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ここんとこの御朱印&納経印。そして始まる【新西国三十三観音霊場巡礼】






 

2ヶ月ぶりの本四国遍路をひかえて、仕事中に土曜日なのにあまりに暇すぎてブログ書いてるアタクシKOBANNAD42さいwwwww

 

 

さて、先週の休みに大阪城内にあります

豊國神社】に行ってまいりました。


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豊國神社(ほうこくじんじゃ、新字体:豊国神社、旧字体:豐國神社)は、大阪府大阪市中央区大阪城に鎮座する神社。
概要
京都府京都市東山区に鎮座する豊国神社の大阪別社として創建された。のちに京都・豊国神社から独立して豊國神社に改称。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼豊臣秀長も配祀する。

現在の鎮座地である大坂城二の丸は陸軍省の所管だったため、現在の大阪市北区中之島においての創建となったが、のちに城内(現・大阪城公園)へ遷座された。(Wikipediaより)

 

 

 

先日京都大神宮で頂いた巫女さんの萌え~な御朱印帳が残りわずかになっていたので、

ナニワのKOBANNADとしましては3冊目の御朱印帳は大阪にまつわるものにしようかなと。

 


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太閤はんの兜カッコエエがな!


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で、本日昼前から近くの寺社仏閣を回らせて貰ってきました。

 

 

まずは淀川神社

 


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淀川神社(よどがわじんじゃ)は大阪市都島区毛馬町に鎮座する神社。1953年に旧友渕村の式神を祀っていた十五神社と旧毛馬村の式神を祀っていた八幡大神宮(八幡神社)の式神を合祀する形で十五神社の境内に設立された。

由緒
十五神社、八幡神社ともに創建年代は不明であるが、平安時代初期に「毛志馬」や「鞆淵」などの地名が見られることから、その頃から氏神社として祀られたものではないかとされる。当時、淀川河口の海賊を取り締まる為の役人が同地に配備され、彼らによって全国に名高い15柱の神々を祀った事から「十五神社」と呼ばれるようになったと伝えられている。

明治42年(1909年)、政府の命令により、旧十五神社は同区の櫻宮に、旧八幡神社は旭区の大宮神社にそれぞれ合祀された。それ以来、式神がいなくなった両地域の住民から神社の復興を求める声が高まり、昭和28年(1953年)、社殿のみ残されていた旧十五神社の境内を利用して毛馬町、大東町、友渕町の総鎮守として当社が再建され、昭和34年(1959年)、単立宗教法人の承認を得た。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

そのまま川を橋を越えて渡り

 


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長柄の八幡さんこと

【長柄八幡宮


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長柄八幡宮(ながら はちまんぐう)は、大阪府大阪市北区長柄中に鎮座する神社。
由緒
1296年(永仁4年)に山城国石清水八幡宮(男山八幡宮)から神体を勧請して祀ったのが起源。
1610年(慶長15年)に片桐且元が本殿・幣殿・拝殿を改築したという。(Wikipediaより)

 

 

 

そのまま南に下り

 

 


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国分寺】さん

 

 

 

国分寺(こくぶんじ)は、大阪市北区にある真言宗仏教寺院。
歴史
寺伝によれは斉明天皇の頃(655年)、日本法相宗の祖・道昭が孝徳天皇の菩提のために建てた長柄寺が起源といい、天平13年(741年)聖武天皇国分寺創建の発願により、国分寺になったという。 近世になって僧・快円が再建。第二次世界大戦中は真言宗の京都勧修寺(真言宗山階派)の末寺であった。高野山から移した赤不動尊で知られたが、昭和20年(1945年)の第二次世界大戦時の空襲で焼失。昭和22年(1947年)に真言宗国分寺派本山となって独立した。

『摂津名所図会』には本尊阿弥陀仏聖徳太子の作、赤不動尊空海の作とあり、行基の開基とする。摂津国分寺については、別に天王寺区にも国分寺がある。(Wikipediaより)

 

 

大阪市内にありながらなんとなく本四国の雰囲気を持ってはるような素晴らしいお寺でしたわ。

 


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で、職場に一旦荷物を置きまして。

 

更に向かったのは、

 

 


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【綱敷天神社】

【綱敷天神社 御旅社】

【歯神社】

です。

 

 

綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)は、大阪市北区神山町にある神社。北野(喜多野、喜多埜)天神とも通称され、概ね旧西成郡北野村(キタの東半)を氏地としている。 茶屋町に当社の御旅社があり、角田町に境外社の歯神社(はじんじゃ)がある。


由緒
社伝によれば、創建は平安時代、摂州菟餓野に嵯峨天皇行幸した縁により、皇子の源融天皇崩御ののち、追悼のためこの地に七堂伽藍を興し、太融寺を創建。嵯峨天皇を祀る社として「神野太神宮」を併せて創建したという。

後に菅原道真が無実の罪で大宰府へ左遷の折、この地に着いたところ、一本の紅梅が今を盛りと咲き匂っており、しばしこの梅を眺めるため、船の艫綱(ともづな)をたぐりよせ、即席の座席としたことが「綱敷(つなしき)」の名の由来となるという。 この時、地元の者より「ゆりわ」なる器に団子を盛りて道真にすすめたところ、道真は大いに喜び、今も大事な神事の折にはこの「ゆりわ」に団子を盛って供えている。 また、追従の老臣、度会春彦の孫、春茂以下六名の者を集めさせ、この地に留まるように伝えた。道真と離れることはつらいことであるが、道真直々の言葉であればその帰りをいつまでもこの地にて待つとして、道真より白江の姓を賜り、別れた。

その後、道真は大宰府の地にて死去し、一族は、道真の愛でた紅梅の元に小祠を営み梅塚と称して道真を祀った。正暦4年に道真の無実の罪が解かれ朝廷より正一位太政大臣を追贈された折、この小祠と嵯峨天皇を祀る「神野太神宮」とを併せて祀るために社殿を建立。今に至るまでその春茂の子孫、白江家は神職として綱敷天神社に奉仕している。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

そして、仕事前&遍路前日最後に伺ったのは

 

 

ウチの職場の近所にあります。

 

 


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梅田【太融寺

 

 

太融寺(たいゆうじ)は、嵯峨源氏の祖で左大臣・大納言の源融(みなもと・の・とおる)ゆかりの寺で、大阪市北区に伽藍を構える真言宗高野山真言宗・準別格本山)の寺院。山号は「佳木山」、院号は「宝樹院」。


古くから当寺付近の地名にもなっている。「大融寺」と誤記されることもあり、中近世の文書に多い。
歴史
821年(弘仁12年)に弘法大師嵯峨天皇の勅願により創建。1615年(元和元年)5月の大坂夏の陣の兵火で全焼後、元禄時代に本堂など25の諸堂を再建したが、1945年(昭和20年)6月に大阪大空襲より再び全焼、戦後になって20余りに再建した。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

太融寺さんは

【新西国三十三観音霊場】の2番札所

でもあるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)は、観音巡礼の一つ。単に新西国というばあい、相模新西国三十三観音霊場のような西国三十三所観音霊場の写し霊場を呼ぶときもあるが、現在では近畿地方の観音奉安寺院のうち、西国三十三所に含まないものを巡る1932年制定の下記の巡礼ルートを指すことが一般的である。
起源
西国三十三所観音霊場に隣接する観音奉安寺院を同巡礼の途上で参拝することは江戸時代から行われた記録があるが、現在のような「新西国三十三箇所」としてまとめられたのは1932年(昭和7年)である。この時、大阪時事新報(現・産経新聞)、神戸新聞、京都日日新聞(現・京都新聞)の三都新聞連合の企画により、聖徳太子の「和の道」を基調とし、読者の人気投票に基づいて選定された33箇所の観音霊場をはじまりとする。(このため、聖徳太子霊跡の寺院が四天王寺・叡福寺・橘寺・飛鳥寺など少なからず含まれている)戦後、霊場を辞退した2霊場を入れ替え、1967年(昭和42年)に客番5霊場を加えて38箇所となった。人気の高い寺院を多数含む構成となっている。近年は人気が廃れ、「西国三十三所観音霊場のおまけ」と言われるほどになっていたが、最近では寺院がツアーを企画するなどしており、巡礼として再興されつつあるという。

なお、日本における巡礼の最初とされる西国三十三所観音霊場に定められている寺院は含まない。(ただし、四天王寺については西国三十三所満願時のお礼参り霊場として扱われることが多いが、含まれている)

 (Wikipediaより)

 

 

 

 

 

って事で!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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新西国三十三観音霊場巡礼はじめました!

(冷やし中華みたいなノリやな)

 

 

 

本四国
四国別格
西国三十三
洛陽三十三
真言宗十八本山
天皇御陵印

に加えて7箇所巡礼中か、俺wwwww

 

 

まずは明日久しぶりの本四国頑張ろう!

 

 

 

 

奈良へ! 西国巡礼とゲンゲンと俺。

 

 

 

ここんとこ毎週どっか寺社仏閣参拝に行ってるので、

たまにはゆっくりしようかなぁとか思ってたんですけど、

 

 

 

朝からゲンゲンと近鉄特急(鶴橋~大和八木)に乗り


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(どこでも寝るよなこのおデブはw)

 

 

 

 

八木から普通列車に乗り換えて向かったのは

 

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場第8番札所

牡丹で有名な【長谷寺】の駅。

 

 

 

 

 

こっから参道を行く………のをタクシーでショートカットしまして

 

 

 

 

 


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到着!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

せやけどさぁ、いくら檀家の法要あるからって人が経詠んでる最中に目の前に木の看板にさぁ

【法要中につきお静かにお参りください】

って書いたの置くか?

 

般若心経も観音経も上げるなって事か?

 

檀家の法要の方が巡礼で来る連中より金落とすから巡礼の連中は遠慮しろって事か?

 

 

さすがは2chの西国スレでも悪名高い観光寺やわwwwwwwwwww

 

そういえば寺のグッズ(敢えてこう書く)もやたらと【限定】【長谷寺限定】みたいなんばっかやったわ。

 

 

 

 

正直革堂と花山院以外いまのところ西国って観光寺ばっかで疲れる。

 

 

四国の方がはるかに良いなぁ。

 

 

 

 

 

長谷寺(はせでら)は、奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺。山号を豊山神楽院と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は僧の道明とされる。西国三十三所観音霊場の第八番札所であり、日本でも有数の観音霊場として知られる。寺紋は輪違い紋。

 

大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす初瀬山の中腹に本堂が建つ。初瀬山は牡丹の名所であり、4月下旬〜5月上旬は150種類以上、7,000株と言われる牡丹が満開になり、当寺は古くから「花の御寺」と称されている。また『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。中でも『源氏物語』にある玉鬘の巻のエピソード中に登場する二本(ふたもと)の杉は現在も境内に残っている。

大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170514232749j:image納経印。

 

これで真言宗のひとつの総本山なんだからねぇ。。。

 

あれ?醍醐寺でも俺こんな話をしてたよなぁ。

 

 

 

 

 

 

まぁ気を取り直して。

 

 

長谷寺門前町

西国三十三観音霊場の開祖でもある徳道上人の御廟でもある

 

【西国三十三観音霊場番外札所 法起院

 

がありますのでそちらに向かいます。

 

 

 

 


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番外なのに

「散華ないの?」とか言ってたオバハン。

 

やっぱりお経も上げずに納経所に行くタイプの人でしたわ。

 

個人の自由だからどうでもいいけど、

スタンプラリーと一緒にされたくはないよなぁ。

 

そんなのばっかだと正直納経所や御朱印所並んで大変なんだよなぁ。

 

 

なんて思ってたりもしながら、

 


f:id:KOBANNAD:20170514233519j:image納経印頂きました。

 

 

 

 

法起院(ほうきいん)は奈良県桜井市初瀬に所在する長谷寺の塔頭寺院である。宗派は真言宗豊山派。本尊は徳道上人。西国三十三所番外札所である。

寺伝によれば奈良時代天平7年(735年)に西国三十三所を創始したと伝えられている徳道がこの地で隠棲した事に始まるとされる。徳道は晩年、境内の松の木に登り法起菩薩となって遷化したと言われる。当院の名称はそれに由来する。境内には徳道の廟と伝えられる十三重石塔がある。

江戸時代前期の元禄8年(1695年)長谷寺化主の英岳僧正が寺院を再建し、長谷寺開山堂とした。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

そこから長谷寺駅まで戻り→近鉄桜井駅下車

 

バスに乗って行ってきました。

 

 


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【みわさん】こと、三輪大社

正式名称【大神神社

 

 


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山伏の団体とか居た!

めっちゃ人多いwwwwwwwwww

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170514234029j:image御朱印~。

 

 

 

 

 

大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市三輪にある神社。式内社名神大社)、大和国一宮、二十二社(中七社)。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

神武東征以前より纏向一帯に勢力を持った先住族である磯城彦が崇敬し、代々族長によって磐座祭祀が営まれたとされる、日本でも古い神社の一つで、皇室の尊厳も篤く外戚を結んだことから神聖な信仰の場であったと考えられる。旧来は大神大物主神社と呼ばれた。

三輪山そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、江戸時代に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁として造営された拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道原始神道)の形態を残している。三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。三つ鳥居から辺津磐座までが禁足地で、4~5世紀の布留式土器や須恵器・子持勾玉・臼玉が出土した。三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある泉北古窯址群で焼かれたことが判明した。

摂社の檜原神社倭姫命天照大神を磯堅城の神籬を立てて磯城の厳橿の本にはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の始まりの地となっている(垂仁記二十五年三月条)。また、作者不詳の能「三輪」ではキリ(終りの部分)の歌に「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。いわくら(磐座・言わくら)や」の言葉があり、伊勢神宮の元であることが伺える。

全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。

近年、大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺信貴山朝護孫子寺當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の1つに数えられている。

神大社には平等寺、大御輪寺、浄願寺(尼寺)という三つの大きな神宮寺があったが、明治時代に行われた廃仏毀釈で三寺全てが廃寺となった。しかし、昭和52年(1977年)に平等寺曹洞宗の寺院として再興された。

例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉が吊るされる、これが各地の造り酒屋へと伝わった。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

お腹すいたお腹すいたとやかましいゲンゲンを尻目にJR三輪駅→JR奈良駅と乗り継いで、

 

更に向かいます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奈良といえば
f:id:KOBANNAD:20170514234409j:image鹿。

 

 

鹿といえば、そう!

 

 

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170514234454j:image春日大社

 

 

 

もう修学旅行のガキんちょと中国人観光客(もうマジ死ね)で人多過ぎ。

 

 

 

ぶっちゃけ吐きそうなくらいごった返してたわ。

 

 


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春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社式内社名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。神紋は「下がり藤」。

全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。ユネスコ世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。(Wikipediaより)

 

 

 

春日大社を後に、近鉄奈良駅方面へ。

 

 

東大寺の大仏さんは今日は行かずに。

 

 

修学旅行生とチャンコロ観光客を掻き分けながら、向かったのは。

 

 

 

 

 

 

 


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興福寺

 

 

 

こちらの


f:id:KOBANNAD:20170514235026j:image南円堂

 

が、

 

 

【西国三十三観音霊場第9番札所】

な訳でございます。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170514235125j:image納経印。

 

 

 

 

 

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が当寺の起源である。壬申の乱のあった天武天皇元年(672年)、山階寺藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。

和銅3年(710年)の平城遷都に際し、鎌足の子不比等厩坂寺平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。この710年が実質的な興福寺の創建年といえる。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。

その後も、天皇や皇后、また藤原家によって堂塔が建てられ整備が進められた。不比等が没した養老4年(720年)には「造興福寺仏殿司」という役所が設けられ、元来、藤原氏の私寺である興福寺の造営は国家の手で進められるようになった。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

ここまで何も食べずに昼の3時前。

 

さすがに無理やわ。って事で近鉄奈良駅前の商店街でラーメン(珍しくゲンゲンのオゴリ、ありがたやありがたや南無八万大菩薩南無八万大菩薩)を食べて。

 

 

 

 

 

実家に帰るゲンゲンはそのまま奈良から三宮行きの快速急行で、

 

 

アタシは途中下車して

 

 

 

 

 


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真言宗十八本山 真言律宗総本山西大寺

 

行ってまいりました。

 

 

 

 

 

ここもいちいちお堂ひとつ入るのに300円だの参拝料金取るんやねぇ。

 

京都も奈良も昔からそうやけど観光寺ばっか。

 

 

で、大師堂はお金取らない代わりに朱印もないから誰も来ないような所に寂しくある。

 

 

うーん、これで真言宗のひとつの総本山なんやなぁ。

 

ものすごく四国と温度差あるよな。

 

同じ真言律宗大本山の生駒宝山寺とはまた全然違う感じ。

 

 

正直観光客もあまり来てない感じ。

 

 

 

色々ありますなぁ。

 

 

 


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上 本堂 釈迦如来

下 愛染堂 愛染明王

 

 

 

 

 

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。奈良時代孝謙上皇重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代叡尊によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。

宝亀11年(780年)の『西大寺資財流記帳』によれば、創建の経緯は以下のとおりである。天平宝字8年(764年)9月、孝謙上皇恵美押勝の乱平定を祈願して金銅四天王像の造立を発願した。なお、孝謙上皇は同年10月重祚している(称徳天皇)。翌天平神護元年(765年)、前述の四天王像が造立され、西大寺が創建された。この四天王像4体は西大寺四王堂に今も安置されるが、各像が足元に踏みつける邪鬼だけが創建当時のもので、像本体は後世の作に代わっている。

西大寺の創建当時は僧・道鏡が中央政界で大きな力をもっており、西大寺の建立にあたっても道鏡の思想的影響が大きかったものと推定されている。護国のために四天王像を安置するのは『金光明最勝王経』に基づくものである。

西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。前述の『資財流記帳』の記載や、元禄11年(1698年)作成の伽藍絵図から復元される伽藍配置は以下のようなものである。寺域の中心には薬師金堂が建ち、その背後、通常の寺院では講堂のある位置には弥勒金堂が建っていた。これら中心伽藍の東には小塔院、その北に食堂院(じきどういん)、中心伽藍の西には正倉院、その北に政所院(まんどころいん)があった。中心伽藍の前方(南)には東西2基の五重塔が建ち、これらの東に四王院、西に十一面堂院があり、四王院の南に東南角院(すみいん)、十一面堂院の南に西南角院があった。塔は八角形で計画されたが、途中で四角形に改められたという。

『資財流記帳』によれば、これらの諸堂には、密教系の像を含む、多数の仏像が安置され、多くの鏡で荘厳されていた。薬師金堂には、薬師三尊像を中心に計21体の仏像が安置され、中には密教系の孔雀明王像も含まれていた。弥勒金堂には計77体もの仏像が安置され、弥勒仏の兜率天浄土を表現していた。

しかし、寺は平安時代に入って衰退し、火災や台風で多くの堂塔が失われ、興福寺の支配下に入っていた。
叡尊による復興
西大寺の中興の祖となったのは鎌倉時代の僧・叡尊(興正菩薩、1201〜1290)である。叡尊は建仁元年(1201年)、大和国添上郡(現・大和郡山市)に生まれた。11歳の時から醍醐寺高野山などで修行し、文暦2年(1235年)、35歳の時に初めて西大寺に住した。その後一時海龍王寺(奈良市法華寺町)に住した後、嘉禎4年(1238年)西大寺に戻り、90歳で没するまで50年以上、荒廃していた西大寺の復興に尽くした。叡尊は、当時の日本仏教の腐敗・堕落した状況を憂い、戒律の復興に努めた。また、貧者、病者などの救済に奔走し、今日で言う社会福祉事業にも力を尽くした。西大寺に現存する仏像、工芸品などには本尊釈迦如来像をはじめ、叡尊の時代に制作されたものが多い。その後も忍性などの高僧を輩出するとともに、荒廃した諸国の国分寺の再興に尽力し、南北朝時代の明徳2年(1391年)に出された『西大寺末寺帳』には8か国、同時代のその他の史料から更に十数か国の国分寺西大寺の末寺であったと推定されている(なお、現存の国分寺のうち、西大寺と関係を持つのは旧伊予国分寺のみであるが、他にも複数の国分寺真言宗各派に属している)。(Wikipediaより)

 

 

 

帰りは

 

西大寺→鶴橋→京橋

で帰って来ました。

 

 

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

奈良京都

行けば行くほど

観光寺

 

 

       こばなど


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2017年GW参拝記~俺とオカンと姉上とゲンゲン

大型連休もいよいよ終わり、本格的に気温も上がってきまして巷は春の陽気。

 

2017年春皐月を皆様いかがお過ごしでしょうか、連休の間仕事が忙しく疲れが抜けないアラフォーKOBANNADです。

 

 

 

 

 

まずは5/3

 

前日に仕事前に中山さんに行って、

GWだというのに更に

【西国三十三観音霊場第5番札所 葛井寺

にまたまた仕事前に行ってきましたよん。

 

 


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近鉄藤井寺駅近くにあります。

 

藤井寺球場が無くなってたのがかなり淋しかった(´;ω;`)

 

 

 

 

 

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺一丁目にある真言宗御室派の寺院。藤井寺、剛琳寺とも称する。山号は紫雲山。本尊は千手観音。西国三十三所第五番札所。

寺伝では神亀2年(725年)、聖武天皇の勅願で行基が創建し、古子山葛井寺紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされ、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。近世の地誌類や再興勧進帳でも以上の寺伝を踏襲しているが、百済王族の子孫である渡来人系氏族葛井(藤井)連(ふじいのむらじ)により8世紀中頃に創建されたとも推定されている。なお、平安時代初期に寺を再興したと伝えられる阿保親王の母も藤井氏である。


百済辰孫王の後裔氏族である、船氏、津氏とならぶ白猪氏の氏寺として7世紀中葉に建立が開始された。奈良時代の720年に白猪氏は葛井氏に改姓している。一族からは大安寺僧慶俊が出ている。

社伝では、大同元年(807)に葛井連道依娘の藤子と後の平城天皇との皇子である阿保親王によって再建された。また阿保親王の皇子である在原業平奥の院を造営した。

中世以前の沿革については史料が乏しく、必ずしも明確でないが、本尊千手観音坐像は奈良時代の作品であり、境内から奈良時代の古瓦が出土することなどから、創建が奈良時代・8世紀頃にさかのぼることは間違いない。境内出土の瓦の1つに久安3年(1147年)の銘があり、その頃に造営事業が行われたことが推定される。平安時代後期から観音霊場として知られるようになり、西国三十三所観音霊場が成立すると、その一つに数えられるようになった。

永長元年(1096年)には、大和国賀留の里の住人・藤井安基が、荒廃した伽藍を修理したと伝える。南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされた。

当寺の伽藍は東西2つの三重塔をもつ薬師寺式伽藍配置であったが、明応2年(1493年)の兵火と永正7年(1510年)の地震で堂塔を失い、現存する建物は近世以降の再建である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


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カラーの御影頂くの忘れたwwwww

また行かないと。

 

 

 

 

 

で、葛井寺を出てすぐそばにある

【辛國神社 通称からくにさん】

にも参拝。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170508191316j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きまして翌5/4は

 

 


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 【西国三十三観音霊場第19番札所 革堂行願寺

 

 

 

こう言っちゃうと失礼ですが、観光寺が立ち並ぶ京都でしかも観光寺の多い西国三十三観音霊場の中で、

ものすごく落ち着いた雰囲気のお寺でしたね。

個人的にすごく好きなお寺です。

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170508191718j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

行願寺(ぎょうがんじ)は、京都府京都市中京区にある天台宗の寺院。山号は霊麀山。本尊は千手観音。通称革堂(こうどう)。西国三十三所第十九番札所である。

百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。

行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、寺の名も革堂と呼ばれた。行円の生没年は未詳だが、比叡山の横川(よかわ)出身の聖と推定されている。藤原道長の息の藤原顕信は寛弘9年(1012年)、行円のもとで剃髪出家している。

寺は豊臣秀吉による都市計画のため、天正18年(1590年)に寺町荒神口(現・上京区京都御苑東側)に移転。宝永5年(1708年)の大火の後、寺町荒神口の旧地からやや南に下がった現在地に移転した。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

行願寺さんの近くにある

下御霊神社】にもお詣りを。

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170508192007j:image御朱印

 

 

 

 

 

 

 

下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)は、京都市中京区にある神社である。旧社格は府社。社名は上御霊神社に呼応するものである。

祭神は以下の八柱で、「八所御霊」と称される。

吉備聖霊吉備真備とされることも多いが、吉備真備は憤死した人ではないので、神社側は六座の神霊の和魂と解釈している)
崇道天皇桓武天皇の皇太子、早良親王
伊予親王桓武天皇の皇子)
藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子
藤大夫(藤原広嗣
橘大夫(橘逸勢
文大夫(文屋宮田麻呂)
火雷天神菅原道真とされることも多いが、神社の創建は道真が天神とされるよりも以前なので、神社側は六座の神霊の荒魂と解釈している)
相殿に天中柱皇神・霊元天皇を祀る。

これらの諸神は(吉備真備を除いて)いずれも政争に巻き込まれて憤死した人々で、その怨霊を慰めるために創建されたのが当社である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、地下鉄に乗り天智天皇陵のある御陵駅に向かい。

 

行ってまいりました

【西国三十三観音霊場番外札所 元慶寺

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場で自分たちが行ったのを除いて(自分勝手)初めてのバスツアー団体に遭遇wwwwwwwwww

 

 

お詣りより先に納経帳を預ける事にして、バスツアー団体が本堂から離れるのを少し待ってからお経を上げることに。

 

 


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元慶寺(がんけいじ/古くは「がんぎょうじ」)は、京都府京都市山科区にある天台宗の寺院。藤原高子の発願により建立。僧正遍昭を開基とし、元慶元年(877年)に建立された。現在の伽藍は安永年間(1772年-1781年)の再建と伝わる。西国三十三所霊場の番外札所である。山号は華頂山。本尊は薬師瑠璃光如来

寛和2年(986年)、花山天皇がこの寺で藤原兼家、道兼父子の策略により出家させられ、兼家の外孫である懐仁親王一条天皇)が帝位についた(寛和の変)。花山法皇の宸影を安置する寺で花山寺(かさんじ)とも呼ばれ、大鏡では花山寺と記述されている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

境内には百人一首で有名な僧正遍昭のお墓もあります。


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天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

 

 

 

 

そういえば葛井寺在原業平ゆかりであったりしますね。

 

 ここもカラーの御影頂くの忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、流石にGWの忙しさに42歳のアタクシ体力が持たなくなりまして、

昨日5/7の休みまでは仕事前に参拝するのを少し休みまして。

 

 

 

で、朝から名古屋から姉上が来るので一旦難波まで迎えに行き。

 

更に梅田で母上とゲンゲンと合流し。

 

 

JRに乗って向かいましたはもはや福知山の手前市島駅wwwww

 

 

そこからタクシーを飛ばして

 

 

 

 

 

 


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天台宗 五大山白毫寺】

九尺藤で有名なお寺で、母上が行きたいって話で行きましたが。

 

正直行って良くも悪くも『観光寺』ですな。

藤は確かに綺麗でしたけど。

 


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白毫寺(びゃくごうじ)は、兵庫県丹波市にある天台宗の寺院。山号は五大山。本尊は薬師瑠璃光如来。120mの藤棚の「九尺藤」は圧巻。

705年(慶雲2年)、法道の開山により創建されたと伝えられる。その後、兵火により焼失したが、天正年間(1573年-1592年)に中興された。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。(Wikipediaより)

 


f:id:KOBANNAD:20170508205314j:image納経印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから三田へ。

 

実は昨日5/7は母上の誕生日やったので母上の好きな焼肉を食べに

【板前焼肉 ひまわり】

に。

ここは地元でも有名なお店で、上質の三田牛や鹿児島の曽於さくら牛が食べられるお店です。

午前中の営業時間ギリギリに予約を入れさせて頂いてがっつりと食べてきました。

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170508200053j:image安定のドヤ顔wwwww

 

お店の情報はこちら↓

 https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/hyogo/A2807/A280703/28025267/top_amp/

 

 

 

 

 

 

腹も膨れて、店員さんにタクシーを呼んでもらい本日1番の目的地へ。

 

 

 

 

 

 

 


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【西国三十三観音霊場番外 花山院菩提寺

 

非常に気持ちの良い

非常に素晴らしい

何度でも行きたくなるお寺でした。

 

 

 

 

 

 

花山院菩提寺 (ぼだいじ)は、兵庫県三田市尼寺にある真言宗花山院派の寺院。本尊は薬師瑠璃光如来、開基(創立者)は法道(ほうどう)仙人と伝えられる。別称は花山院(かざんいん)。

開基とされる法道仙人は、天竺から紫雲に乗って飛来したとされる伝説的な人物である。法道仙人開基伝承をもつ寺院は兵庫県東部地域に集中しており、「インドから紫雲に乗って飛来」云々の真偽は別としても、こうした伝承の元になり、地域の信仰の中心となった人物が実在した可能性は否定できない。

正暦3年(992年)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とし、その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる。これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになったと言う。

当山を含む麓の集落は尼寺(にんじ)と呼ばれるが、これは法皇付きの女官11名が法皇寵愛の弘徽殿の女御の位牌を奉じて訪ねて来たものの、女人禁制故に登山を許されなかった為、尼となって麓に住み着いたことに因む。 集落内には十二尼妃の墓と伝わる大小12基の墓(中央の大きい墓が弘徽殿の女御のものとされる)が存在する。

11世紀には多田荘を本拠とした多田源氏が帰依し、山内に堂塔が立ち並んで勢威を示したが、後の雷火で焼失した。現在は山内から出土する礎石群が当時を偲ばせる。(Wikipediaより)

 

 

 



f:id:KOBANNAD:20170508201059j:image納経印

 

 

納経を頂く折に本当に丁寧にご説明下さいました。

 

特に今回から巡礼を初める姉上には良い経験になったと思いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りはもうみんな疲れてたのでタイムイズマネーの精神で三田から特急こうのとりで大阪駅まで帰って(ゲンゲンは途中の尼崎で下車)

 

梅田から母上は地下鉄で

私と姉上も地下鉄で途中の難波まで行って

 

 

姉上と二人で更に飲み。

姉上は最終のアーバンライナーで名古屋に帰り。

 

アタクシは再び梅田から帰って寝た、と。

 

 

 

 

 

 

 

しかしゲンゲンの免停のせいでようさん金使わされたわwwwww

 

 


f:id:KOBANNAD:20170508204556j:image↑必死に肉を焼くゲンゲン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西国三十三観音霊場第1番札所青岸渡寺&第24番札所中山寺

 

こないだの日曜日。

本来ならば毎月恒例本四国遍路の旅に行く予定でしたが、

 

相棒の中村ムラムラゲンゲンが45日間のめでたく免停処分をくらい、

罰金80000円という大金を支払い、

めでたく【中村八万大菩薩】の称号を得たので、

残念ながら今月の遍路は中止になりました。

 

 

 

 

 

 

しかし、KOBANNADがそんな事でめげる訳もなくw

 

タイトルの通り

「四国がアカンのなら西国や」

とばかりに阪急交通社のバスツアーを利用して、

那智の滝で有名な那智大社の隣にあります

【西国三十三観音霊場第1番札所 青岸渡寺

さんに行きました。

 


f:id:KOBANNAD:20170502153308j:imageちなみにバスツアー中ほとんど寝てる中村w

 

 

 

 

 

 

 

 

朝7時に旧梅田コマ劇場の前に集合。

難波を経て、阪神高速湾岸線から泉佐野を経由し阪和自動車道へ。

 

 

 

車内風景
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みなべあたりで梅干し工場見学w(いかにもバスツアー)


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車内で昼飯の弁当をかっくらい、

 

車内で先達さんから西国の作法と経文の唱え方をレクチャーして頂いて、

 

 

那智のかまぼこセンターで買い物をし、


f:id:KOBANNAD:20170502175604j:imageよくわからない記念撮影もして、

 

 

 

 

いよいよ青岸渡寺へ。

 

 

 


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階段を467段登る。

 

 

 

 

途中左に行くと


f:id:KOBANNAD:20170502145955j:image那智大社に行く階段。

 

 

 

右へ行くと


f:id:KOBANNAD:20170502150036j:image目的の青岸渡寺

 

 


f:id:KOBANNAD:20170502150103j:imageご詠歌碑文

 

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170502150157j:image山門が見えてきた。

 

 

 

 

先達さんのご指導の元バスツアー総勢43名がみんなひとつになってお経を上げる。

 

本四国では経験したことがないからある意味新鮮。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170502150359j:image青岸渡寺納経印

 

 

 

そこから実は那智大社に隣接しているので下に降りずに参拝出来のです。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170502150555j:image那智大社御朱印

 

 

 

 

 

 

 

自由時間に記念撮影
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三重の塔
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そこから那智の滝へ。

 

 


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f:id:KOBANNAD:20170502151156j:image御神体が那智の滝そのもの。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170502151242j:image御朱印

 

 

 

記念撮影再び


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青岸渡寺(せいがんとじ)は、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。西国三十三所第一番札所。山号は那智山。本尊は如意輪観世音菩薩。

熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。後に推古天皇勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合修験道場であり、如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。

明治時代に神仏習合が廃されたとき、熊野三山の他の2つ、熊野本宮大社、熊野速玉大社では仏堂は全て廃されたが、熊野那智大社では如意輪堂が破却を免れ、のちに信者の手で青岸渡寺として復興した。寺号は秀吉が大政所の菩提を弔うために建てた高野山の青巌寺に由来すると言われる。(Wikipediaより)

 

 

20時過ぎにバスを下車。

 

 

 

 

 

 

で、今朝の話。

 

朝イチ市場に仕入れ行ってから、

 

 

【西国三十三観音霊場第24番札所 中山寺

に向かいました。

 

 

 


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さすが子安観音とも言われる中山寺

まさかの妊婦用に境内にエスカレーター完備w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


真言宗中山寺派大本山。山号は紫雲山。本尊は十一面観音。西国三十三所第24番札所。

 

中山寺(なかやまでら)は、兵庫県宝塚市にある寺院。

本尊は十一面観世音菩薩であり、インドの勝鬘夫人(しょうまんぶにん)の姿を写した三国伝来の尊像と伝えられる。左右の脇侍も十一面観世音菩薩で、本尊と脇侍をあわせて三十三面となり、西国観音を総摂すると共に法華経に説く観音の三十三権変化身を表象し、真の三十三所巡拝と同じ功徳がえられるという。普段は秘仏となっているが、毎月18日に開扉される。地元では「中山さん」と親しみを込めて呼ばれている。

また、摂津国八十八ヶ所霊場会の本部も、設置されている。

寺伝では聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場。「極楽中心仲山寺」と称されていた。現在の本堂(慶長8年・1603年再建)や阿弥陀堂豊臣秀頼片桐且元に命じて再建した。羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。

安産祈願の霊場として皇室、源頼朝など武家、庶民より深く信仰を集めた。豊臣秀吉が祈願して豊臣秀頼を授かったとされる。また、幕末には中山一位局が明治天皇を出産する時に、安産祈願して無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。

中山という山が背後にあり、山麓にある中山寺奥之院には厄神明王がまつられ、本堂脇にある湧水は大悲水と呼ばれている。中山寺の境内からは18丁、徒歩50分程度で参拝する事ができる。

毎月の戌(いぬ)の日は、安産祈祷会があり、安産を願い、また、鐘の緒(かねのお)(祈祷を受けた腹帯)の授与を求めて、日本各地から多くの参詣者が訪れる。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170502152708j:image西国三十三納経印

 


f:id:KOBANNAD:20170502152727j:image真言宗十八本山納経印

 


f:id:KOBANNAD:20170502152744j:image五大力不動納経印

 

 

 

 

 

写真撮ってないけど、西国の笈摺も始めてます。

 

 

 

 
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須磨寺~阿倍王子神社~安倍晴明社~すみよっさん

 

桜がもうほとんど葉桜になり、昼間はかなりの陽気な今日このごろ皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

 

約3週間にわたる糖質制限ダイエットのおかげで、7キロ近く体重を減らした私KOBANNADですドヤッwwwwwwwwww

 

 

さて、昨日の休みは【真言宗十八本山】の一つ、源平一ノ谷の合戦で有名な兵庫県の【須磨寺】に行ってまいりました。

 

 

今週はひとりではなく、母上とゲンゲンと三人で行ってまいりました。

 

 

正直な話、寺社仏閣巡りは個人的には自分と神さん仏さんと向き合う為にするもんやと、ワシは思ってるんですわ。

 

だからホンマは自分ひとりで行くべきもんやと思ってますが、まぁ初心者(試練の春)のゲンゲンと老いた母ですから仕方ないのかなとwwwww

 

 

 

 

閑話休題

 

 


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山陽須磨寺駅降りてすぐが、須磨寺の参道になっておるそうな。

500mくらい歩くと

 

 


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須磨寺到着です。

 

 

境内かなり広いです。

 

 

須磨寺(すまでら)は、兵庫県神戸市須磨区にある仏教寺院。真言宗須磨寺派大本山。山号は上野山(じょうやさん)。本尊は聖観音である。宗教法人としての公称は福祥寺平安時代の初め、漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年(仁和2年)に聞鏡上人が現在の地に移したのが始まりとされている。平敦盛遺愛の「青葉の笛」や弁慶の鐘、敦盛首塚義経腰掛の松など、多数の重宝や史跡が存在する 。源平を偲んで訪れる文人も多く、境内には正岡子規松尾芭蕉句碑がある。(Wikipediaより)

 

 

 


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愛染明王さんの納経印も頂けたのですが、書き置きやったんで止めました。

 

あんまり好きじゃないんですよねぇ、書き置きの御朱印とか。

 

 

 

阿弥陀堂で納経印を頂いてる時に、須磨寺駅前の【志らはま鮨 】さんが旨いと聞いたので、帰り道に向かう。

 




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アナゴ寿司→普通にうまい

アナゴの上巻き→なかなかのボリューム感

アナ胡巻き→普通にうまい

サバ寿司の上におからを柚子で味付けしたもの→かなりうまい

赤だし→具がアナゴ、まぁうまい

デザート→緑茶のゼリー(量少ない)

 

 

全体的に満足!

 

 

 

 

 

 

 

で、ここから清荒神&中山さんに行くか

阿倍王子神社&住吉大社に行くかで

後者を選んだ我々。

 

 

 

 

 

 

 

 

須磨寺→大阪→天王寺と乗り継ぎ、

久しぶりの阪堺線wwwww

 

 



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東天下茶屋駅で降りる

徒歩3分くらいかしら。

 

 


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大阪の【安倍晴明神社】に到着。

 

 

 

安倍晴明神社(あべせいめいじんじゃ)は、阿倍王子神社の北方約50mに鎮座する阿倍王子神社境外社(飛び地境内社末社)。
社名の通り、祭神の安倍晴明はこの地で生まれたと伝えられている。社伝「晴明宮御社伝書」によると創建は1007年(寛弘4年)で、代々晴明の子孫と称する保田家が社家として奉仕し、江戸時代には代々大坂城代が参拝にくるほど有力な神社であったが、幕末には衰微し、明治時代には小さな祠と下記にある石碑のみになってしまったという。しかし、明治時代末期になると復興計画が持ち出され、1921年(大正10年)には阿倍王子神社末社として認可された。社家の子孫である保田家より旧社地の寄進を受け、1925年(大正14年)現在の社殿が竣工した。拝殿は三間社入母屋造で本殿は流造である。


境内には晴明の等身大の銅像が建ち、「産湯井の跡」(晴明の産湯に使われた井戸)、「葛之葉霊狐の飛来像」、「安倍晴明誕生地の石碑」がある。産湯は摂津名所図会の頃に既に登場している。石碑は1818~1830年(文政年間)に堺商人・神南辺道心の手によって建立された。晴明が占いの神として信仰されていることに因み、社務所内に「占い相談コーナー」も設けている。


戦時中、境内に焼夷弾が落ちたが爆発せず、本殿は被災をまぬがれた。この為、地元では「晴明さんが守って下さった」と評判になり、以来災難除けの神様としても信仰を集めている。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 

 

 

 

で、そこから大通りの方へ向かうと

【阿倍王子神社

 

 


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阿倍王子神社(あべおうじじんじゃ)とは大阪府大阪市阿倍野区にある神社。
概要
『摂州東成郡阿倍権現縁記』によれば、仁徳天皇の夢の中に熊野三山の使いである3つの足の烏が現れ、仁徳天皇がそれを捜させると、同じものが当地(阿倍島という島があったとされる)にいたので、現所在地に神社を創建した。これとは別に、この地域を本拠した古代豪族の阿倍氏が建立したという説もある。


当地は四天王寺住吉大社のほぼ中間の位置にあり、熊野参詣の街道筋の九十九王子のひとつ「阿倍王子」として、後鳥羽天皇が熊野御幸を行った平安時代には、窪津王子(大阪市中央区)、坂口王子(同)、郡戸王子(同)に次ぐ4番目の王子とされていた(「後鳥羽院熊野御幸記」)。後に郡戸王子と当王子の間に上野王子(天王寺区)が設置され、5番目の王子となるが、戦国時代の戦乱により途中の坂口、郡戸、上野の各王子が焼失。安土桃山時代には2番目の王子となっている。

現在、大阪府内の九十九王子で唯一、旧地に現存している王子である。(Wikipediaより)

 

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170424113756j:image御朱印は王子神社で一緒にもらうことが出来ます。

 

 

 

そこから再度阪堺線に揺られて、

 


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【すみよっさん】こと

二十二社のひとつ【住吉大社】へ。

 

 

 

 

住吉大社(すみよしたいしゃ)は、大阪府大阪市住吉区住吉二丁目にある神社。式内社名神大社)、摂津国一宮、二十二社(中七社)の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国に約2,300社ある住吉神社の総本社であるほか、下関の住吉神社、博多の住吉神社とともに「日本三大住吉」の一社。また毎年多くの初詣の参拝者が訪れる。

別称として「住吉大神宮(すみよしのおおがみのみや)」ともいい、神社で授与される神札には「住吉大神宮」と書かれている。また、地元では「すみよしさん」または「すみよっさん」と呼ばれる。(Wikipediaより)

 

 

 

以前名古屋のアメフラシ姉上と来た時はアタシがまだ御朱印帳をしてなかったので、

今回はしっかりと!

 


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末社、境外社合わせて10社分全て頂いて参りました。

 

 

 

住吉大社は端から端まで回ると意外と広いって事を大阪人のアタシは今まで知らなかったってのが再発見。

 

 

来週はホンマやったら四国なんやけど、

ゲンゲンが免停中なんで行けない。

 

洛陽三十三観音霊場

昨日の休みの話。

 

 

大阪京セラドームで「第13回関西かごしまファンデー」なるイベントに行くということで、

 

11時に大正駅で待ち合わせて

まぁ鹿児島の物産ブースで焼酎飲みまくり(試飲なのでタダ)、

同じ物産ブースで食べ歩き(糖質制限ダイエット中なので派手には食べてないけど)

 

そこから14時くらいにバスで大正の平尾まで移動して大正名物【沖縄ホルモン】食って、

母上を送りつつ天王寺に移動して、

ゲンゲンと銭湯行って帰ってきたんですが。

 

 

 

 

 

 

俺がそんな事だけでわざわざブログ書く訳は無いよなwwwwwwwwwwwwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

って事で、土曜日なんだかんだで仕事終わって部屋に帰り着いたのが丑三つ時の2時すぎ。

 

シャワー浴びて仮眠して6時頃に起きて、

京阪京橋駅へwwwwwwwwww

 

 

清水五条駅で下車。

向かった先は、

 

 

 

 

 


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西国三十三観音霊場第17番札所
六波羅蜜寺

 

 

 

 

 

 

 

六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基(創建)は空也西国三十三所第17番札所。

踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)空也(くうや)が平安時代中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来し、当初西光寺と称した。空也は疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也は応和3年(963年)に鴨川岸に僧600名を集めて大規模な大般若経供養会を行ったが、この時をもって西光寺の創建とする説もある。当時、鴨川の岸は遺体の捨て場であり、葬送の場であった。

空也の死後、977年に比叡山の僧・中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末にはこの付近に、六波羅殿と呼ばれた平清盛ら平家一門の屋敷が営まれた。またのちに鎌倉幕府によって六波羅探題が置かれたのもこの付近である。

名称は仏教の教義「六波羅蜜」という語に由来するが、この地を古来「六原」と称したことに由来するとも考えられている。 なお、六波羅密寺とする表記が古今多く見られるが、誤字である。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開門を待ってたら、

「ようお詣りで、今日の一番さんですな」

と、お声をかけて頂きました。

 

 

 

六波羅蜜寺さんは

 

【西国三十三観音霊場】第17番札所ですが

 


【洛陽三十三観音霊場】第13番札所でもあります。

 

 

 

 

 

洛陽三十三所観音霊場(らくようさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)は、観音菩薩をまつる京都府京都市の三十三箇所の寺院からなる観音霊場。平安期に後白河法皇が定めたとされ、一時中断した後、2005年に復活した。江戸三十三箇所はこれを模して始まったという説を柳亭種彦が主張している。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 

 

洛陽三十三観音霊場巡礼は京都だけですから比較的、お遍路や西国三十三観音霊場に比べると楽ですね。

初心者向け。

 

 

って事で初心を忘れない為にも


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洛陽三十三観音霊場巡礼もはじめることにしました!wwwww

 

 

 

 

 

 

 

 

うむ。しかし結局

 

四国八十八箇所

四国別格二十霊場

西国三十三観音

真言宗十八本山

に加えて

洛陽三十三観音かぁ、かなり楽しくなってきたぞ!

 

 

 

コツメカワウソ「たーのしー!」
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まぁけものフレンズはおいといてwwwww

 
f:id:KOBANNAD:20170417115832j:image六波羅蜜寺の納経印。

西国と洛陽両方頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

六波羅蜜寺からタクシーブッ飛ばして向かった先は

 

 

 


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西国三十三観音霊場第18番札所
洛陽三十三観音霊場第1番札所
頂法寺六角堂。

 

 


f:id:KOBANNAD:20170417115929j:image桜綺麗

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170417115943j:imageなんでやねんwwwww

 

 

頂法寺(ちょうほうじ)は、京都市中京区にある天台宗系単立の仏教寺院。山号は紫雲山。本尊は如意輪観音秘仏)。西国三十三所第十八番札所。正式の寺号は頂法寺(山号を冠して紫雲山頂法寺)であるが、本堂が平面六角形であることから、一般には「六角堂」の通称で知られる。華道、池坊の発祥の地としても知られる。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170417120449j:imageこちらでも西国と洛陽両方の納経印頂きました。

 

 

 

 

六角堂から阪急烏丸駅へ急ぐ。

特急に乗り高槻市駅へ。

 

普通列車に乗り換え向かった駅はそう【総持寺】駅。

 

 

 

 

 

 

 

って事で、


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f:id:KOBANNAD:20170417120659j:image馬は乗って来てないけどねwwwww


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西国三十三観音霊場第22番札所 総持寺に到着致しました。

 

 

 

 


総持寺(そうじじ)は、大阪府茨木市にある高野山真言宗の寺院。山号は補陀洛山 (ふだらくさん)。西国三十三所第22番札所。本尊は千手観音。

当寺の草創説話は、助けた亀の恩返しと観音の霊験に関するもので、寺所蔵の縁起絵巻のほか、『今昔物語集』などにもみえる。それによると、開基藤原山蔭の父・藤原高房は、漁師たちが大亀を捕らえているのを見、「今日18日は観音様の縁日だから」と言って、亀を買い取って逃がしてやった。その日の夜、高房の子・山蔭は、継母の計略で船から川に落とされてしまった。父の高房はこれを悲しみ、観音に祈ったところ、高房が助けた亀が、山蔭を甲羅に乗せて現れたという。高房の没後、山蔭が報恩のため観音像を造立し祀ったのが当寺の起源だという。

寺伝では元慶3年(879年)頃、藤原山蔭が創建し、山蔭の三回忌の寛平2年(890年)に伽藍が完成したとする。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 

 


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総持寺さんの西国納経印。

 

 

 

 


f:id:KOBANNAD:20170417121049j:image今日の3ヵ寺のカラー御影

 


f:id:KOBANNAD:20170417121152j:image散華

 

 

 

で、11時には大正駅に余裕で間に合っていた俺wwwwwwwwww

 

ちなみに一人でした。

 

ゲンゲンは連れて行ってませんwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

 







 

 

 

桜咲く京都 -真言宗十八本山と岩清水八幡宮-

 

日本中の杉と桧を燃やして回りたい~🎵

 

 

どうも、花粉症真っ盛り生臭和尚ことKOBANNADでーす(^q^)

 


実は3月31日仕事前にまた京都に来て銀閣、京都大神宮の2ヶ所を参拝したのです。

 

それで1冊目の御朱印帳、納経帳とも無事に満杯になり、

 

現状納経帳が先日龍安寺で頂いたもの。

朱印帳


f:id:KOBANNAD:20170410033608j:imageその時に【京都大神宮】で頂いたかなり萌えな巫女さんの描かれたこちらのもの。

 

f:id:KOBANNAD:20170410034003j:image朱印帳入れも買ってしまったwwwww

 

 



f:id:KOBANNAD:20170410034141j:image銀閣 
f:id:KOBANNAD:20170410034146j:image京都大神宮


 

 

んで、アタクシの現状動いとる御朱印関係ってのが、

 

 


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*四国八十八霊場(お遍路)

四国別格二十霊場

 


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真言宗十八本山

*西国三十三観音

*メイン納経帳

*メイン御朱印帳

 

 

………6冊wwwwwwwwww

 

後、まだ御陵印帳もあるからなぁwwwwwwwwww

 

 

そういうことで、まぁ今回は【真言宗十八本山】を中心に動こうと思ってた訳よ。

 

 

 

さらに、

先日来免停中の中村ゲンゲンがどうやら罰金が八万円越えそうやから、

「南無八幡大菩薩」だの

「試練の春」だの

言われてるのをきっかけに(どういう理由や)

 

 

まずは【岩清水八幡宮】に向かったのであります。

 

 

 

 

 

 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)は、京都府八幡市にある神社。旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の一社で、伊勢神宮とともに二所宗廟の一社。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社。(Wikipediaより引用)

 


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f:id:KOBANNAD:20170410035736j:image京阪八幡市駅より男山ケーブルにて山頂の岩清水八幡宮を目指します。

 

ケーブルだと5分くらいで行くんですが、

八幡市駅前から歩くと25分くらい山道を歩くらしいです。

 

実はいつものごとく朝から参拝予定やったんですが、

この週末店が忙しくて疲れてたのか、起きたのが朝9時半wwwwwwwwww

 

だから結局岩清水八幡宮に着いたの11時くらいだったんですよねぇ。ホンマは8時半に着く予定だったのに。

 


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f:id:KOBANNAD:20170410040136j:imageケーブル降りて参道を少し歩くと

 

 

 


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なかなか凄い人出でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

御朱印頂くのを待ってる時に、

 

岩清水八幡宮のオリジナル御朱印帳は表紙が西陣織で非常に人気があるんですが、

御朱印受付で並んでる列の横からそれを買うだけじゃなくサッと結果的に横入りする形で

購入してた女性が居ましてね。

ムッとしたんですがまぁ大人になろうと我慢しました。

 

前までのアタクシなら絶対怒鳴り散らしてたんでしょうね。

 

それがまた意外と綺麗な女性やから余計になんか嫌でしたね、小汚いオバハンとかならいざ知らず。

 

 

 

まぁ気を取り直して次に向かうのは、

十八本山でもあり、西国三十三観音霊場第11番札所でもある【醍醐寺】へ。

この時期は桜の名所でもあるのでかなりの人出が予想されるので少し急ぐことに。

 

 

ケーブルに乗って下山待ちしてると、

「すみません、隣いいですか?」

って声。

見たらさっきの女性wwwwwwwwww

 

 

アンタ横入りまでしたのに俺よか遅かったのかよwwwwwwwwwwwwwww

 

 



f:id:KOBANNAD:20170410041234j:image岩清水八幡宮御朱印~🎵

 

 

で、再び京阪八幡市中書島駅→京阪六地蔵→地下鉄六地蔵醍醐駅

 

と、移動。

 

 

 

 

 

 

京阪中書島駅宇治線乗り換えるときに、

 


f:id:KOBANNAD:20170410041454j:imageユーフォニアム2発見!

麗奈ちゃんは俺の嫁(^o^)

 

 

 

 

で、地下鉄六地蔵駅から醍醐に向かう時に

 

「あ、あれ?さっきケーブルで………」

 

また、あの女性wwwwwwwwww

 

 

「どちら行かれるんですかぁ?ひょっとして醍醐寺ですか?」

 

 

話しかけてきちゃったよwwwww

 

 

なんだコイツ、ストーカー?逆ナン?

 

仕方ないので

 

「そうですね、醍醐寺行って後は周辺のお寺を見て回るつもりですわ。今日は醍醐寺はかなり人が多いから気をつけて行って下さいね。」

 

 

と、あくまでもひとりで行動するぜアピールをwwwww

 

 

ぶっちゃけ普通に綺麗というか可愛かったのは事実。

 

 

でも俺には麗奈ちゃんがwwwwwwwwww

 

 

醍醐駅着いたらダッシュに近い勢いでバスに向かった俺wwwwwwwwww

 

 

よし、もう付いて来てないなwwwww

 

 

 

 

 

 

 

で、気持ちを取り直してから。

 


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f:id:KOBANNAD:20170410042328j:image西国三十三観音霊場第11番札所【醍醐寺

 

イベントで豊臣秀吉がどうたらで行列が境内を練り歩くってのをやってたので、

いつもより遥かに多い人出wwwwwwwwww



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観音堂に向かう仁王門が行列が過ぎるまで通行止めとかね。

 

京都府警段取り悪過ぎやろ。

 

 

コミケのコスプレイベントとかの方がよっぽどスムーズや。

コミケ準備会>>>>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>>京都府

 

 

早よせなまたストーカーが追い付いてきたらどないすんねんっ!wwwwwwwwww

 

 

まぁでも正直普通の参拝者と、

 

花見客、イベント客は分けるべきですよね。

 

入館料1500円も取るんならね。

 

西国三十三札所名乗って高い入館料と駐車場取ってる割には2008年に焼けた准胝堂(観音霊場のご本尊准胝観音が祀られていた)未だに再建されてないけどなぁ。

 

 

 

 

決して世の中全ての寺社仏閣がそうでは無いですが、

【観光金儲け寺・神社】と呼ばれるものもあるのも事実ですけどね。

 

四国にもあるみたいね、62番とか。

 

 

先日焼けた四国の別格二番童学寺のご住職は火の上がる本堂からご本尊を抱えて来たそうですな。

さすがは真言宗の僧侶だと。

 

 

………あれ?醍醐寺って西国三十三だけじゃなくって真言宗醍醐派総本山wwwww

 

 

やめとこ。

 


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f:id:KOBANNAD:20170410044125j:image醍醐寺さんの納経

本尊 薬師如来

音霊場 准胝観音

五大力明王

 

 


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ゲンゲンと母上の分も納経帳ゲット。

 

 

文句言いながらけっこうお金落として来たね、アタクシwwwww

 

 醍醐寺(だいごじ)は、京都府京都市伏見区醍醐東大路町にある、真言宗醍醐派総本山の寺院。山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。本尊は薬師如来、開基(創立者)は理源大師聖宝である。古都京都の文化財として世界遺産に登録されている。伏見区東方に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内をもつ寺院である。豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。(Wikipediaより引用)

 

准胝堂 - 聖宝が如意輪堂とともに建立、西国三十三所観音霊場第十一番札所。1968年に再建された堂は2008年8月24日焼失。再建までの間は西国札所は下醍醐の観音堂(大講堂)に仮に移されている。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、一時間半以上醍醐寺に居まして。

ホンマは十八本山の

 

醍醐寺

随心院

勧修寺

大覚寺

仁和寺

知積院

東寺

 

と、泉涌寺以外回れる所は全て行くつもりが

醍醐寺出たのが2時半過ぎwwwww

 

 

とにかく行けるとこまで行こう。

 

 

ってことで【随心院】へ。

 


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随心院(ずいしんいん・ずいしんにん、隨心院)は京都市山科区小野にある真言宗善通寺派大本山仏教寺院。小野流の開祖として知られる仁海(にんがい)の開基。本尊は如意輪観音。寺紋は九条藤。当寺の位置する小野地区は、小野氏の根拠地とされ、随心院小野小町ゆかりの寺としても知られる。(Wikipediaより引用)

 

 


f:id:KOBANNAD:20170410045623j:image十八本山とご本尊は曼陀羅なんや。

 

 

 

 

 

 

 

で、勧修寺に。

 

 

 

 

 

 

 

勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院真言宗山階派大本山。山号を亀甲山と称する。開基(創立者)は醍醐天皇、開山(初代住職)は承俊、本尊は千手観音である。寺紋(宗紋)は裏八重菊。皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院である。「山階門跡」とも称する。

寺名は「かんしゅうじ」「かんじゅじ」などとも読まれることがあるが、寺では「かじゅうじ」を正式の呼称としている。一方、山科区内に存在する「勧修寺○○町」という地名の「勧修寺」の読み方は「かんしゅうじ」である。

1872年10月30日(明治5年9月28日)から1881年(明治14年)6月にかけて勧修寺内の一部が勧修小学校として使用されていた。(Wikipediaより引用)

 

 

 

 


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一番目の石碑を右に行けば勧修寺。

左に行くと仏光院(納経所)があります。

 

スタンプラリー感覚で御朱印あつめ~🎵みたいな方はお詣りもせずにすぐに納経所、御朱印授与所へ向かうのがほとんど。

 

ここでもいきなり仏光院へ行く人間居ましたね、嘆かわしい。

 

 

 

アタクシは中の庭園まで入らせて頂きましたよ、当然wwwww

 


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f:id:KOBANNAD:20170410050246j:imageそれは危険だwwwww
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やっぱり桜はエエわ。

咲く美しさ、散る儚さ。

日本人の心を捕らえて離さない。

 

 

で、改めて仏光院へ納経を頂きに。


f:id:KOBANNAD:20170410051740j:image勧修寺さんだけやなく仏光院さんの納経も頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

地下鉄小野までまた歩いて戻ろうかと思ったら山科駅行きのバスが来た。

 

 

この時点でもはや4時前wwwww

 

 

今日はもう終了wwwwwwwwww

 

仕事終わってメシ食ってからから約15時間何も食ってない。

 

検索かけたら山科駅からちょっと歩いたらさとがある。

 

 

って事でひとりしゃぶしゃぶwwwwwwwwwwwwwww

しかも食べ放題wwwwwwwwww


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豚バラ12人前

豚ロース6人前

鶏モモ4人前

鶏だんご3人前

プラス大量の野菜(ニラ、三つ葉、ほうれん草、水菜、トマト)

 

店員ドン引きwwwww

 

 

 

そっから五条別れのバス亭から三条京阪までバスで。

京阪で京橋まで帰ってきて、京橋で(エロくない)マッサージ行って銭湯浸かって帰ってきました。