てるなよwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年10月のお遍路その1前編(第71番弥谷寺~別格18番海岸寺)

 

 

秋の長雨と申しまして、だんだん寒くなってきます今日この頃皆様体調等は如何でしょうか?

衆議院選挙は期日前に投票を済ませてまいりましたアタクシKOBANNADです。

 

 

こないだの15日に相棒中村ゲンゲンといつもの如く四国にお遍路に行ってまいりました。

 

 

今回はなんと史上最多15ヶ寺回ってまいりましたので、前後編の二本立てでお送りしようと思います。

 

 

 

 

 

香川県に入り、出発時刻がかなりゆっくりで良いようになりました。

足摺岬とか行くなら夜中1時出発でも納経所の開門時間に間に合わなかったのに。

 

今回は3:30の出発でした。

 

 

 

いつもなら板野インターで徳島道に向かう行程が、そのまま高松道をひた走る。

 

 

今回のスタートは

 

 

 

 

本四国第71番札所  弥谷寺
f:id:KOBANNAD:20171022062731j:image朝イチ御一人で回ってるおばあちゃんお遍路さんにご挨拶をして、山道&階段を進む。
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f:id:KOBANNAD:20171022062903j:imageのっけから階段なんと530段w


f:id:KOBANNAD:20171022062946j:image修行大師さま

 

こちらのお寺は530段の階段を登ったところに本堂があり、大師堂は再び戻って下りてきます。

 

 

 

大師堂は堂内にて参拝させて頂けます。


f:id:KOBANNAD:20171022063216j:image納経もこちらで。

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022063250j:image納経印

 

ちなみに大師堂に菅笠を忘れて途中から取りに戻ったのはナイショwwwwwww

 

雨やから滑らないように階段登り降りしてると不必要に力が入って足痛い痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから順番を変えて

本四国第73番出釈迦寺

 


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f:id:KOBANNAD:20171022063810j:image修行大師さまが2体も!

 


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徐々に徐々に雨は降ってきます。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022063936j:image納経印

 

 

 

 

 

そこから少し下った所にある

本四国72番札所 曼荼羅寺

 

 


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こちらで、弥谷寺で朝イチお会いしたおばあちゃんに再び遭遇。

 

 

 

 

「お兄ちゃんら上(出釈迦寺)はもう済ませたの?」

「はい、空いてましたよ。」

「若いなぁ、頑張って回ってね。」

「はい、ありがとうございます、お母さんも気をつけて回って下さい。」

 

 

 

 

こういうお遍路同士のやりとりがやっぱり楽しい。

四国ならではですよ。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022064556j:image納経印

 

 

 

 

 

 

んでもって、

 

本四国第74番札所 甲山寺

 


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こちらの手水場は水道の蛇口が付いてまして、自分で水を出すんですが。

その竹筒の中からゲンゲンが水道をひねったとたんに、

竹筒の中で寝てたのであろうアマガエルが一匹ピョコンとwwwwwww

 

しかもゲンゲンは私が言うまで気づいていなかったとwwwwwww

 

 

 

 

 

蛙との出会いもこれまた一興。

 

「無事帰る」

 

そういう意味にとらえて、前向きに前向きに一歩一歩進んで行こう。

こういうのも遍路の醍醐味です。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022065142j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

更に雨は強くなる気配

 

本四国第75番札所
真言宗十八本山第1番札所 善通寺へ。

 


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広いわ!

 

 


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実は私KOBANNAD今回こちらに来るまでに人生初の写経をしまして。

 


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善通寺さまに納めるつもりで持ってきてたので、本堂と大師堂に納めてまいりました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20171022074930j:image真言宗十八本山納経印

 

 

 

 

 

 

そこから南下して、お大師さまがひらかれた

満濃池


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満濃池のほとりに

 

別格霊場第17番札所 神野寺

 


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f:id:KOBANNAD:20171022075237j:imageお寺の高台には満濃池を見下ろすように大きなお大師さまの像が。

 

 

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20171022075350j:image納経印

 

 

 

 

 

車を再び善通寺方面に走らせ

 

お腹のすいたデブ遍路2名は、うどんの銘店

【山下うどん】へ

 

 


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ここはぶっかけうどんの発祥とされています


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うどん&おでん&チラシ寿司頂きました!

 

 

 

 

そこから前々回に立ち寄った【うどん香の香】のほんとすぐ近くにあります

 

本四国第76番札所 金倉寺

 

 

 


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なんか金箔を貼ったお大師さまの像があって少し引いたのはナイショw

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171022075946j:image納経印

 

 

 

 

雨は更に更に強くなります。

 

 

 

一路瀬戸内海方面へ北上します。

 

 

 

別格霊場第18番札所 海岸寺


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こちらは本堂と大師堂が離れた場所にあることで有名です。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20171022075330j:image納経印

 

 

 

 

 

 

キートン山田「後半へ続く」

神無月の京都

夏アニメも大抵終わり、ボチボチ秋アニメが始まりますね。

 

夜はもう肌寒いくらいですが、日中はまだ若干暑さを感じる今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか、KOBANNADです。

 

 

 

10月ですねぇー、いわゆる神無月。

今月25日はアタシの43回目の誕生日( *・ω・)

ちなみに誕生日プレゼントは365日24時間いつでも何回でも受け付けておりますので、金目のモノを宜しくお願い致します(巡礼ブログ書いてるヤツのセリフじゃねぇな)

 

 

 

 

 

閑話休題

先日1日の日曜日は前日が月末棚卸しだの月締め業務があったりしまして。

帰って風呂に入った時点で夜中3時。

 

 

なのに4時間後の7:30頃には家を出発して、

京橋から京阪乗って一路京都へ。

 

 

まずは

洛陽三十三観音霊場第17番札所

蓮華王院・三十三間堂

 

 



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三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都府京都市東山区にある寺院の仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で蓮華王院は千手観音の別称蓮華王に由来する。

 

この地には、もともと後白河上皇離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

上皇平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。創建当時は五重塔なども建つ本格的な寺院であったが、建長元年(1249年)の火災で焼失した。文永3年(1266年)に本堂のみが再建されている。現在「三十三間堂」と称される堂がそれであり、当時は朱塗りの外装で、内装も極彩色で飾られていたという。建築様式は和様に属する。

桃山時代には、豊臣秀吉の東山大仏(方広寺)造営により、三十三間堂もその境内に含まれ、周囲の土塀や門などが整備された(『伽藍』の項参照)。

三十三間堂」の名称は、間面記法による表記「三十三間四面」(#構造)に由来する。「33」は観音に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからである。

江戸時代には各藩の弓術家により本堂西軒下(長さ約121m)で矢を射る「通し矢」の舞台となった。縁の北端に的を置き、縁の南端から軒天井に当たらぬよう矢を射抜くのである(右上浮世絵画像参照)。「通し矢」の名もこの「軒下を通す」ということからきている。強弓を強く射なければ到底軒下を射通すことができない。それゆえ弓術家の名誉となったのである。その伝統に因み、現在は「楊枝のお加持」大法要と同日(1月中旬)に、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われる。弓道をたしなむ新成人参加者が振袖袴姿で行射する場面は、しばしばニュース番組等で取り上げられる。一般的には「通し矢」と呼ばれているが、60mは弓道競技の「遠的」の射程であり、軒高による制限もないから、かつての通し矢とはまったく違うものである。

三十三間堂について次のような伝承がある。後白河上皇は長年頭痛に悩まされていた。熊野参詣の折にその旨を祈願すると、熊野権現から「洛陽因幡堂の薬師如来に祈れ」とお告げがあった。そこで因幡堂に参詣すると、上皇の夢に僧が現れ「上皇の前世は熊野の蓮華坊という僧侶で、仏道修行の功徳によって天皇に生まれ変わった。しかし、その蓮華坊の髑髏が岩田川の底に沈んでいて、その目穴から柳が生え、風が吹くと髑髏が動くので上皇の頭が痛むのである」と告げた。上皇が岩田川(現在の富田川)を調べさせるとお告げの通りであったので、三十三間堂の千手観音の中に髑髏を納め、柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったという。「蓮華王院」という名前は前世の蓮華坊の名から取ったものであるという。この伝承により「頭痛封じの寺」として崇敬を受けるようになり、「頭痛山平癒寺」と俗称された。

なお、これより前、後白河上皇の父・鳥羽上皇平清盛の父の平忠盛の寄進により、鴨東白河に聖観音をまつる得長寿院千体堂(三十三間堂、文治地震で倒壊したとされる)を営んでいる。2人の上皇がいずれも平氏の棟梁の寄進により寺院を造営していることは、平氏隆盛の一因として留意する必要がある。Wikipediaより

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171003100936j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから少し歩いて

 

真言宗智山派総本山

真言宗十八本山第7番札所    智積院

 

 


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朝から行くと総本山とはいえほとんど人が居なくてここが京都やということさえ忘れるくらい凛とした雰囲気の中、

真言宗ですから本四国の作法に則ってお経を上げさせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 智積院(ちしゃくいん)は、京都市東山区にある真言宗智山派総本山の寺院である。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)という。本尊は金剛界大日如来、開基は玄宥である。智山派の大本山寺院としては、千葉県成田市成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院がある。寺紋は桔梗紋。

智積院の歴史は複雑で、紀州にあった大伝法院と、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係している。

智積院は、もともと紀州根来山(ねごろさん、現在の和歌山県岩出市)大伝法院(根来寺)の塔頭であった。大伝法院は真言宗の僧覚鑁が大治5年(1130年)、高野山に創建した寺院だが、教義上の対立から覚鑁高野山を去り、保延6年(1140年)、大伝法院を根来山に移して新義真言宗を打ち立てた。智積院南北朝時代、この大伝法院の塔頭として、真憲坊長盛という僧が建立したもので、根来山内の学問所であった。

近世に入って、根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで、全山炎上した。当時の根来山には2,000もの堂舎があったという。当時、智積院の住職であった玄宥は、根来攻めの始まる前に弟子たちを引きつれて寺を出、高野山に逃れた。玄宥は、新義真言宗の法灯を守るため智積院の再興を志したが、念願がかなわないまま十数年が過ぎた。

関ヶ原の戦い徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国神社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興した。さらに、三代目住職日誉の代、元和元年(1615年)に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大し、山号を現在も根来に名を残す山「五百佛山」、復興後の智積院の寺号を「根来寺」とした。

祥雲寺は、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松(棄丸)の菩提のため、天正19年(1591年)、妙心寺の僧・南化玄興を開山に招いて建立した寺であった。現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものであった。

この客殿は天和2年(1682年)の火災で全焼しているが、障壁画は大部分が助け出され、現存している。現存の障壁画の一部に不自然な継ぎ目があるのは、火災から救出されて残った画面を継ぎ合わせたためと推定されている。

近代に入って1947年にも火災があり、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失した。この時焼けた講堂は1995年に再建された。講堂再建に先だって、1992年に発掘調査が実施されたが、その結果、祥雲寺客殿の遺構が検出され、日本でも最大規模の壮大な客殿建築であったことがあらためて裏付けられた。Wikipediaより

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171003101648j:image納経印

 

そういえばこちらの納経所の寺男さんには

「朝からようお参りでした、ご苦労様でした、ありがとうございました。」

 

気持ちが良かった。

 

「いえいえ私も良いお参りさせて頂きました、こちらこそありがとうございました。」

 

お礼を述べてお寺を後に。

 

 

 

 

 

 

本日のいちばんの目的。

京都に来た理由。

 

 

実は以前華厳寺~名古屋に行って最後に万松寺で納経印頂いた時に二冊目の納経帳が終わってまして、

 

そこからは四国、西国の巡礼ばっかで三冊目の納経帳を作ってなかったのですよ。

 

 

で、色々とオリジナルご朱印帳を調べてこれにしよう!と思ったのが。

 

 

 

 


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こちら【六道珍皇寺】さま。

 

 

 

 

 

 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、ろくどうちんこうじ)は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。山号は大椿山。本尊は薬師如来。8月7日 - 10日の「六道詣り」、小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸で知られる。通称「六道さん」。この付近が「六道の辻」であるとされる。

 

この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている。

創建は延暦年間(782年〜805年)とされ、開基は、奈良の大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされる。異説として空海(「叡山記録」ほか)や小野篁(『伊呂波字類抄』『今昔物語集』)などとする説のほか、かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身であるともいう。さらに東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書(長保4年・1002年)には、珍皇寺は承和3年(836年)に山代淡海が創建したとある。

藤原道長の日記『御堂関白記』長保6年3月12日(1004年4月4日)条にある「珎光寺」は珍皇寺を指すとみなされる。近世の地誌類には「珍篁寺」と書かれることもあり、寺号は本来「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられている。珍皇寺には念仏寺、愛宕寺(おたぎでら)などの別称もあり、『伊呂波字類抄』『山城名跡巡行志』は、珍皇寺の別名を愛宕寺とするが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう。東山区松原通大和大路東入る弓矢町(珍皇寺の西方)には念仏寺という寺があったが、大正年間に右京区嵯峨鳥居本に移転した(愛宕念仏寺の項を参照)。

鎌倉時代までは東寺の末寺として多くの寺領と伽藍を有したが、南北朝時代以降、寺領の多くが建仁寺の所有に転じたことと戦乱により衰退し、中世後期の寺史はあきらかではない。貞治3年(1364年)、建仁寺から聞溪良聰が入寺して再興、この際に臨済宗に改められた。明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、明治43年(1910年)に独立した。Wikipediaより

 

 

 

 

 

 

 

こちらの閻魔堂にあります閻魔像が表紙に描かれた


f:id:KOBANNAD:20171003102845j:imageカッコいい!


f:id:KOBANNAD:20171003102909j:image納経印もカッコいい❗

 

 

 

 

ちょっとミーハーなご朱印ガール並みのノリで失礼いたしました(^q^)

 

 

 

 

 

そこから東へ向かい、高台寺の手前にあります

 

洛陽三十三観音霊場第9番札所 青龍寺

 


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青龍寺(せいりゅうじ)は、京都市の東山のふもと、高台寺の山門前、清水寺から八坂神社に通じる観光ルートの一角にある浄土宗の寺で、洛陽三十三所観音霊場第九番である。山号は見性山。本尊は聖観音菩薩。霊山道に面して(法観寺八坂の塔の北側)北向き簡素な寺門。くぐり戸を入ると、左手に西面して本堂がある。

当寺は、桓武天皇の勅命によって長岡京近郊に創建され、平安遷都により現在地に移された。昔から「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は、本堂正面に安置されており、身の丈約1メートル、細身の優雅な立ち姿である。寺伝によると、唐の徳宗皇帝から献上された伽羅木を、桓武天皇伝教大師最澄)に命じて彫刻された。

本堂前の小さな庭に、長さ1メートル、幅50センチほどの石が据えられている。法然の門弟・見仏が後白河天皇追善回願のため、法然を招いて六時礼讃を勤めたとき、同じく門弟の住蓮が鉦の代わりに叩いたという念仏石で、隕石との言い伝えもあり、名物となっている。大小二つあって、小さい方は本堂内に保存されており、打つとカーンと金属性の音がする。また、境内墓地には、勤王の志士・近藤正慎(義重)の墓がある。Wikipediaより

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171003103320j:image納経印

 

 

 

 

 

更に歩いて京阪祇園四条へ向かう道中に

 

 

洛陽三十三観音霊場第16番札所 仲源寺

 

 

 

 

 


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仲源寺(ちゅうげんじ)は、京都市東山区にある浄土宗の寺院。山号は寿福山。本尊は地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵とも称されて眼病に霊験があるとして信仰されている。また、観音堂の千手観音は洛陽三十三所観音霊場第十六番札所である。

 言い伝えによれば、この寺は平安時代中期の仏師定朝(?~1057年)が開山となって開かれたとも伝えられ、当初は四条橋の東北にあったとされる。鎌倉時代の1228年(安貞2年)鴨川が大雨で洪水となり、防鴨河使となった中原氏がこの地蔵尊に止雨を祈ったところ雨がやんで洪水も治まったことから、朝廷から「仲源寺」の寺号を下賜されたという。1585年(天正13年)現在の寺地へ移された。Wikipediaより

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20171003103653j:image納経印

 

 

 

 

 

 

京阪祇園四条駅から再び京橋に戻るんですが、

最近出来た京阪の特急の有料指定車両

プレミアムカー

とやらに乗ってみました。

 


f:id:KOBANNAD:20171003103836j:imageおぉ!カッコいい❗

 

 


f:id:KOBANNAD:20171003103903j:image中は広い&シートもゆったり

 


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リクライニング&スマホ充電出来るシート。

 

なんならスマホの充電器やブランケットまでレンタルしてくれます。

 

 

これで乗車券+500円(祇園四条~京橋)!

 

もう俺京都行く時ずっとコレにする!

 

 

ウザいのよ、チャンコロ観光客とかマナーの悪い連中とか。

京阪もなかなか客層タチ悪いの多いからねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはさておき

で、大阪帰って来て向かったのは

和宗総本山

新西国霊場第1番札所 

言わずと知れた 四天王寺

 

 


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f:id:KOBANNAD:20171003104540j:image納経印の取り扱い数がパネェw

  

 

 

今回は新西国の納経を頂きました。

 

 


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KOBANNADの納経帳のいちばん初めてのスタートはこちら四天王寺さまですからねぇ。

 

 

 

 

四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。山号は荒陵山(あらはかさん)、本尊は救世観音菩薩(くせかんのんぼさつ)である。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいう。

 

日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。

宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年に「和宗」の総本山として独立している。Wikipediaより 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

で、本日のもうひとつの大きな目的。

四天王寺さまの近くにあります

 

【仙福南陽堂】さんへ。

 

 
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こちらは西国、四国の巡礼用品もさることながら。

納経軸の表装で有名なお店です。

 

 

 

ウチのアルバイト(19歳元引きこもり)が来年から西国霊場巡礼始めるらしいので、

先達としては納経帳の1冊も買ってやろうかな、と。

 

 

何より自分が回ってる四国別格20霊場の数珠玉を表装してくれる店を探してたので。


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今月末で結願なので数珠玉持って来るから宜しくね、と奥様にお願いしてきました(^q^)

 

 

いっぽ一歩堂さま共々今後も色々とお世話になりそうですな。