西国三十三観音霊場巡礼記 1回目の満願 (第30番札所竹生島宝厳寺~第28番札所成相寺)

 

 

ドラクエ11表ボスを倒さずにメタキン狩りばっかりやって気づいたらLv85まで上がってしまったアタクシKOBANNADです。

 

 

 

 

それはさとておき、残す所西国も後、3ヶ寺(2017年8月13日現在)

 

お盆真っ只中の日曜日に行動するのは厳しいというか人が多いというか。

 

色々と懸念される事案はあれど、予定より一時間早めて行動。

 

5:00にレンタカーをゲンゲンが借りに行き、

5:30過ぎにオカンを乗せて、

 

 

車は一路琵琶湖のあります近江長浜の地へ。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170814053746j:image長浜城

今は歴史資料館になってるそうな。

 

 

 

そして一行は長浜港へ。

 


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長浜ー竹生島のフェリーに乗るのだ!

 

 

 

ちなみに西国三十三観音 第30番札所

竹生島 宝厳寺

は、琵琶湖に浮かぶ竹生島にあるのでフェリーじゃないと行けないのだwwwwwww

 

 

 

 

 

 

長浜港から片道約30分。


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f:id:KOBANNAD:20170814054315j:image見えてきました。

 

 

 

宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀県長浜市竹生島にある真言宗豊山派の寺院。山号を巌金山(がんこんさん)と称する。本尊は弁才天(観音堂本尊は千手観音)、開基(創立者)は行基とされる。西国三十三所観音霊場の第30番札所である。観音霊場であるとともに、弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天の1つにも数えられている(他の2つは厳島神社江島神社とされている)。

琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島に位置する。竹生島は周囲2キロメートル、面積0.14平方キロメートルほどの小島で、島の周囲は南東部にある船着き場を除いてほとんどが急な断崖になっている。島には宝厳寺と都久夫須麻神社の他にはみやげ物店が数軒あるだけで、文字通り信仰の島である。現在は宝厳寺と都久夫須麻神社という「寺」と「神社」に分かれているが、このように区別されるようになったのは、明治時代初期の神仏分離令以降のことであり、竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神ともいわれ、湖水を支配する神ともいわれるが、平安時代末期頃から、この神は仏教弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。近世には宝厳寺は観音と弁才天霊場として栄える一方で、都久夫須麻神社は宝厳寺と一体化し、寺と神社の区別はなくなっていた。

宝厳寺奈良時代聖武天皇の命により、僧・行基が開創したとされている。行基は出身地の河内国大阪府南部)を中心に多くの寺を建て、架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、民衆の絶大な支持を得ていたとされる僧であり、近畿一円に行基開創を伝える寺院は多い。宝厳寺の寺伝によれば神亀元年(724年)、行基竹生島を訪れ、弁才天を祀ったのが起源とされているが、承平元年(931年)成立の『竹生島縁起』には、行基の来島は天平10年(738年)で、小堂を建てて四天王を祀ったのが始まりという。同縁起によれば、天平勝宝5年(753年)、近江国浅井郡大領の浅井直馬養(あざいのあたいうまかい)という人物が、千手観音を造立して安置したとある。当初は本業寺(ほんごうじ)、のちに竹生島大神宮寺と称し、東大寺支配下にあったが、平安時代前期、10世紀頃から近江国の他の多くの寺院同様、比叡山延暦寺の傘下に入り、天台寺院となった。以降、島は天台宗の僧の修行の場となった。また、平安時代末期頃からは観音と弁才天信仰の島として栄えた。

中世以降、貞永元年(1232年)、享徳3年(1454年)、永禄元年(1558年)などに大火があったが、その都度復興している。永禄元年の大火後、慶長7年-8年(1602-1603年)、豊臣秀頼片桐且元に命じて伽藍を復興している。この際復興されたのが唐門、渡廊、観音堂、ならびに弁才天社(現・都久夫須麻神社本殿)である。唐門は豊国廟(京都東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門ともいい、元は大坂城の極楽橋の唐破風造部分であった可能性が指摘されている)を移築したものであり、都久夫須麻神社本殿は豊国廟あるいは伏見城の日暮御殿を移築したものとされる。

明治の神仏分離の際、時の政府は弁才天社を平安時代の『延喜式』に見える「都久夫須麻神社」という社名に変更することを強要し、仏教寺院としての宝厳寺は廃寺の危機を迎えるが、寺側は、弁才天仏教の仏であると主張して譲らなかった。結局、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離することになり、明治7年(1874年)に「寺」と「神社」の境界が決まり、明治16年(1883年)には寺の財産と神社の財産が区別されて今日に至っている。現状、宝厳寺と都久夫須麻神社は別法人であるが、宝厳寺観音堂と都久夫須麻神社本殿は渡廊で直接連絡しており、両者はもともと不可分の関係にあることがわかる。(Wikipediaより)

 

 

 


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島全体が宗教テーマパークって感じでしたね。

 

本堂が弁財天(神様)

西国三十三観音の観音堂があり(仏様)

神社があって

天狗堂があって

不動明王があって

修行大師像があって

竜神様の社があって

 

 

神仏集合まさに日本人の象徴とも言えるお寺&神社を擁するまさに島全体が聖地なんやなと。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170814055750j:image納経印

 

 

ちなみに本尊の弁財天の朱印も頂けます。

アタクシ今回西国の納経帳しか持って来てなかったんでまた次回(^q^)

 

 

 

 

ちなみに朝イチ臨時でフェリー一本増発したのに乗って往復したので(竹生島には最短80分くらい滞在出来る)、

予定より30分早く行動出来てた。

 

 

 

 

 

長浜から北陸道で一路福井県敦賀を経由して、

更に舞鶴若狭自動車道

 

 

そのまま舞鶴へ行って西国三十三観音第29番札所松尾寺!

 

って行く予定やったんですが、

 

 

 

 

 

 

「コバさん、無理っす腹減りました!」

 

 

 

 

のゲンゲンの一言で一旦小浜(前アメリカ大統領とは関係ない)で高速を降りて、

 

 

向かいますは

【若狭フィッシャーマンズワーフ】

 

 



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詳しくは

 

 http://www.wakasa-fishermans.com/

 

 

ここの寿司美味いのよ。

 

 

 

流石はお盆の真っ只中で人が溢れ返ってたので、寿司を買い込んで車の中で頂きました。

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170814061656j:imageちなみに写メ忘れたのでこれは2012年夏旅行の頃のヤツです。

 

 

 

 

お腹もふくれた一行は今度こそ

 

 

 


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西国三十三観音霊場 第29番札所

松尾寺!

 

 

 

 

松尾寺(まつのおでら)は、京都府舞鶴市にある真言宗醍醐派の寺院。西国三十三所第29番札所。

舞鶴市福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置する。

毎年5月8日に行われる仏舞は有名。本尊は馬頭観世音菩薩坐像。

寺伝によれば、中国から渡来した威光上人が慶雲5年(708年)ここに草庵を結び馬頭観音像を安置したのが創始とされている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170814062050j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして本日最後の目的地、

日本三景天橋立の近くにあります

 

 

西国三十三観音霊場第28番札所 成相寺へ。

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170814062341j:image宮津の海が見下ろせます。

 

 


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成相寺(なりあいじ)は、京都府宮津市にある寺院。山号は成相山西国三十三所第28番札所。本尊は聖観世音菩薩。真言宗単立。境内から日本三景のひとつ天橋立が一望できる。

寺伝によれば704年(慶雲元年)、真応上人の開基で、文武天皇勅願寺となったというが、中世以前の寺史は判然としない。2007年(平成19年)、高野山真言宗から独立し、真言宗単立寺院となった。

寺は天橋立を一望する成相山(569m)の山腹にあるが、創建時は山のさらに上方に位置し、修験の道場となっていた。現在地に移ったのは1400年(応永7年)の山崩れ以降である。山号は古くは「世野山」と称し、雪舟の『天橋立図』(京都国立博物館蔵、国宝)には、「世野山成相寺」の書き込みとともに当寺が描かれている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

そして、この成相寺をもって

 

 







 
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私、KOBANNAD西国三十三観音霊場巡礼無事今回初めての満願致しました!

 


f:id:KOBANNAD:20170814062919j:image拡大(^q^)

 

 

四国遍路より後に始めて先に終わったw

 

あ、当たり前かw

 

 

 

 

 

成相寺さまで、先達申請の推薦頂きました。

ありがとうございます。


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何よりゲンゲン今回も運転ありがとうご苦労様でした。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170814072035j:image散華も!

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170814072140j:image成相寺さんから山頂展望台に行けます。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170814072301j:image天橋立が見える!



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし今日偶然にも回らせて頂きました3ケ寺共に真言宗のお寺でした。

 

勿論西国なので各寺院の観音さまのお導きがあっての事なのは重々承知の上で申し上げますが、

やはり本四国遍路も巡礼させて頂いてる身としてはお大師さまのご縁を感じずにはいられないなぁと。

 

 

 

KOBANNADは修行大師さまの像がものすごく好きなんですね。

 


f:id:KOBANNAD:20170814064052j:imageこちらは前回伺った四国別格9番文殊院さまの修行大師像

 

 

 

 

友人達に今年から四国、西国を始めた話をすると

「なんで?」

と理由をよく聞かれます。

 

 

色んな方が色んな想いを持って巡礼というものをされておられます。

 

私はそういう時にはこう応えさせて頂いております。

 

 

弘法大師さまに呼ばれた」

 

 

と。

 

 

 

お寺で修行大師さまの像がいつも

「よう来たな」

って言って下さってる気がするんです。

 

 

 

私はたかだか一介の料理人です。

料理人とは、野菜・魚・肉などあらゆる生命を頂いて生業にしている罪深い仕事だと思っています。

 

だからこそ逆に

【勿体ない】

という精神をどの一般の方々よりも深く持つべき仕事やと思ってます。

 

 

今まで自分が生きて行くために糧としてきた命を供養するという目的も私にはあるのです。

 

 

何の為に先達になるのか。

 

 

その責任というものを普通に巡礼するだけではなく、

先達として果たすべき責任を全うするために、微弱ながら頑張ってみようと思ったからです。

 

 

 

仕事も同じです。

 

ヒラ社員にはヒラ社員の責任しかありません。

 

課長には課長の

店長には店長の

社長には社長の

 

責任があるのです。

 

 

 

 

正しい巡礼の在り方を正しく伝えていく。

 

それは先達が必ず持って居ないといけない精神です。

 

 

 

料理人が部下に不衛生で不味い料理を教えたらどうなりますか?

 

料理は人を時には感動させる事が出来る素晴らしいものだと私は思っています。

 

後世に少しでも美味い料理を伝え、教えることは私の使命でもあります。

 

 

 

先達にも、同じことが言えるのではないでしょうか?

 

 

仕事だけじゃ小さなままの自分だなぁ、と。

仕事は大切だけど自分の人生仕事だけみたいな淋しいもんでも無いんだから、仕事以外でも同様の精神を持って生きるべきののかなぁ、と。

 

 

 

私はいつも修行大師像にお会いする度に、

 

「よう来たな、人生死ぬまで修行やぞ。」

 

お大師さまがそう語りかけて下さっているような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

今回も西国の巡礼ですが、

私はお寺をお参りする際には必ず本四国の

真言宗仏前勤行次第】

を【西国三十三所勤行次第】と一緒に持ち歩いています。

 

 

 

色んな宗派のお寺がありますが、

お大師さまにお会いした時は本四国の大師堂と同じお勤めをさせて頂くのがお大師さまに対する最低の礼儀であると私は考えていますので。

 

 

だから正直な話、

真言宗仏前勤行次第は本四国のカバンに入れてるのと、

他のお寺を回る時用と2冊持ってたりなんかしちゃいますけどね(^q^)

 

 

 

ちな西国は来年創設1300年を迎えます。

私も来年は先達として更に巡礼していくつもりです。

 

 

清水寺の森貫主さま

【今年の一文字】を毎年書かれておられる有名な方ですね。

 

貫主さま直筆の納経軸を清水寺で買って持って回る予定です。

 

だから来年西国いちばん始めは清水寺からになりますね。

 

 

 

興味を持たれた方は気軽にバスツアーからも始められます。

 

 

何度も言いますが来年西国は1300年を迎えます。

 

まずは観音さまとのご縁を深めてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年7月お遍路。(別格6番龍光院~別格11番生木地蔵)

 

もう8月だというのにドラクエ11に夢中になりすぎで先月のお遍路ブログ更新しておりませんでした罰当たりKOBANNADでございます。

 


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ベロニカたん可愛いよベロニカたんハァハァw

 

 

 

 

ま、ドラクエの話はさておきまして。

 

 

7月30日に今回は新しいレンタカー屋さんでいつもより6000円近く安く車を借りて一路愛媛の宇和島へ。

 

 

車はかなり整備されていたのですがなんせハイブリッド車ではなく、

結構古いセダンなんでいつものプリウスとかに比べて車高低いしサスがききすぎて。

 

妙にスピード出てないのに出しすぎてるように感じるし、

 

やたらと揺れるし、腰痛いしwwwwwww

 

ハイブリッドじゃないから結局ガソリン代はかかってしまうという問題がwwwwwww

 

 

多分香川とか近距離だとまだ良いんでしょうね。

まだ愛媛松山周辺を回る8月くらいまでは、

多少高くてもいつものジャパンレンタカーでハイブリッド車を借りた方がエエなと。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

まずは朝イチ7時前に宇和島にあります、

四国別格霊場第6番札所

【臨海山 福寿寺 龍光院】へ

 

 

 


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宇和島市の小高い位置にありますので、

見晴らしも良いお寺です。

 

向こうには宇和島城

 


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こちらのお寺は前回伺った本四国第40番札所観自在寺奥の院にあたるそうです。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807185032j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから宇和島の北部に車を走らせ、

本四国第41番札所

【稲荷山 護国院 龍光寺】

 


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先ほどの龍光院と一文字違いなので、本四国だけを回られてる方はそうでも無いそうですが、

我々のように別格も一緒に回る人間はよく間違えられる方が多いそうです。

 

 

こちらの納経所のお坊さんは気さくな方で、

 

「暑いですねぇ、しかも湿気が多いから。まだカラっと晴れてくれたら……」

みたいな話をされてました。

 

 

大阪の蒸し暑さに比べりゃそうでもなかったんですけどw

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807185220j:image納経印

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから4キロ弱で

 

本四国第42番札所

 

【一課山 毘廬舎那院 仏木寺】へと

 

 

 

 


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こちらの山門がすごく個人的に好きですな。

 

 

 

「ぶっきじ」やのうて「ぶつもくじ」と読むんやそうです。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807185412j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

そこから山を一つ越えまして、

 

本四国第43番札所

【源光山 円手院 明石寺】へ

 

 


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地域の方々50人くらいで境内のお掃除をなさってはりました。

 

皆さんと気持ちよくご挨拶を交わさせてもらってるとやっぱり四国はエエなぁとつくづく感じます。

 

 

ただ納経所でお坊さんが納経書きながら、寺男さんらしき人にゲンさんの頭ごしに大声で

「みなさんにお茶!お茶出したげ!」

って指示を出すのがイマイチよく分かりませんでしたけどねw

 

納経し終えてからでもエエやろし、

寺男さんこっちに呼んで普通に話せばエエやろし、

 

わざわざ頭の上を大声出すのは、ね。

 

 

これ、もしゲンさんやなくてバスツアーの団体やったり、先達相手に同じ態度取るんでしょうかね?

 

四国でお寺の人間に滅多にイラっとする事は無いんですが、ちょっとこちらは正直ムカっときました。

 

 

 

 

修行が足りんな。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807190418j:image納経印

 

 

 

 

 

ちょっと久しぶりに気を取り直してw

 

 

 

 

 

今回本四国はこの3ケ寺で終了。

愛媛は別格が多いので後はまず別格から回ります。

 

 

 

 

 

次に詣りますは別格霊場第7番札所

【金山 出石寺

 

 

おそらく車遍路最長の山道になりますね。

片道約一時間半かかりましたwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807191008j:image駐車場から階段w

 

 

実は駐車場からこの間ずっと一匹のスズメバチに私とゲンさんは追われておりました(^o^;)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807191142j:image山門をくぐっても

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807191213j:imageスズメバチはずっと付いてきます。

 

 

 

お寺の境内で無益な殺生は出来ません。

 

いつものアタシならかつてオオクワガタを採集していた腕があるのでスズメバチの一匹や二匹退治するのは訳はないんですけどね。

 

 

 

ケガしたくもないし、無益な殺生もしたくない。

 

 

 

あまり納得出来ない事ですが、本堂と大師堂にお線香とロウソクと納め札、お賽銭をお納めして。

ご本尊真言と南無大師遍照金剛だけ上げて納経所に向かいました。

 

 



f:id:KOBANNAD:20170807191957j:image納経印

 

 

って、納経所まで追いかけてくるのかよ!

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807192052j:image駐車場出口近くに大きなお大師さまがおられましたがここまでスズメバチは付いてきました。

 

 

 

無事刺されることもなくまた一時間半近くかけてたどり着いたのは

 

別格霊場第8番札所

【十夜ケ橋 永徳寺】


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こちらは別格霊場会の本部になります。

 


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また別格霊場で集めてます数珠玉の中心に位置する【親玉】はこちらでしか買えません(2017年現在)

数年毎に親玉の配布寺は代わりますのでご注意を。

 

 

 

ちなみにこちらがかつて弘法大師さまが橋の下で一夜を過ごされた地です。


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十夜ケ橋の前の国道の橋のたもとにあります。

 

当然こちらも大師堂と同様お参りします。

 

 

ちなみにお遍路が橋の上で杖をついてはいけない風習はここが起源です。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807193221j:image納経印

 

 

 

 

 

そして一路松山市

 

 

別格霊場第9番札所

【大法山 文殊院 徳盛寺】

 

 


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境内にはこちらも大きなお大師さまが。


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「ようきたな!」

みたいな感じで迎えていただけます。

 

 

 こちらは四国遍路の元祖と言われる衛門三郎の邸宅があったと伝えられる地に立っているお寺です。

 

四国八十八箇所発祥の寺院とする説もあるみたいですね。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170807194511j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

ここで名古屋から歩きで区切り打ち遍路をされている女性の方とお会いして少し話しこんでしまいました。

 

 

来年はアタシも区切りで歩きやるからどこかでまたお会い出来たらいいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、更に向かいましたのは伊予西条から

 

別格霊場第10番札所

【仏法山 西山興隆寺

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170807194825j:imageなかなかの山道&階段でした。



普通に西国一番青岸渡寺あたりよりキッツい感じでしたね、四国も別格は山道階段あるとこ結構ありますから。

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170807195906j:image納経印

 

 

 

 

さて、今回の最終です。

 

 

距離的にはそない離れてませんが、

いかんせん体力&体調&車の状態がいつもより違ったので、

正直足摺岬に行った時より二人とも疲労が……

 

 

 

最後の気力を振り絞って

別格霊場第11番札所

生木地蔵

 

 


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先ほどの西山興隆寺から偶然一緒になった(四国ではよくある)お遍路の方の背中が写ってます。

 

 

ものすごい真面目な方でした。

 

正直お経は棒読みに近い感じでしたが、

一言一句丁寧に丁寧に詠み上げておられる姿に、改めて巡礼とは心で参るものなんやと勉強させて頂きました。

 

 

アタシは子供の頃から般若心経はじめ、

観音経や阿弥陀経まで普通に上げてました。

それは死んだバァちゃん(四国4回西国5回)や近所の寺のお坊さんとかの影響です。

門前の小僧なんとやらです。

でも1度たりともそれを鼻にかけた事はありません。

 

ゲンゲンにも始めから一緒にゆっくりと唱えて教えて、自分で出来るようになったら自分でやるようになりましたしね。

お経の意味も勉強すべきですし。

経も上げずに納経印貰うのもどないやねん、と。

 

 

 

 

お経詠めても挨拶もまともに出来ない【センダツサン】とかも居ますからね。

 

 

 

少なくとも今よく問題になる

限定御朱印乱発寺社だの

御朱印転売だの

バスツアー納経割り込みだの

エエ年こいて参拝マナーもしらないだの

 

本来の巡礼、参拝とかけ離れた【ゼニカネ】とか【欲望】などとはあの方のお経は全く違う。

 

 

 

気持ちを込めて唱えれば神仏には必ず通じるんですよ。

そこに格好を持ち込む事自体が本来の仏道から離れてるんやなと。

下手でもがむしゃらにやるのが大切なんやと。

来年歩き遍路始めたら杖も笈摺もくたびれまくるくらい必死に歩きまくろうと。

 

 

 

 

 

あの方の背中と姿勢を見て改めて気持ちに力を頂いた+自分を振り返ってまた遍路に向き合う自分を奮い立たせた。

 

 

そんな感じでした。

素晴らしい方との出会いが今回もありました。

 

四国に感謝。

お大師さまに、ご本尊さまに感謝。

 

いつも運転頑張ってるゲンゲンにもちょびっと感謝w

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170807202415j:image納経印

 

 

 

 

 

 

無事今回も巡礼を終えたデブ遍路二人は

 


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本谷温泉へ!

 

 

大明神川沿いに西条市(旧東予市からの引継ぎ)の公共施設である「本谷温泉館」が存在する。「本谷温泉館」には食事処、休憩所の他、宿泊施設も備えられている。また本谷温泉公園が隣接しており、公園は川の両岸に広がっており、毎年春には数多くの桜が咲き乱れる。なお、施設の所在地は源泉の位置からは離れており、上流約4kmの位置からの引湯である。
歴史
開湯伝説によれば、舒明天皇および斉明天皇が入湯したとされる。

道後温泉、鈍川温泉とともに「伊予の三湯」と言われている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

温泉はまぁまぁ良かったけど、

正直メシがひどいwwwwwww

 

 

冷やし中華じゃなくて

【冷えてない中華】

【揚げすぎてる唐揚げ定食】

 

うん、死ね!

 

 

 

 

 

 

 

帰り松山道の【石鎚山SA】でじゃこ天と一六タルト買って、

 

わざわざ高松道から淡路いかずに瀬戸大橋経由で岡山→山陽道で帰ってきて。

 

 

江坂で焼肉!

 


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珍しくゲンがギブアップしてしつこく俺が食べていたという話wwwwwww

 

 

 

さぁ、今月末のお遍路はまさかの道後温泉からスタートしまっせ!

 

 

 

 







 





 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼記 第33番満願札所 谷汲山華厳寺&名古屋に行ってきた!



 

 

先日のブログやっと書き上げたので、

昨日の話を。

 

 

昨日7月17日(月)は祭日やったので店を休んで、母上&ゲンゲンと三人で朝早くから

 

 

西国三十三観音霊場第33番満願札所

【谷汲山 華厳寺

に向かいました。

 

 

まずはゲンゲンがレンタカー借りてきてアタシのウチに4:30くらいに来て、

母上のウチに二人で迎えに行って5:00くらい。

 

 

とにかくまずは腹ごしらえと名神吹田SAでかなり早めの朝食wwwww

 

 

 

名神高速をひた走り関ヶ原出口を目指す。

 

 

滋賀県に入ったあたりから曇りの予報のくせに結構な豪雨wwwww

 

 

【名古屋の呪い】

 

 

 

 

そんな言葉が頭をよぎるwwwwwwwwww

 

 

高速を下りて、途中トイレ休憩に池田温泉の道の駅に寄ってみたりして

朝8:00前に到着!

 

 


f:id:KOBANNAD:20170718221756j:imageこっから山門までが長い長いwwwww

 

 
あんな金津園しか産業がない県の、さらに辺鄙な土田舎で駐車料金取る強欲さはさすが西国というかwwwww
あのあたりの土地なんてタダみたいなもんだろうに

 

並ぶ土産物屋、仏具屋。

 

 

 

 

我々が行った時は開店前だったから店も何も開いてなかったから山門左の駐車場に普通に停めれたけど、

朝9時回ったら停めさせてくれへんらしいしね。

 

手前に停めるように促して駐車料金を取るのだそうだ。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170718222438j:image萌えキャラwwwww



f:id:KOBANNAD:20170718222537j:image満願まだ誰もしてない我々三人wwwww

 

 

ちなみに西国は別に順番関係無いので気にしなくて大丈夫(^○^)

 

 

 

 

華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。 山号は谷汲山(たにぐみさん)。 本尊は十一面観音、脇侍として不動明王毘沙門天を安置する。 西国三十三所第三十三番札所、満願結願の寺院で桜、紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。 西国三十三所の札所寺院では唯一、近畿地方以外にある。

 

 

永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、華厳寺延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって創建されたという。『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する十一面観音の像を造立した。彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、大口大領は同地に草庵を建立。延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の協力を得て華厳寺を建立した。

延暦20年(801年)、桓武天皇勅願寺となり、延喜17年(917年)には醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、仏具・福田として一万五千石を与えたという。「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。

西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、及び三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である『寺門高僧記』所収の「行尊伝」及び「覚忠伝」では、第三十三番の霊場三室戸寺になっており、園城寺三井寺)の僧・覚忠が三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である。

建武元年1334年足利氏と新田氏の戦乱が起こり、新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。

江戸時代には薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀上人によって再興された。(Wikipediaより)

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170719002413j:image谷汲は納経が3つあります。
現在

過去

未来

を意味するそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷汲を一路後にし、次に向かったのは先日のゲリラ豪雨の被害が凄かった愛知県犬山へ。

 

 

 

犬山にある【桃太郎神社】に

 


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桃太郎神社(ももたろうじんじゃ)は、愛知県犬山市栗栖(くりす)にある神社。犬山市には桃太郎伝説が存在する。

全国的にも珍しい桃型の鳥居があるほか、桃太郎のおばあさんが洗濯をした洗濯岩などがある。 毎年、5月5日のこどもの日には桃太郎祭りが開かれる。祭りで披露される「桃太郎おどり」は、野口雨情が作詞したという桃太郎音頭のことである。

神社周辺は桃太郎公園として整備されている。

道路から、一の鳥居、二の鳥居を経て、石段を上ると、桃型鳥居と拝殿がある。なお、一の鳥居と二の鳥居は、普通の神社にあるような鳥居である。地元では、子どもの健康を祈る神社としての認識が高く、大切にされている。

桃太郎公園は、桜も多く近隣では有名な観光地ともなっていて、みやげ物屋も数件ある。この地方でよく食される「木の芽田楽」(豆腐の味噌田楽)や、菜飯を味わうこともできる。また、かつては公園の一角に、ヤクニホンザルを放し飼いにした野猿公苑(日本モンキーセンター栗栖研究所の関連施設)があり、午後3時になるとサルが園の外に出てきて、車の上に乗る姿が見られた(野猿公苑はすでに閉園)。

神社背後には緑深い山が間近に迫り、すぐ前を木曽川が洗う。このあたりの木曽川は風光明媚であり、志賀重昂によって「日本ライン」と名付けられた。また、川縁には有名なチャート(岩石)の露頭がある。 道路からチャートの露頭までの広い河原は芝生の広場(栗栖園地)となっており、デーキャンプが行われるなど、市民や近隣住民の憩いの場として親しまれている。桃太郎神社に参拝したことがない近隣住民でも、この栗栖園地で遊んだことがある、という人は多い。

神社の裏手は、栗栖遊歩道のセセラギ遊歩道入口になっている。この遊歩道は、岐阜県可児市の鳩吹山遊歩道に合流している。(Wikipediaより)

 

 

 

 

ええと、コメントは差し控えるけど一言いうなら

「子供大切にとか言うけどあの人形見ても多分トラウマにしかならん」

とだけ言っておこうかなwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170719002554j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして一行は一路名古屋を目指して……

 

 

 

黒川にあるカレーうどんの銘店中の銘店

【鯱乃家本店】へ。

 


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鯱乃家
現在、旧黒川本店(名古屋市北区)は商号を変更して「本店鯱乃家」として営業。同店の暖簾分け店は「若鯱家 清明山店」(名古屋市千種区)「若鯱家 犬山店」(犬山市)として以前の商号のまま営業しているのに加え、他に「歩々亭若鯱家分家」(小牧市)が存在している。
本店鯱乃家においても暖簾や路上の看板は鯱乃家だが、2階部分に取り付けられた看板は現在でも「若鯱家」となっている。

繁盛店として知られるとともに名古屋一円のうどん屋の跡取りが修行する店としても有名であった。しかしブランド名の商標登録を行っていなかったことから、同店出身者の一人が名古屋の広告代理店「東海通信社」と共に、同じ名前の「若鯱家」を商標登録し、本店とは無関係に当該名称で1988年頃から各地にチェーン展開を開始したものである。(Wikipediaより)

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170718230936j:imageカツカレーうどん&ご飯(¥1050)

 

やや太めの麺で、カレーとダシの風味・甘さと辛さ等絶妙のバランスで素晴らしい味を成立させている逸品ですわ。

 

 

今年の春に食べたんですが、それ以来ハマってしまいました。

関西人で28年料理やってるアタシが絶賛する名古屋メシ、一度ご賞味あれ。

 

 

 

 

 

 

そして一行は更に【熱田神宮】へ

 

 

 

 


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熱田神宮(あつたじんぐう)は、愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社名神大社)、尾張国三宮。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。

名古屋市南部の熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない。

三種の神器の1つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。なおこの剣は、鎮座の後も、盗難に遭ったり(「草薙剣盗難事件」を参照)、形代が壇ノ浦の戦いで遺失するなどの受難にみまわれている。(「天叢雲剣」を参照)。また、景行天皇43年創建と伝えられており、同年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた。

建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった(境外摂社の氷上姉子神社に尾張造の建築様式が残っている)。
祭神
主祭神
熱田大神(あつたのおおかみ)三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣天叢雲剣とも)を神体とする天照大神を指すとしている。
相殿神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
宮簀媛命(みやすひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)
熱田大神とは草薙剣の神霊のこととされるが、明治以降の熱田神宮や明治政府の見解では、熱田大神草薙剣を御霊代・御神体としてよらせられる天照大神のことであるとしている。しかし、創建の経緯などからすると日本武尊と非常にかかわりの深い神社であり、熱田大神日本武尊のことであるとする説も根強い。

相殿には、天照大神・素盞嗚尊・日本武尊・宮簀媛命・建稲種命草薙剣に縁のある神が祀られている。素盞嗚尊は、ヤマタノオロチ退治の際に、ヤマタノオロチの尾の中から草薙剣を発見し、天照大神に献上した。天照大神は、その草薙剣天孫降臨の際に迩迩芸命(ににぎのみこと)に授けた。日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命のもとに預けた。宮簀媛命は、熱田の地を卜定して草薙剣を祀った。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊蝦夷征伐に副将として従軍した。

第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。日本武尊伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。


宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南家藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司尾張氏権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母(由良御前)である。

 

戦国時代に織田信長桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた。

江戸時代は当社周辺に東海道五十三次の43番目「宮宿」が設けられ、当地から桑名宿への七里の渡しが運行されていた。また『東海道名所図会』に「熱田大神宮」と記載されている。

1868年(慶応4年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改め、1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮官幣大社に列格した。熱田神宮には「三種の神器の一つを祀っているから、伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張があり、同年7月には大宮司・千秋季福が伊勢神宮に準じた待遇にするよう政府に請願したものの、この請願は却下されている。次いで大宮司となった角田忠行も同様の請願を続け、1889年(明治22年)までに伊勢神宮に準じた神璽勅封・権宮司設置などが認められた。

それまで熱田神宮尾張造という尾張地方特有の建築様式で建てられていたが、1889年(明治22年)、伊勢神宮と同じ神明造による社殿の造営が計画された。また、熱田神宮の国への働きかけにより、1890年(明治23年)9月、社格を離脱して伊勢神宮と同格にする旨の勅令案が閣議に提出された(案の段階では熱田神宮を「尾張神宮」に改称する事項も含まれていたが、これは外された)。しかし、この勅令案は否決され、熱田神宮社格の件は従前の通りとすることとなった。その背景には伊勢神宮の反対があったという。神明造による社殿の造営は進められ、1893年(明治26年)に竣工したが、この社殿は太平洋戦争の空襲により焼失した。

1945年(昭和20年)の終戦直前、神体である草薙剣を守るために飛騨一宮水無神社への一時的な遷座が計画されたが、同年8月15日の終戦により一時中止された。しかし、今度は上陸したアメリカ軍に神体が奪われるおそれがあるとして、同年8月21日、陸軍の協力を得て計画通り神体が水無神社に遷された。同年9月19日に熱田神宮に戻されたが、そのときにはすでに陸軍は解散していたため、神職が鉄道で移動した。社殿は伊勢神宮式年遷宮の際の古用材を譲り受け、1955年(昭和30年)10月に再建された。新しい建物のため、指定文化財ではない。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170719003235j:image熱田さんでは【御神印】というそうな

 

 

 

 

 

 

さらに名古屋の大須観音

 

 

 


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大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。本尊は聖観音。寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」だが、一般には大須観音の名で知られる。日本三大観音の1つとも言われる観音霊場である。なごや七福神の一である布袋像を安置する。寺内に、『古事記』の最古写本をはじめとする貴重書を多数蔵する「真福寺文庫」がある。

建久年間(1190年代)、尾張国中島郡長庄大須に中島観音が発祥する。元亨4年(1324年)に後醍醐天皇大須郷(現岐阜県羽島市桑原町大須)に北野天満宮を創建。元弘3年(1333年)に同社の別当寺として僧能信が創建した真福寺が当寺の始まりである。

その後、慶長17年(1612年)に徳川家康の命令で犬山城主の成瀬正茂によって現在地に移転する。 文化12年(1815年)に、五重塔が建立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置された。明治25年(1892年)3月21日には、境内にあった宝生座(芝居小屋)裏手からの出火(大須の大火)により本堂、五重塔と仁王門を焼失し、五重塔以外を再建されるが、第二次世界大戦の名古屋大空襲による2度目の焼失後、昭和45年(1970年)に、戦前の本堂とは多少、姿形が異なるが本堂を鉄筋コンクリートで再建し、現在に至る。また五重塔の再建計画も近年にあったが、現在にいたるまで、立ち消えた状態である。

戦前まで大須観音より、大須で大いに栄えて賑わっていた寺は七堂伽藍の七寺であった。大須観音も七寺も空襲で焼失されるが、戦後、七寺の七堂伽藍は再建される事はなく、大須観音は再建され、現在では大須観音が栄え大須のシンボル的な寺院となっている。

大須の地名はこの大須観音門前町が発祥の地である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170719002750j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参拝を終えて大須商店街の301ビル1階にある喫茶店松屋コーヒーさんへ。

 

こちらは元々はコーヒー豆の販売店ですが、店内に喫茶スペースがあります。

 

世界中のコーヒーが楽しめる上にこの時期はオリジナルの水出しコーヒーが美味いのよ!

 

 

 

 

松屋コーヒーさんのこだわりはコチラで

http://www.flavorcoffee.co.jp/2f/index.html

 

 

そこに二度寝から覚めた姉上DJきゃんでことふぢえ姉が合流。

 

 

本当は谷汲から一緒に行動する予定だったんですが、前日にアメリカから凄いDJの方が来られていたらしく終了後も接待等で忙しくて昼からの参加になりました。

 

 

姉上のお店はコチラ

https://www.maharaja-n.jp/system/

デスコでフィーバー!

 

 

 

 

 

 

 

 

四人はそれから

大須商店街の中にある【万松寺】へ。

 

 


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……お寺にLED照明&スクリーンw

さらに白龍のオブジェがありそれがまた時間になったら霧を吐くwwwww

 

入り口ど真ん中ではなく少し離れて本堂があるwwwww

 

七夕飾りの願い事がカオスwwwwwwwwww

 

 

申し訳ないけどこないに笑ったお寺は初めてやなwwwwwwwwwwwwwww

 

【近未来寺院形テーマパーク】

って感じかしらwwwwwwwwww

 

 

 

 

 愛知県名古屋市中区大須にある470年以上の歴史を持つ寺院。織田備後守信秀公(織田信長の父)が織田家の菩提寺として開基。ご本尊は十一面観世音菩薩。織田信長徳川家康をはじめとする戦国武将との縁が深く、名古屋の歴史的観光名所にもなっている。

天文9年(1540年)、織田信秀により織田氏菩提寺として那古野城の南側に建立された。開山には信秀の叔父にあたる雲興寺八世・大雲永瑞和尚を迎えた。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年(1610年)、名古屋城を築く際に小林邑(現在の大須3丁目)に移建した。移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、亜相源敬公大夫人霊廟(徳川義直室高原院の御霊屋(廟))が置かれるなどしていたが、幕末頃から徐々に衰退した。大正元年(1912年)に三十七世大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放することを決断し、開拓された町は現在の大須3丁目となって、萬松寺は再び賑わいを取り戻すこととなった。しかし、1945年(昭和20年)3月12日の名古屋大空襲で大須も焦土と化し、本堂が再建されたのは平成に入ってからである。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。2016年(平成28年曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となる。
歴史的事件など
信秀の葬儀の際に信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台である。
徳川家康は6歳で証人(人質)として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。
明治年間、シャム国から日本に分骨された仏舎利覚王山日泰寺に運ばれた際には、萬松寺から行列が出発した。
堂宇
不動堂 - 加藤清正が命名したと伝えられている身代わり不動明王の石像が安置されている。
白雪稲荷堂 - 白雪枳尼真天を祀る。
からくり人形
からくり人形は現在の萬松寺の名物として知られた。本堂に設置されたからくりは前述の「抹香投げつけ」と、桶狭間の戦いを前にして「敦盛を舞う」信長を再現したもので、人形師の8代目玉屋庄兵衛の手による。また、かつての境内で寺の向かいに建つ万松寺ビルには白雪稲荷のからくり人形もあるが、いずれも2008年(平成20年)頃から故障したままとなっている。2011年(平成23年)6月から「あっぱれNIPPONプロジェクト」の一環として修復に着手。その年の大晦日に修復完了、公開された。修復担当は9代目玉屋庄兵衛。(Wikipediaより)

 

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170719002840j:image
f:id:KOBANNAD:20170719002852j:image6つの納経印


 

 

お寺用の納経帳2冊目無事終了しました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、名古屋に来て、姉上と大須に来るといつも行くのが万松寺の向かいのビル地下のパチンコ屋wwwww

 

 

三時間弱一円パチンコで遊んで

 

姉上-3000

ゲンゲン-3000

母上+2500

アタシ+6000

 

 

これで名古屋では7連勝中wwwww

 

姉上と母上と居るとあんまり負けないんですよねぇwwwwwwwwww

 

 

とりあえずゲンゲンはまだ功徳の積み上げが足りないな。

早く【岩清水はちまん宮】に行かないとwwwwwwwwww

 

 

 

そしてアタシのパチンコ勝ち金で向かいました、大須商店街にあります

【ピッツェリア チェザリ】

 

ここのオーナー牧島氏は日本人で初めてナポリのピザ大会で優勝した方です。

 

むちゃくちゃ美味いんですよ。

 

 


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マルゲリータ

クワトロフォルマッジ

生ハムのピザ

世界一のピザ

 

この時アタシのスマホの充電がヤバかったので、この写真だけは姉上のご協力をいただきました。

姉上ありがとう(^○^)

 

 

 

こちらもアタシの大絶賛なお店。

 

 

 

 

 

んで、姉上と別れて大阪に帰ってまいりました。

 

 

 

名古屋はやっぱたーのしー!

 
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PS.姉上けものフレンズ早く見てハマって下さいwwwww 

 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼記 31番札所長命寺32番札所観音正寺

あぢぃ。

なんだこの近頃の暑さは。

 

 

皆様暑中御見舞い申し上げます、

年齢と共に陰りが若干見えてきました夏男KOBANNADです(^q^)

 

 

 

さて、今日のブログはさる7月2日のお話です。

ちょっとここんとこ暑かったりなんやで更新出来てなかったんですすいません。

 

 

 

 

この日本当は家で引きこもってのんびりするつもりでした。

実際仕事終わってからゲンゲンと飯食いに行ったりして帰ったのは夜中を回って3:30頃。

 

で、朝5:00に目覚めて向かったのは

 

 

JRの能登川駅からバスに乗って


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西国三十三観音霊場第32番札所観音正寺裏参道入り口。

 

これがまた分かりにくい場所にあるんですわ。

 


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この看板が【神社入り口横】にある。

 

そしてその神社の境内の中に


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この看板wwwww

 

寺に向かうのに神社の中を通るという話wwwww

 


f:id:KOBANNAD:20170718180054j:imageここが入り口なんです。

 

ここから裏参道とは名ばかりの山道を約4キロ以上wwwww

 

 

前日に雨が降ってたのでぬかるんだ山道を登るのもなぁ~って感じでバス亭まで戻ってタクシーを呼ぶwwwwwwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170718180918j:image裏からは専用の自動車道を通って(通行料金が必要)入り口のほんの手前まで行けます。


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f:id:KOBANNAD:20170718181708j:image素晴らしい景観


 

 

そして到着しました


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西国三十三観音霊場第32番札所

【繖山 観音正寺

 

 

 

観音正寺(かんのんしょうじ)は、滋賀県近江八幡市安土町石寺にある仏教寺院。宗旨は天台宗系の単立。山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観音。西国三十三所第32番札所である。

琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂近くに位置する。伝承によれば、推古天皇13年(605年)、聖徳太子がこの地を訪れ、自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。聖徳太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより一寺を建立したという。その人魚は、前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、平成5年(1993年)火災で焼失した。実際に創建時期については不明であるが、少なくても11世紀(平安時代)には既に存在していた。また、元弘3年(1333年)に足利高氏(後の尊氏)に攻められた六波羅探題北条仲時が後伏見・花園両院及び光厳天皇を連れて東国に下ろうとした際に両院や天皇の宿舎に充てられたとする伝承がある。

観音正寺が位置する繖山には、室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。戦国時代中期に六角氏によって観音寺城が改修された際に、観音正寺山麓に移転させられたとする説がある。観音寺城は永禄11年(1568年)、織田信長の軍勢に攻められて落城。数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。再興されたのは慶長年間(1596年 - 1615年)のことである。

観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失火で焼失した。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失した。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたものである。新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものであるという。   (Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

こちらは西国で初めて

「ようお詣りでした、ありがとうございました。」

って言われて凄く感動したの覚えてます。

 

 

ありがとうって言われたのは西国じゃ当然初めてで。

 

四国でも数ヶ寺ですね。

 

 

まぁそれでも、

笈摺投げる糞みたいな寺もあるからねぇ、

西国は多種多様ですなwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからJR安土駅の方へいわゆる表参道に向かうんですが、

下まで階段1500段あるらしいすwwwww

 

 


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300段程下った所に駐車場があります。

駐車場入り口にも


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で、その駐車場までタクシーを呼びつけるwwwww

 

JR安土駅までタクシーに乗り、隣の

近江八幡駅】に向かう。

 

 

 

近江八幡駅に着いていきなり見つけたポスターが


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駅前の歯医者さんも

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もちろん駅も


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先日スピード違反でオービス光らせた挙げ句80000円(はちまんえん)の罰金&45日免停食らった中村=ゲンゲンを町ぐるみで嘲笑うかのような、町ぐるみの【はちまん】攻撃に独りで笑いこけていた私がさらに向かったのは

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170718183423j:image西国三十三観音霊場第31番札所長命寺


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実際ここも下から階段上がると880段あるらしいすわ。

当然近江八幡駅から長命寺手前の駐車場までタクシーカッ飛ばして行きましたwwwww 

 

 

長命寺駐車場から長命寺本堂までは約200段くらいの階段が残っています。

 


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f:id:KOBANNAD:20170718184246j:image眼下には琵琶湖。





 

西国三十三観音霊場第31番札所

【 姨綺耶山 長命寺

 

長命寺(ちょうめいじ)は、滋賀県近江八幡市にある寺院。 山号は姨綺耶山(いきやさん)。西国三十三所第三十一番札所。天台宗系単立。聖徳太子の開基と伝える。

琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣した。

伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。

実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の寺号の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師助正畠地寄進状」という文書である。

長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。それによると、中世の長命寺比叡山延暦寺)西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。(Wikipediaより)

 

 

 

 帰り道


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880段全て下りました約10分で、膝が笑ってましたwwwww

 

 

 

長命寺の門前に長命の湯ってのがあったので寄ろうかと思ったらいきなり目の前に近江八幡駅行きのバスが来たので帰ることに。

 

 

 

なんだかんだで睡眠1時間半でこの時14:00くらい。

タクシーでごまかしたとはいえなかなか山道はツラい。

 

 

結構ボーっとしてた時にバス車内アナウンスが

 

 

 

 

 

「次は~中村~ナカムラぁ~🎶」

 


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近江八幡市中村町なんだそうだwwwwwwwwwwwwwww

 

 

バスの中で独りで吹き出して笑ってた俺wwwwwwwwww

 

 

 

乗客達の視線が痛いwwwwwwwwww

 

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170718190347j:image観音正寺

 


f:id:KOBANNAD:20170718190426j:image長命寺

 

 

 

 


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さて、西国もひとまず後4ケ寺ですわ。

2017年6月お遍路。(40番観自在寺~番外5番大善寺)

 

 

さて、今月もやってまいりました月末日曜日恒例四国お遍路巡礼。

 


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梅雨らしく大雨の中、大阪からは1番遠い足摺岬を含む今回の行程。

 

 

3ヶ月近くプランを練ってああでもないこうでもないと悩んだ挙げ句、

大雨予報(名古屋からのシ者)だったという事もあり

 

今回はまさかの深夜1:00スタートwwwww

 

 

 

 

 

 

まずは松山道を通り愛媛最初の札所でもあり、

1番札所霊山寺からいちばん遠く離れていることもあって【四国霊場の裏関所】とも呼ばれている

40番札所【平城山 観自在寺】からスタートして、

足摺岬を回り37番札所【藤井山 岩本寺】を経て

番外5番札所【高野山 大善寺】を最後に高知道を先月同様に帰るという非常に長く過酷な道のりでございました。

 

 

 

しかも、雨wwwwwwwwww

 

 

間違いなく四国に行きたい行きたいと普段からボヤいてる姉上の呪いなんやろうなぁとか冗談(半分本気)を言いながらwwwwwwwwww

 

 

 

 

早めに出て良かったのは四国入ってすぐ、高松道が通行止めで徳島道に迂回せにゃならん状態だったこと。

 

 

 

 

途中の吉野川SAで、お遍路用品が売ってたのは流石四国といわんばかり。

 


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6時間近くかけて、朝6:45くらいにやっとの思いで

 

 

本四国八十八霊場第40番札所

平城山 観自在寺

小雨の降る中到着。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628175527j:imageやはり本四国。


 

素晴らしいお寺でした。

 

 

納経所が開く前に着いたのでまずは本堂と大師堂にお詣り。

 

そうこうしてる間にご住職が来られまして、

本堂内の納経所に向かう………あれ?

 

ご住職がやたらと俺を見てるwwwwwwwwww

 

 

気のせいかなと思いながらお勤めを終えて納経所に行ったら

 

 

「お兄ちゃん、何回目?」

って聞かれたので

「いえ、今年の1月からお遍路始めたばかりでこちらは初めて来させて頂きましたけど?」

 

「ええ!?何回か来てない?見たことある気がするんだけどなぁ。」

 

 

 

 

 

 

そうか、それでさっきから見られてたのかwwwww

 

 

 

 

 

 

「いえいえ本当ですよ、大阪から来てます。」

 

なんかイマイチ納得いかないような顔をしながらも納経をしてもらいながらトークは進む。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628180857j:imageすっげぇ達筆。

 

 

 

 

 

 

で、今日の行程を聞かれたので答えると

 

「足摺かぁ、今日は雨だから大変だよ。カーナビだとスカイラインを選択するからそっちに行かずに別の道を行く方が良い」

 

 

ってわざわざ地図を書いてくださいました。

 

ありがたい話です。

 

ただ俺の納経帳を下敷き代わりにするのは若干どうかと思ったけどwwwwwwwwww

 

 

 

 

で、ご住職に教えて頂いた道順と地図を頼りにまずは

 

 

 

 

 

本四国八十八霊場第39番札所

【赤亀山 延光寺】へ

 

 


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まだ雨降ってます。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628180959j:imageここの右上の釣り鐘の朱印がかわいい。

ここは亀が釣り鐘を背負ってる石像があるからですね。

 

 

 

 

で、

 

刻一刻と雨は強くなり。

 

 

 

行程は激しさを増し、距離も長い中。

 

 

ゲンゲンは車をひたはしらせ

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は助手席で寝る(←ホンマ最低)wwwww

 

 

 

 

 

 

観自在寺のご住職に教わった道を行くと最近出来たというトンネル(ナビ非表示)を抜けて

 

ほぼ嵐という大雨の中

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628181411j:image足摺岬の文字が読めねぇぇぇぇぇぇぇwwwww

 

 

 

 

 

たどり着きました。

 

 

 


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本四国八十八霊場第38番札所

【足摺山 金剛福寺

 

 

 

 

 

 

境内の池の水が溢れてる状態w


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本堂→大師堂→納経所と回るんですが、雨で一部通れなくて

 

本堂→大師堂→本堂→納経所と戻ってこないといかんかったwwwww

 

 

 

お寺さんが

「えらい雨の中ようお詣りで、どちらから?」

 

「大阪です」

 

「遠いとこからご苦労様、ありがとうございます。」

 

 

やっぱり本四国やわ。ありがたいお言葉やわ。

 

間違っても笈摺投げてくる腐れ西国観光寺とは違うわ(結構根に持つ)wwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628182236j:image味のある納経印でっしゃろ!

 

 

 

 

で、本四国遍路一距離が離れている

37~38番へ向かう訳ですね。

 

 

歩きやと30時間かかるそうですわ。

 

 

 

足摺岬から高知に向かう途中。

雨は上がり、晴れ間も少しのぞいて来ました❗

 

 

 

そして頑張って運転するゲンゲン

 

 

 

 

 

 

 

また昼寝する俺(←マジ最低)

 

 

 

 

 

 

 

で、2時間くらい走ってやっと到着しました!

 

 


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本四国八十八霊場第37番札所

【藤井山 岩本寺

 

 

 

こちらは本四国唯一ご本尊が5体あるお寺で、

本堂の天井には色んな絵が描かれているので有名です。

マリリンモンローの絵もありましたよwwwww

 

 

 

で、とうとう出会ってしまいました。

個人遍路の天敵(笑)バスツアー団体wwwwwwwwww

 

 

 

あのさぁ、納経所に所狭しと軸やら白衣やら納経帳広げてんじゃねぇっての!

 

 

みんながみんなそうではないかも知らんけど、バスツアーの添乗員はタチの悪いのが多すぎる。

 

 

 

そこをグッと堪えるのも修行ですけど。

 

あんまり何も言わないというのも図に乗らせるだけなのかなとも思ったり。

 

 

みんなが気持ち良く巡礼出来る環境をつくるのも霊場会やら先達会の仕事やとは思うんですがね。

 

 

お大師さまやら仏さんはどう感じてらっしゃるのかなぁ。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628184552j:imageやっぱり真ん中の納経印は五つあるのよね。

 

 

 

 

 

 

と、まぁ真面目な話もしながら。

 

 

本日最後の目的地別格5番大善寺に行く前に

 

 

 

 

 

【道の駅大正】

 

に寄ってお昼ご飯を。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628183613j:image四万十のうなぎじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!


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うまぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~!

 

 

 

 

ゲンゲンは


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【石焼きうなぎまぶし飯】

食ってました!

 


f:id:KOBANNAD:20170628183814j:image目が、マジですwwwww

 

怖いですwwwww

 

 

 

 

売店で売ってたよもぎ大福もあれ絶対近所のおばちゃんらの手作りやで、マジ美味かった!

 

 

 

 

 

 

お腹のふくれたデブ二人はとうとう最後の目的地へ

 

 

 

 

 

 

 


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四国別格二十霊場第5番札所

高野山 大善寺

 


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お寺からの眺望が素晴らしい!

 

 

 

 

ってか、食後にここまで階段登るのキツかったwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628184641j:image女性の方が書いてくださいましたがなかなか力のある文字ですねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、帰り道。

 

さすがにゲンゲンがヤバそうなのであえて高知では温泉に入らず、

 

淡路島の東浦にある花の湯へと車をひた走らせます。

 

 

 

 

 

 

途中また寝る俺(←もはや悪魔)

 

限界どころか天元突破くらいしてるゲンゲン。

 

 

 

 

温泉浸かってマッサージチェアで爆睡するゲンゲン
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またこれを撮る俺も大概な気がしますがwwwww

 

 

 

 

 

 

少し休憩して、帰り道は六甲で

 

YA・KI・NI・KU(^q^)


f:id:KOBANNAD:20170628184912j:imageもうメシ食うのさえ必死かゲンゲンwwwww

 

 

 

まぁ彼がいちばんしんどいとは思いますよ、正直。

 

「まぁこれも修行や!」

で片付ける俺がやっぱりいちばん鬼か悪魔かって話ですけどwwwww

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628185120j:image今回二人でいちばん盛り上がったネタ。

 

高速出口の名前がなんとなくお侍さんやなぁって話。

 

 

ただそれだけwwwww

 

 

 

 

 

ま、それでも今回で無事

【修行の道場】土佐の国高知県の巡礼を終えて、

【菩提の道場】伊予の国愛媛県の巡礼スタートしましたからね。

 

 

でもまぁまだ半分も終わってないけどwwwww

 

 

 

西国三十三観音霊場&洛陽三十三観音霊場巡り in京都

やっと近頃梅雨らしく雨がよく降るようになってきて、

名古屋の姉上も大活躍なお天気模様ですね。

 

 

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか、最近やや調子に乗って3kgほどリバウンド気味のKOBANNADです。

 

 

 

 

 

さて、先日6月22日にまたまた仕事前に京都にお詣りに行かせてもらいました。

 

 

 

向かったのは

西国三十三観音霊場第16番札所

洛陽三十三観音霊場第10~14番札所

清水の舞台で有名な

音羽山 清水寺】です。

 

 
f:id:KOBANNAD:20170628013419j:imageあ、これは違うかw

 

 

 

 

 

 

 

 

納経所が8:00からということで7:40頃には到着してたんですがね。

正直今まで20回くらいは清水寺って行ってます。

 

ブログにも今年正月に大雪の中行ったりしてるの書いてましたしね。

 

 

ただ、こんな朝早く行ったのは初めてでした。

 

正直観光寺のイメージしか無かったんですけどね。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628013654j:imageいつもは二年坂~三寧坂と上がるんですが、今回は清水五条の方から(いわゆる茶わん坂)上がってきました。

 


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人居ないwwwww

 

清水寺じゃねぇよ、これ。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628013919j:imageあちこち改修工事中でした。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014016j:image本堂も!

 


f:id:KOBANNAD:20170628014046j:image舞台も!

 

 

ほとんど人居なかったので、ゆっくりご本尊と向き合えました。

じっくりお経も上げれました。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014201j:imageいつも人が並びまくる音羽の滝も人っ子一人も居ない。

 

 

こうしてみると早朝に行くのは非常に良いのでは?

 

 

清水寺(きよみずでら)は、京都府京都市東山区清水にある寺院。山号は音羽山。本尊は千手観音、開基(創立者)は延鎮である。もとは法相宗に属したが、現在は独立して北法相宗大本山を名乗る。西国三十三所観音霊場の第16番札所である。
概要
清水寺法相宗南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺滋賀県大津市)、長谷寺奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。また、修学旅行で多くの学生が訪れる。古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。

清水寺の宗旨は、当初は法相宗で、平安時代中期からは真言宗を兼宗していた。明治時代初期に一時真言宗醍醐派に属するが、明治18年(1885年)に法相宗に復す。昭和40年(1965年)に当時の住職大西良慶北法相宗を立宗して法相宗から独立した。

清水寺の創建については、『群書類従』所収の藤原明衡撰の『清水寺縁起』、永正17年(1520年)制作の『清水寺縁起絵巻』(東京国立博物館蔵)に見えるほか、『今昔物語集』、『扶桑略記』の延暦17年(798年)記などにも清水寺草創伝承が載せられている。これらによれば、草創縁起は大略次の通りである。

宝亀9年(778年)、大和国興福寺の僧で子島寺 で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安置した。これが清水寺の始まりであるという。

その2年後の宝亀11年(780年)、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。後に征夷大将軍となり、東国の蝦夷平定を命じられた田村麻呂は、若武者と老僧(観音の使者である毘沙門天地蔵菩薩の化身)の加勢を得て戦いに勝利し、無事に都に帰ることができた。延暦17年(798年)、田村麻呂は延鎮(もとの賢心)と協力して本堂を大規模に改築し、観音像の脇侍として地蔵菩薩毘沙門天の像を造り、ともに祀った、という。以上の縁起により、清水寺では行叡を元祖、延鎮を開山、田村麻呂を本願と位置づけている。
平安時代以降
延暦24年(805年)には太政官符により坂上田村麻呂が寺地を賜り、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされる。『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる。

清水寺の伽藍は康平6年(1063年)の火災(扶桑略記に言及)以来、近世の寛永6年(1629年)の焼失まで、記録に残るだけで9回の焼失を繰り返している。平安時代以来長らく興福寺支配下にあったことから、興福寺延暦寺のいわゆる「南都北嶺」の争いにもたびたび巻き込まれ、永万元年(1165年)には延暦寺の僧兵の乱入によって焼亡している。文明元年(1469年)には応仁の乱の兵火によって焼失し、その再建のために時宗僧の勧進聖願阿弥が迎え入れられた。願阿弥は清水寺入寺以前に橋や寺堂の再建、救恤といった事業に従事しており、その際に率いていた勧進集団や要人との人脈をもって再興事業に臨んだ。願阿弥自身は再興の完遂を見届けることなく世を去ったが、願阿弥の率いた勧進集団は寺内に地歩を築き、本願成就院として近世にいたる本願の出発点となった。現在の本堂は上記寛永6年の火災の後、寛永10年(1633年)、徳川家光の寄進により再建されたものである。他の諸堂も多くはこの前後に再建されている。
三職六坊
豊臣秀吉清水寺に130石の寺領を安堵し、徳川幕府になってもこの寺領が継承された。近世の清水寺は「三職六坊」と呼ばれる組織によって維持運営されていた。「三職」とは寺主に当たる「執行」、副寺主に当たる「目代」、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する「本願」を指し、執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めた。「六坊」はこれに次ぐ寺格を有するもので、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の6か院である。このうち、宝性院は仁王門北方に現存する。慈心院は本堂のみが随求堂(ずいぐどう)として残っている。成就院は近代の中興の祖である大西良慶(後述)が住坊とした所で、境内北側に位置し、現在は清水寺本坊となっている。「六坊」の6か院はいずれも境内南方にまとまって所在したが、このうち真乗院は織田信長によって廃絶され、以後は成就院によって寺籍のみが継がれていた。義乗院、智文院、光乗院、円養院も廃仏毀釈の時期に廃絶し、現在は延命院が残るのみである。
近代
近代に入り、大正3年(1914年)には興福寺住職・法相宗管長であった大西良慶(1875年 - 1983年)が清水寺貫主(住職)に就任する。大西は昭和40年(1965年)に法相宗から独立して北法相宗を開宗、初代管長となった。大西は昭和58年(1983年)、満107歳で没するまで70年近く清水寺貫主を務め、「中興の祖」と位置づけられている。大西は昭和41年(1966年)に月2回の北法相宗仏教文化講座を開始、昭和49年(1974年)には日中友好仏教協会を設立するなど、仏教を通じた国際交流、平和運動、文化活動などに尽力した。 現貫主は、森清範が務めている。

2015年には、10年かけて制作された絵巻物「清水寺平成縁起絵巻」が完成し、奉納された。寺の草創期から「平成の大改修」の完了までの1200年を描いた全巻で、全長65m。作画は日本画家で京都嵯峨芸術大学名誉教授の箱崎睦昌。絵絹や裏彩色といった伝統技法を復活させて描かれた。戦火が多く描かれた室町時代の『清水寺縁起絵巻』とは異なり、何度も焼失と再建を繰り返した清水寺を支えた庶民の姿をテーマに描かれた(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014345j:image舞台を見上げてもなんだかよくわかんないw

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014430j:image納経所のとなりの売店には清水寺貫主さまがお書きになられた直筆の納経軸が売られてます。

 

2回目は軸をさせて頂くつもりなので、是非こちらで頂こうかと思っております。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628014641j:image西国
f:id:KOBANNAD:20170628014656j:image洛陽10番
f:id:KOBANNAD:20170628014707j:image洛陽11番
f:id:KOBANNAD:20170628014723j:image洛陽12番
f:id:KOBANNAD:20170628014802j:image洛陽13番
f:id:KOBANNAD:20170628014816j:image洛陽14番



納経印300円×6
笈摺200円

西国カラー御影200円

合計2200円

 

あ、入山料400円やから清水寺だけで2600円w

 

 

なかなかw

 

 

 

 

 

 

さて、そこから個人タクシーの運転手さんの「マナーの悪い中国人観光客の愚痴」を聞きながら向かったのは

 

 

西国三十三観音霊場第15番札所

洛陽三十三観音霊場第19番札所

 

【新那智山 今熊野観音寺

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628015521j:image

 

途中に

 


f:id:KOBANNAD:20170628015546j:image御陵印が頂ける【月輪御陵所】があるんですが、今回は寄ってません。

母上と一緒に行く予定ですのでw

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628015733j:imageお大師さまがお出迎え。

ありがたや。ありがたや。

 

 

観音寺(かんのんじ)は、京都市東山区泉涌寺山内にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)とも称される。山号は新那智山。本尊は十一面観音(秘仏)。西国三十三所第十五番札所、神仏霊場巡拝の道(神仏霊場会)百二十二番(京都四十二番)霊場、ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場第一番札所、洛陽三十三所観音霊場第十九番札所、泉山七福神巡りでは三番としてえびす神を奉祀。大同年間(806年~810年)、空海が庵を結んだのに始まるとされ、藤原緒嗣が伽藍を造営したと伝えられる。永暦年間(1331年~1334年)、新熊野神社が建てられるとその本地仏を祀る寺とされた。(Wikipediaより)

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170628020339j:image西国

f:id:KOBANNAD:20170628020304j:image洛陽

 

 

 

 

さて、そこから徒歩で少し登りまして、たどり着いたのは

 

洛陽三十三観音霊場第18番と20番札所

真言宗十八本山第8番札所

 

【月輪山 御寺 泉涌寺

 


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以前母上と訪れた時は楊貴妃観音さまが京都美術館に行ってらしたので御不在でしたが、

今回はお詣りできました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628020943j:image真言宗十八本山


f:id:KOBANNAD:20170628021011j:image洛陽18善能寺

 

 

 

泉涌寺 (せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町(やまのうちちょう)にある真言宗泉涌寺派総本山の寺院。山号は東山(とうざん)または泉山(せんざん)。本尊は釈迦如来阿弥陀如来弥勒如来の三世仏。
平安時代の草創と伝えるが、実質的な開基(創立者)は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいししゅんじょう)である。東山三十六峰の南端にあたる月輪山の山麓に広がる寺域内には、鎌倉時代後堀河天皇四条天皇、江戸時代の後水尾天皇以下幕末に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「御寺(みてら)泉涌寺」と呼ばれている。
仁和寺大覚寺などと共に皇室ゆかりの寺院として知られるが、草創の時期や事情についてはあまり明らかではない。伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創。当初は法輪寺と称し、後に仙遊寺と改めたという。なお、『続日本後紀』によれば藤原緒嗣は承和10年(843年)に没しているので、上述の伝承を信じるとすれば、藤原緒嗣の遺志に基づき、菩提寺として建立されたということになる。

別の伝承は開創者を空海とする。すなわち、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪寺が起源であり、斉衡2年(855年)藤原緒嗣によって再興され、仙遊寺と改めたとするものである。空海による草創年代を大同2年(807年)とする伝承もあり、この寺院が後の今熊野観音寺泉涌寺山内にあり、西国三十三所観音霊場の第15番札所)となったともいう。以上の伝承を総合すると、平安時代初期に草創された前身寺院が平安時代後期には荒廃していたのを、鎌倉時代に再興したものと思われる。

鎌倉時代の建保6年(1218年)、宇都宮信房が、荒廃していた仙遊寺を俊芿に寄進、俊芿は多くの人々の寄付を得てこの地に大伽藍を造営し、霊泉が湧いたので、寺号を泉涌寺としたという(旧寺号の「仙遊寺」と音が通ずる点に注意)。宇都宮信房は源頼朝の家臣で、豊前国守護に任じられた人物であり、俊芿に帰依していた。俊芿(1166-1227)は肥後国熊本県)出身の学僧で、正治元年(1199年)宋に渡り、足かけ13年の滞在で天台と律を学び、建暦元年(1211年)日本へ帰国した。彼は宋から多くの文物をもたらし、泉涌寺の伽藍は全て宋風に造られた。

泉涌寺は律を中心として天台、東密真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えた。貞応3年(1224年)には後堀河天皇により皇室の祈願寺と定められた。後堀河天皇と次代の四条天皇の陵墓は泉涌寺内に築かれ、この頃から皇室との結び付きが強まった。江戸時代には後水尾天皇以下、幕末の孝明天皇に至る歴代天皇が山内に葬られている。泉涌寺はこれらの皇室の陵墓に対して香をたき、花を供える香華院となり、「御寺(みてら)」と尊称されている。

応仁の乱による焼失を初め、諸堂はたびたびの火災で焼失しており、現存の堂宇は近世以降の再建である。大日本帝国憲法施行以来日本国憲法施行まで、営繕・修理費は全て宮内省が支出していた。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善能寺については

 

善能寺(ぜんのうじ)は、京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の寺院。泉涌寺の塔頭のひとつで、本尊は聖観音。洛陽三十三所観音霊場第18番札所である。
この寺は、一説によれば823年(弘仁14年)に空海が八条油小路の地に創建したのに始まるという。1551年(天文20年)に後奈良天皇の命で現在地に移された。

現在の本堂は1971年(昭和46年)のばんだい号墜落事故の遺族の寄進により、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願して建立されたものである。

 

 

 

 

 

 

 

そのまま下って東福寺駅に向かう前に泉涌寺参道にあります、


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洛陽三十三観音霊場第25番札所

【法音院】

 

 

 

Wikipedia無い(´;ω;`)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628021742j:image洛陽

 

 

 

 

で、翌日の23日

 

 

またもや朝から向かったのは

 

 

 

西国三十三観音霊場第20番札所

 

【西山 善峯寺】

 

 


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あんまり写真撮らないアタシがこれでもかっていうくらい撮っちゃったwwwww

 

多分今のところ西国でいちばん好きなお寺。

なんかすっごい落ち着くのよ。

 


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f:id:KOBANNAD:20170628022410j:image天然記念物の松


 

 


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f:id:KOBANNAD:20170628022459j:imageアジサイも綺麗やった。


どこぞの笈摺投げてよこしやがるライトアップ(笑)とか言ってる腐れ観光寺のアジサイよりよっぽど美しい。

 

 



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ホンマ趣のある景色も雰囲気も良いお寺でした!

 

善峯寺(よしみねでら)は、京都府京都市西京区大原野にある寺院。山号は西山。西国三十三所第20番札所。善峰観音宗天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。


歴史
寺に伝わる『善峯寺縁起絵巻』(江戸時代)等によれば、長元2年(1029年)、源信の弟子にあたる源算が創建したという。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興された。
境内
境内は京都市域の西南端近く、釈迦岳の支峰の善峯に位置し、山腹一帯に多くの堂宇が建つ。バス停留所から山道を数分登ったところに山門が東向きに建ち、石段を上った正面に観音堂(本堂)が建つ。

山門、観音堂は元禄5年(1692年)、山内最古の建物である多宝塔は元和7年(1621年)の建立。他の諸堂宇も大部分は江戸時代、桂昌院の援助で整備されたものである。

観音堂の左手(南)には寺宝館文殊堂が建つ。観音堂右手の石段を上った一画には鐘楼、護摩堂、経堂、多宝塔(重要文化財)、開山堂、遊龍の松(天然記念物)、桂昌院廟、十三仏堂などがある。そこからさらに上ったところに釈迦堂、阿弥陀堂があり、境内のもっとも奥には薬師堂(奥の院)、青蓮院宮廟などがある。

青蓮院宮廟 - 境内のもっとも奥に位置し、覚快法親王鳥羽天皇皇子)、道覚法親王後鳥羽天皇皇子)、慈道法親王亀山天皇皇子)、尊円法親王伏見天皇皇子)、尊道法親王後伏見天皇皇子)らの墓がある。墓地は宮内庁が管理している。(Wikipediaより)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628022940j:imageバス亭をひとつ歩いて下る途中に

観音さんがおられました。

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170628023240j:image西国納経印

 

 

 

さて、なんだかんだで

 

 

 

 

 

 
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後、6ケ寺!

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場巡礼記。 25番~27番

 

 

 

憤怒の形相で慈悲の心

 

不動明王さま大好きKOBANNADです。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618234435j:imageこれは仁王さま

 

 

 

 

前日17日ほとんど寝ずに12~14番巡礼して、

 

そのままめちゃくちゃ忙しい土曜日の業務wwwww

 

 

で、本日は中村ゲンゲンと母上と三人で中村ゲンゲンの運転で朝8時から、

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場第25番札所
御嶽山 播州清水寺

 

 

広いお寺やったけど全部回ってたら後の行程がキツくなるので、しっかり観音さまにお詣りして、

 

 


f:id:KOBANNAD:20170618234938j:image納経頂いてきました!

 

 

清水寺(きよみずでら)は兵庫県加東市平木にある天台宗の寺院。山号は御嶽山。本尊は十一面観世音菩薩で秘仏となっている。

西国三十三観音第25番札所。同じ西国三十三観音の第16番札所である京都市音羽山清水寺と区別するため播州清水寺とも呼ばれる。
歴史
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺(古代インド)僧の法道が創建したとされ、627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立。さらに725年(神亀2年) 聖武天皇行基に命じて講堂を建立したと伝える。

日本へ仏教が伝来したのは6世紀のことであり、「1,800年前に法道が創建」との伝承は後世の付託である。法道は天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物である。法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、「天竺から紫の雲に乗って」云々はともかくとして、その由来につながる仏教者がこの地に存在したことは想定される。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

その後車を走らせ、

 

 

 


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西国三十三観音霊場第26番札所
【法華山 一乗寺

 

門前のバス亭におられた方に挨拶したら、

「昨日石山寺でお会いしたお兄ちゃんですな!昨日は妻が色々と教えて頂いてすいませんでした」

みたいなw

 

確かにちょっと聞かれたから西国の作法をおばちゃんにお伝えしたけど、

先達でもない俺がそんな照れくさいわ。

 

オカンとゲンゲンがちょっとびっくりしてたのは面白かったけど。

 

 

まぁ間違った事はしてへんから、これも仏縁なんやろうかなと勝手に思ってたり。

 

 


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綺麗なお寺やったなぁ。

ゲンゲンがやたらと気に入ってたみたい。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000155j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

一乗寺(いちじょうじ)は、兵庫県加西市にある天台宗の寺院。西国三十三所第26番。山号は法華山、本尊は聖観音菩薩である

寺伝では孝徳天皇の勅願で650年に創建、開基(創立者)は法道仙人とされる。 国宝に指定されている三重塔(1171年建立)は平安時代後期を代表する和様建築の塔であり、日本国内屈指の古塔である。 境内は山深く、春は桜、秋は紅葉の名所としても知られている。
一乗寺の開基とされる法道仙人は、天竺(インド)から紫の雲に乗って飛来したとされる伝説的人物である。『元亨釈書』等の記述によれば、法道はインドに住んでいたが、紫の雲に乗って中国、百済を経て日本へ飛来、播州賀茂郡兵庫県加西市)に八葉蓮華(8枚の花弁をもつハスの花)の形をした霊山を見出したので、そこへ降り立ち、法華経の霊山という意味で「法華山」と号したという。法道は神通力で鉢を飛ばし、米などの供物を得ていたため、「空鉢仙人」と呼ばれていた。法道の評判は都へも広まり、白雉元年(650年)、時の帝である孝徳天皇の勅命により法道に建てさせたのが一乗寺であるという。

法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。一乗寺には7世紀~8世紀にさかのぼる金銅仏6躯が存在し(うち3躯は重要文化財)、付近には奈良時代にさかのぼる廃寺跡、石仏などが存在することからも、この地域一帯が早くから仏教文化の栄えた地であることは確かである。

創建当時の一乗寺は現在地のやや北に位置する笠松山にあったと推定されている。笠松山の山麓には古法華(ふるぼっけ)石仏と称される奈良時代の三尊石仏(重要文化財)があり、「古法華」とは「法華山一乗寺の旧地」の意味と思われる。現存する一乗寺三重塔は平安時代末期の承安元年(1171年)の建立であるところから、その年までには現在地において伽藍が整備されていたと思われるが、正確な移転時期は不明である。

一乗寺は中世、近世には何度かの火災に遭っているが、平安時代の三重塔をはじめとする古建築がよく保存されている。本堂は姫路藩主本多忠政の寄進により、寛永5年(1628年)に建てられたものである。(Wikipediaより)

 

 

 

 

そっからナビの設定少し間違えて時間ロスしたりしながらもなんとかたどり着いたのが、

 

 

 

 

 

 
f:id:KOBANNAD:20170619000216j:image書写山ロープウェイ乗り場。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000313j:image官兵衛くんって何やねんw

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170619000400j:imageロープウェイ登って

 

 

 


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西国三十三観音霊場第27番札所
書写山 圓教寺

 

 

 

 

天台宗やから西の比叡山と呼ばれてるらしいすわ。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619000611j:image納経印。

 

 

 

 

 

 

 

 

圓教寺円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市書写山(しょしゃざん)に位置する寺院で、天台宗の別格本山である。山号は書寫山(書写山)。西国三十三所第27番。現住職は第140世。宗教法人としての名称は常用漢字体の「円教寺」である

西国三十三所のうち最大規模の寺院で、「西の比叡山」と呼ばれるほど寺格は高く、中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹である。京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇法皇も多かった。

境内は、仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥の院のある「西谷」に区分される。伽藍がある標高371mの書写山は、兵庫県指定の書写山鳥獣保護区(特別保護地区)に指定されている。

山内には、姫路藩本多氏の墓所である本多家廟所があり、そこには本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子・宮本三木之助などの墓もある。室町時代の応永5年(1398年)から明治維新まで女人禁制であったため、女性は東坂参道の入口にある女人堂(現・如意輪寺)に札を納めて帰った。

近年では、2003年(平成15年)公開のハリウッド映画『ラストサムライ』のほか、NHK大河ドラマ『武蔵』(2003年〈平成15年〉)や『軍師官兵衛』(2014年 〈平成26年〉)のロケ地にもなった。
歴史
書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する。創建当初は「書写寺」と称した。仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ、「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる。また一つに、その名は、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられる。

性空の生年については、西暦903年説、910年説、928年説があるが、『性空上人伝記遺続集』(三千院所有、重要文化財)によれば、性空は延喜10年(910年)の生まれで、貴族の橘氏の出身であったという。性空は出家した時、すでに36歳であり、それから約20年間、霧島山脊振山など九州で修行を積んだ後、霊地を求める旅に出て、康保3年(966年)の57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるとされる。入山して4年目の天禄元年(970年)、天人が書写山内のサクラの霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空が、弟子の安鎮に命じて生木のサクラに如意輪観音の像を刻み、その崖に3間四方の堂を建てた。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建であるという。

性空の伝記や説話は『性空上人伝記遺続集』のほか、『元亨釈書』、『今昔物語集』などにも見られる。それらによると、性空は俗事を厭い、栄華や名声に関心がなかったが、都の皇族や貴顕の崇拝が篤かったという。なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立したとされる。花山法皇以外にも、後白河法皇後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立が行われている。

花山法皇勅願の「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形(輪円)は欠けたところがなく、徳において最も成就した状態を象徴していることから、自己を完成する道を教える寺の意となる。

武蔵坊弁慶は、一時期、書写山で修行したとされており、机などゆかりの品も伝えられ公開されている。ただし史実である確証はない。一遍、一向俊聖、国阿らの時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。

天正6年(1578年)、織田信長より中国地方征伐を命じられた豊臣秀吉が、播磨制圧のため乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰った。その後、天正8年(1580年)に、長浜より如意輪観音像だけが戻された。この摩尼殿の本尊は、性空如意輪観音像と同木同作の如意輪観音であり、性空の生木如意輪観音像は、延徳4年(1492年)の真言堂からの火災により、蓮鏡院、如意輪堂とともに焼失している(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっから赤穂へ。

 

 


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赤穂浪士で有名な

播州赤穂 大石神社】

 

 

 手水場の真ん前にリラックマの絵馬があって水吹き出しました、すいませんwwwww

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170619001213j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

大石神社(おおいしじんじゃ)は、赤穂事件において討ち入りをした大石良雄赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

兵庫県赤穂市にある。旧社格は県社で、現在は神社本庁別表神社大石良雄赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とする。
歴史
赤穂事件以降、赤穂浪士を称揚する人々によって旧赤穂城内の大石邸内に小さな祠が設けられ密かに祀られていた。1900年(明治33年)、あらためて「大石神社」として神社を創建することが政府から許可され、1910年(明治43年)4月に起工、1912年(大正元年)に社殿が竣工した。1928年(昭和3年)、無格社から県社に昇格された。第二次世界大戦後、城内の神社に祀られていた赤穂藩主・浅野氏の3代(長直・長友・長矩)および、城外の赤穂神社に祀られていた、浅野家の後に赤穂藩主となった森家の遠祖の七武将(森可成、森可隆、森長可森成利森長隆、森長氏、森忠政)を合祀した。
本殿、拝殿のほか、境内社として浅野家が藩主だった時代から藩民の崇敬を受けた摂末社が多数ある。宝物展示施設として、赤穂浪士の遺品などを陳列する義士宝物殿、長矩・四十七士らの木像を展示する義士木像奉安殿、大石邸長屋門(国の史跡「大石良雄宅跡」のうち)などがある。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、帰り道に。

 


f:id:KOBANNAD:20170619001556j:imageあいおい白龍城で温泉浸かって帰ってきました。

 

 

 

 

夜はゲンゲンと二人でお好み焼きwwwww

 


f:id:KOBANNAD:20170619001738j:imageお好み職人ゲンゲンwwwww

 

 

 

 


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って事で本日で24ケ寺達成。

後、9ケ寺(^q^)

 

ちなみに番外は3ケ寺とも回ってるから大丈夫(^q^)