ちょっと花粉も一段落かなぁという感じ。
皆様いかがお過ごしでしょうか、KOBANNADでございます。
今日のお昼には
「ちく●島宝厳寺行って来ただがやー!」
と名古屋の姉上様からツイッターが来ており、
1300年記念もあり皆様観音巡礼に精を出されておられる今日この頃。
アタクシKOBANNADも昨日4/15
行ってまいりました。
前日の4/14土曜日の営業時間を一時間半ほど延長しまして、系列店の連中がウチの店で宴会をしとりまして。
何故だか我等が中村ゲンゲンもその宴会に加わって朝まで飲みまくりやがりましてwwwwwww
巡礼に行くアタクシは飲まずにそれを見つめて仕事をしていたという、まさに店長の鑑ともいえるwwwwwwwwwwwwww
で、そっから片付けを終え。
酔っぱらいの中村ゲンゲンを始発までの時間つぶしに話に付き合わせるだけ付き合わせて、ポイ捨てして(酔っぱらいを寺に連れて行く訳にはいかんしね)wwwwwwwwwwwwww
まだ明けきらない阪神梅田駅へ。
梅田→西宮普通電車で西宮から直通特急
とかいう面倒臭い状態。
三宮でJRに振替輸送wwwwwww
エエ加減にせぇって話。
とりあえず前の日の昼間から何も食ってなかったので、三宮のなか卯で朝飯がっついて姫路に。
姫路駅から姫路城を
これは始発→終点問題なくいけた。
着いたの8:00過ぎ。
ロープウェイ始発8:30
もう6人くらい先に居たwwwwwww
先達2人(アタシ含めて3人)
うち1人と話をしてました。
その方に【圓教寺友の会】なるものの存在を教えてもらいました。
ロープウェイが往復1000円→800円になったり、
参拝料無料になったり、上の循環マイクロバスの無料券が貰えたりするそうな。
考えとこ。
そういえば
この3月にロープウェイが新しくなったみたいです。
たしか前は黒田官兵衛のキャラクターのラッピングやったな。
しかしババアという生き物は五月蝿いですな。
朝も早よからご苦労なこっちゃ、面倒臭い。
華麗にスルーして、マイクロバスに乗り込み
いざ!本堂へ。
本堂には2番目に入ったんですね。
で、いつも通りのお勤めをして納経所(本堂内)に行ったら10名くらい先に並んでましたwwwwwww
うち一人先達wwwwwww
お経も上げずに何が納経ですか?
まぁエエわ、人は、人。
自分は自分のお勤めをするだけ。
言うたらアカンけど、ただ邪魔なんやわスタンプラリー(笑)の人達はwwwwwww
八角朱印と本日4/15から各寺院1000枚限定で配布される特別散華(左上のヤツ)
帰りはまた別な色のゴンドラで
そっから再び神姫バスで姫路に戻り、
停電が復旧した山陽電車で一路須磨に。
昨年真言宗十八本山の巡礼の時に来てたんですが、新西国の納経帳忘れてたという(誓願寺と同じパターン)
本堂横に新しい御堂が出来てました。
相変わらず素晴らしい本堂です。
納経印
そして前回頂けなかった愛染堂の愛染明王さまの納経印も今回は頂けました!
素晴らしい
そして今度は山陽ではなくJR須磨駅へ
そしてJR兵庫駅下車。
阪神高速柳原インター下を華麗に通りすぎ、
兵庫大仏さまがお出迎え頂けます、
よう来たな!
って言って頂けた気がいたします、お優しいお顔でした。
本堂
能福寺(のうふくじ)は、兵庫県神戸市兵庫区にある天台宗の仏教寺院である。山号は宝積山(ほうしゃくざん)。本尊は秘仏・薬師如来。
寺伝では805年(延暦24年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称する。
平清盛所縁の寺としても知られており、1180年(治承4年)には福原京遷都計画にともなって平家一門の祈願寺に定められたことで、大伽藍が建設され大いに栄えた。その後、1341年(興国2年/暦応4年)に兵火で七堂伽藍全てを焼失したが、1599年(慶長3年)に長盛法印が再興したという伝がある。
寺格
旧院家(京都青蓮院門跡の院家:門跡不在時の代理を務める格式の寺)
兵庫七福神めぐり
弁財天 - 和田神社(和田宮さん、兵庫南濱総氏神)
寿老人 - 薬仙寺(時宗、後白河法皇萱御所跡)
福禄寿 - 真光寺(時宗、一遍上人墓所)
毘沙門天 - 能福寺
布袋和尚 - 柳原天神社(柳原の天神さん)
蛭子 - 柳原蛭子神社(柳原のえべっさん)
大黒天 - 福海寺(臨済宗、柳原大黒天、開基足利尊氏)
兵庫大仏
1891年(明治24年)に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立された。この大仏は1944年(昭和19年)5月に金属類回収令で解体されて国に供出されるまで日本三大大仏の一つに数えられた。
現在の大仏は1991年(平成3年)に再建されたものであるが、その材料には戦後になって解体された大仏を発見した当時の住職が回収保管し、再建時にその金属片を混入したものを使用している。毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると高さ18mになる巨大な坐像である。1991年5月の開眼法要には、東大寺管長、高徳院貫主が臨席した。(Wikipediaより)
納経印
し、シンプル!
さて、再びJRで本日2度目の三ノ宮へ。
阪急に乗り換えて六甲駅。
さらにそこからバス。
目指すは摩耶山!
摩耶といえば!
艦これ!
すいません個人的に好きなもんでw
では改めまして、
…………圧巻。
素晴らしいの一言。
正直、巡礼関係なくまた来たいお寺ですわ。
山寺好きのゲンさん、姉上も納得やと思う。
素晴らしい。
ちなみに【巡洋艦 摩耶】の記念碑も境内にあったりします。
忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある仏教寺院。通称「天上寺」。宗派は高野山真言宗。摩耶夫人(釈迦生母)を本尊とする日本唯一の寺である。
忉利天上寺は646年(大化2年)に孝徳天皇の勅願により、インドの伝説的な高僧法道仙人が開創したと伝わる。後に空海(弘法大師)が渡唐した際、梁の武帝自作の摩耶夫人尊像を持ち帰り、同寺に奉安したことから、この山を「摩耶山」と呼ぶようになったとされる。寺号は摩耶夫人が転生した忉利天に因むものである。鎌倉時代末期の摩耶山合戦(幕府軍対赤松氏)で知られる摩耶山城をこの寺とする説がある。
最盛期には多くの塔頭、僧坊を抱えており、最も栄えた頃は3,000人の僧を擁する摂津地方第一の大寺だったと伝わる。宗派を越え、皇族・武将なども含め、広く信仰され、花山・正親町両天皇の御願所でもあった。
江戸時代には将軍徳川家光により摂津国の鎮護寺(護国寺)に選定され、紀州徳川家が将軍家の代参の役をつとめた。このため天上寺の紋は、天皇家より賜った五七の桐紋と徳川家より賜った三葉葵紋を合わせた二種紋となっている。
1976年(昭和51年)1月30日未明、賽銭泥棒による放火のため[要出典]、仁王門や一部の塔頭・庫裏を除いて全焼した。現在は北方約1kmにある摩耶別山(天上寺創生の地とされる)に場所を移して再建された。旧境内は摩耶山歴史公園として整備されており、旧伽藍の解説板などが整備されているほか、焼け残った仁王門も残されており、石垣や石段なども往時を偲ばせる(地図)。ただ、仁王門以外の建物(庫裏など)は整備されておらず、朽ちかけている。
本尊
本尊は「十一面観音菩薩像」と「仏母摩耶夫人尊像」。
「十一面観音菩薩像」は一寸八分(約6cm)の黄金の秘仏で、通常は拝観できない。開帳は三十三年毎に行われるという。法道仙人が持参してきたものといわれ、大阪湾一円および摩耶山の四周に開けた諸国(摂津・播磨・河内・和泉・淡路等)の守護仏とされた。
「仏母摩耶夫人尊像」は極彩色等身大の仏像。1976年(昭和51年)の火災により焼失したため、新しく作られた。完成後は金堂に収められていた。摩耶夫人堂は、2002年(平成14年)10月に再建されて、落慶法要が営まれた。仏母摩耶夫人尊像が金堂から遷座された。(Wikipediaより)
納経印
愛染明王納経印
帰り道境内の
しだれ桜
山桜
が綺麗でした。
摩耶山上ロープウェイ駅に行き
眼下を見下ろす。
ロープウェイに乗り
ケーブルに乗り換える。
比叡山みてぇだなw
登りケーブルとすれ違う
ケーブルの駅の前にバス亭があり、
六甲と三ノ宮と両方に行けるんですが、
今さら三ノ宮に行く意味は無いかなぁ、と。
で、JR六甲道駅まで下りてまいりまして、
なんやかんやと歩き回ったので灘温泉に。
1時間半くらい居ました。
マッタリ(* ̄▽ ̄)ノ~~ ♪
で、バスに乗り石屋川の手前まで行き
久しぶりのもっこす!
ニンニク爆乗せwwwwwww
なんか、コクが無いというか薄いというか??
とにかくひたすら食べて帰って爆睡。
しかし1日ロープウェイ2本って今回が初かなwwwwwww
なかなかハードでした。